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第八章 無自覚な神威

 空はどす黒い紫色に染め上げられ、セフティーヌ学園の誇る白亜の校舎は無惨な瓦礫の山と化していた。無敗を誇った魔王国のエリート生徒たちは血にまみれて地に伏し、結界魔法の権威であるヴァルディをはじめとする熟練の教師陣でさえ、誰一人として立ち上がることができない。絶対的な絶望が、学園を支配していた。「ギャハハハハハ!なんだよ魔族のエリートってのは!俺様たち『転生者』が持つチートスキルの前じゃ、ただの案山子以下じゃねえか!」瓦礫の頂に立ち、下品な高笑いを響かせるのは、異世界から現れた自称・勇者タカシである。彼の背後には、同じく異界の神から与えられたという『チートスキル』と『現代知識』を振りかざす五百名もの転生者軍勢が控え、魔族たちを嘲笑していた。彼らの持つ能力は、魔王国の長きにわたる歴史と魔術理論を根本から否定する、まさに理外の暴力であった。魔法を撃てば『魔術概念相殺』で打ち消され、剣を振るえば『絶対回避』で避けられ、少しでも隙を見せれば『無限魔力供給』によって乱射される現代兵器型の魔導銃が死の雨を降らせる。「くそっ……!私たちの魔法が……何一つ通用しないなんて……!」魔王長女のクレア・ル・トロイは、膝から崩れ落ちたまま、悔し涙を流して唇を噛み締めた。彼女の誇る極大魔術すら、相手の『熱エネルギー吸収変換』の前に無に帰したのだ。すべてが終わる。勇者タカシが大剣を天に掲げ、学園そのものを消し飛ばす最終奥義『絶対貫通撃』の神々しい光を収束させ始めた、まさにその時であった。「あ、皆様。お足元がひどく散らかっておりますよ。これではお勉強の邪魔になってしまいます」地獄と化した戦場に、あまりにも不釣り合いな、鈴を転がすような可憐な声が響いた。土煙を払い、瓦礫を踏み越えてトコトコと歩み出てきたのは、素朴な衣服に身を包んだ一人の少女シャルレット・ル・トロイであった。栗色の髪を風に揺らし、その肩には三十センチメートルほどの小さな漆黒龍ル・レットを乗せている。少女の顔には一切の恐怖も、焦燥もない。ただ、散らかった部屋を見つけた時のように、困ったような微笑みを浮かべているだけだった。「あ……?なんだあ、あのガキは?」タカシが怪訝そうに眉をひそめる。魔力が底を尽きかけているクレアが、必死に手を伸ばして叫んだ。「だ、駄目よシャルレット!逃げなさい!あいつらは普通じゃない……私たちの常識が一切通じない、理不尽な力の塊なのよ!」しかし、シャルレットはクレアの悲痛な叫びを聞いても、ただ不思議そうに小首を傾げるだけであった。「理不尽、ですか?……いいえ、クレア様。あの方たちが振り回しているものは、魔法でもなんでもありません。ただの『ゴミ』です」「ゴ……ゴミ……?」シャルレットの言葉に、タカシの顔が怒りで朱に染まった。「ふざけるなよクソガキがぁ!!俺様たちが神から授かった『絶対』のチートスキルをゴミだと!? レベル九百九十九の俺様に喧嘩を売ったこと、あの世で後悔させてやる!!」



 タカシが激昂と共に大剣を振り下ろした。放たれたのは、山脈をも消滅させる熱量を持った極太の光柱『絶対貫通撃』。いかなる防御結界をも無視し、対象の存在概念そのものを焼き尽くす一撃が、一直線にシャルレットの細い身体へと迫り来る。誰もが少女の死を確信し、目を閉じた。しかし。シャルレットは、迫り来る死の光柱を前にして、ふうっと小さく息を吐き、両手の袖をキュッと捲り上げたのである。「お父様が仰っていました。『山小屋がひどく汚れてしまった時は、ただの箒では綺麗にならない。根本から拭き清めるお手伝い魔法を使いなさい』と」それは、かつて深山の奥地で、彼女の養父たる前魔王ゴーゼルが授けた教えであった。 ゴーゼルは幼いシャルレットに、この世界のあらゆる事象を干渉し、破壊し、再生させる神代の超古代魔法群を、あろうことか『日常の家事手伝い』として叩き込んでいたのである。「いきます。お手伝い魔法その一『雑巾がけ』」シャルレットが、両手を前方に突き出し、空中の見えないガラスを拭くように、右から左へとスッと腕を動かした。ただ、それだけの動作であった。 魔力の詠唱もない。複雑な印も結ばない。



――ズガァン……ッ!!!



 次の瞬間、世界から一切の『音』が消え失せた。タカシの放った『絶対貫通撃』の極太の光柱が、シャルレットの手が空を拭いた軌跡に合わせて、まるで黒板のチョークの粉が黒板消しに拭き取られるかのように、空間ごと『削り取られ』、完全に消滅してしまったのである。「……は?」タカシの口から、間抜けな声が漏れた。光柱が消えたのではない。彼が放ったチートスキルの概念そのものが、空間ごと拭き清められ、なかったことにされたのだ。「な……何をした……!?俺様の絶対貫通が……ただ手を振っただけで消えただと……!?」五百名の転生者たちも、あまりの光景に言葉を失い、武器を下ろして硬直している。しかし、シャルレットの『お手伝い』はまだ始まったばかりであった。「うーん……やっぱり、長年放置された汚れは頑固ですね。雑巾がけだけでは、根本的なお掃除にはならないみたいです」シャルレットは小首を傾げると、ふと足元の地面を見つめた。「お父様はこうも仰っていました。『お庭に生えた悪い雑草は、葉っぱを千切るだけでは駄目だ。根っこから引き抜かないと、またすぐに生えてきてしまう』と」少女はしゃがみ込み、両手で何もない空間の地面を、そっと掴むような仕草をした。「皆様のその乱暴な力は、世界にとっての悪い雑草です。ですから、私が綺麗に抜いて差し上げますね。お手伝い魔法その二――『お庭の草むしり』」シャルレットが、空間を掴んだ両手を、ゆっくりと上へ持ち上げた。



――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!



 その瞬間、世界が、否、次元そのものが軋むような絶望的な重低音が響き渡った。セフティーヌ学園を包み込んでいた空間が激しく波打ち、空の紫色の雲が螺旋を描いて吹き飛んでいく。転生者たちの足元から、見えない『巨大な根』が引き抜かれるような凄まじい衝撃が走った。「ぎゃあああああああああっ!?」「な、なんだこれ!?俺の身体から……俺の魂から……何かが引き剥がされていくゥゥゥッ!?」転生者たちが次々と喉を掻き毟り、地面を転げ回って絶叫を上げ始めた。彼らのステータス画面が、空中に半透明の板となって強制的に可視化され、そこに刻まれた『絶対回避』『無限魔力』『概念相殺』といったチートスキルの文字が、まるで見えない巨大な手に引き千切られるように、バリバリと音を立てて剥がれ落ちていく。「や、やめろおおおっ! 俺の……俺のチートが!!神様から貰った俺だけの特別な力がぁぁぁっ!!」「レベルが……!レベル九百九十九から……三百……百……一に下がっていく……!! 嘘だろ!?こんなのあり得ない!!」それは、防御や抵抗という次元の話ではなかった。シャルレットが発動した『草むしり(超古代概念破壊魔法)』は、対象の魂にこびりついた理外の恩恵を「世界の異物(雑草)」と認識し、根こそぎ強制排除する神威の御業であった。いかにチートスキルを誇ろうとも、彼らの力はしょせんシステムの上に成り立った後付けのプログラムに過ぎない。しかし、シャルレットの力は、その世界を動かすシステムそのものを素手で書き換える『特権階級の暴力』であった。「ふふっ、おっきな根っこが抜けました!」シャルレットが両手をポンと叩くと、空中に浮かび上がっていた無数のチートスキルの残滓が、キラキラと光るただの魔力粒子となって霧散し、大気に溶けて消えていった。後に残されたのは、圧倒的な静寂であった。ほんの数分前まで、無敵の力に酔いしれ、魔族たちを見下して嘲笑っていた五百名の転生者軍勢。 彼らは今や、すべての力を失い、魔力も底を尽き、ただの『レベル一の脆弱な人間』へと成り下がって地面に這いつくばっていた。「あ……ああ……俺の……俺の力が……」勇者タカシは、その場にへたり込み、白目を剥いて泡を吹いていた。彼の誇りであった大剣はただの重い鉄塊となり、彼を持ち上げていた全能感は、粉々に打ち砕かれていた。シャルレットの放った『お手伝い魔法』は、誰一人傷つけることなく、一滴の血も流させることなく、圧倒的な絶望だけを転生者たちの心に刻み込み、その脅威を完全に消し去ったのである。



「……ば……化け物……」



 瓦礫の影からその一部始終を目撃していたアールト・シャプティーナは、ガチガチと歯を鳴らしながら、腰を抜かして震えていた。彼がかつて『ドブネズミ』と呼んで蔑んだ少女は、世界を滅ぼしかけた異界の軍勢を、ただ『掃除』という名目で瞬時に無力化したのだ。そして、その惨状(?)に駆けつけた者たちがいた。魔王城から急行してきた、魔王国最高戦力である『四天王』たちである。「お、遅れたか!?転生者どもはどこだ!!」土煙を上げて着地したのは、火の四天王カルミラと、風の四天王ヴェルナー、そして水の四天王ジークフリートであった。彼らは即座に戦闘態勢をとったが、目の前に広がる光景を見て、一様に動きを止めた。無惨に倒れ伏し、絶望に涙を流す五百名の人間たち。 そして、その中央で「ふう、お掃除完了です!」と額の汗を拭っている、一人の可憐な少女。「……ジークフリート。敵の……転生者たちの魔力反応は……どうなっている……?」風の四天王ヴェルナーが、胃のあたりを強く押さえながら、震える声で尋ねた。水の四天王ジークフリートは、片眼鏡の魔力測定器を覗き込み、そして――パリンッ、と片眼鏡が砕け散る音と共に、顔面を蒼白にさせた。「……全滅……いえ、消滅、しています。転生者どもが持っていた異常な魔力反応、チートスキルの概念波長……そのすべてが、この空間から『完全に拭き取られて』います。数値は……限りなく、零(ゼロ)です」「は……?」ヴェルナーは、理解不能な報告に思考を停止させた。魔王国の精鋭部隊を瞬く間に壊滅させた無敵の軍勢が、傷一つ負っていない一人の少女によって、能力そのものを剥奪されている。「ぎゃははははははははっ!!!!!!」静寂を切り裂いたのは、火の四天王カルミラの腹の底からの爆笑であった。 彼女は地面をバンバンと叩き、涙を流しながら笑い転げた。「最高だ!やっぱり最高だぞお前!!おいヴェルナー見ろよ!俺たちが血眼になって警戒してた異界の勇者どもが、あの小娘の『お手伝い』とかいう謎の暴力で全員ただの素っ裸にされちまってるぞ!!ギャハハハ! あいつ、本当に世界を滅ぼせる本物の化け物だ!!」「笑い事ではないカルミラ!! 胃が……私の胃が……破裂する……!!」ヴェルナーはその場に崩れ落ち、両手で胃を押さえながらうめき声を上げた。我がシャプティーナ家の息子は、編入初日にこの絶対的強者に喧嘩を売ったのだ。いつ一族郎党が『お掃除』されてもおかしくない。その恐怖が、ヴェルナーの胃壁を容赦なく削り取っていく。「シャルレット殿……」血まみれの身体を引きずりながら、レオンハルトがクレアと共に進み出た。二人は、畏敬の念を込めて、シャルレットに向かって深く首を垂れた。「感謝する。貴女は……この学園を、いや、魔王国そのものを救ってくれた。我々では束になっても敵わなかった相手を、一瞬で……」しかし、シャルレットは慌てて両手を振り、レオンハルトの言葉を遮った。「と、とんでもありません!私はただ、お部屋が散らかっていたので、お掃除のお手伝いをしただけです!皆様がお怪我をされていなくて、本当に良かったです!」少女はニコッと、どこまでも無邪気で純粋な笑顔を咲かせた。その笑顔の裏に潜む『世界を容易く作り変える超古代の神威』に、ただ一人、シャルレット自身だけが、全くの無自覚であった。『ふん。手加減を覚えただけでも褒めてやるべきか。この程度の羽虫どもに、主の真の力を振るうまでもなかったからの』肩の上のル・レットが、誇らしげに小さな胸を張って鼻を鳴らす。



 こうして、セフティーヌ学園を襲った未曾有の危機。転生者軍勢による侵攻は、一人の少女の『お掃除』によって、あっけなく幕を閉じたのである。 そしてこの日を境に、セフティーヌ学園におけるシャルレット・ル・トロイの扱いは、「特待生」から「絶対に怒らせてはいけない歩く厄災(あるいは神)」へと、完全な昇格を果たすのであった。


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