第六章 迫りくる「勇者(転生者)」の影
第九演習場の蒸発事件以降、セフティーヌ学園には奇妙な「平穏」が訪れていた。シャルレットが廊下を歩けば、生徒たちはモーセの十戒のごとく道を空けて最敬礼を捧げ、教師たちは「どうか本日も穏やかにお過ごしください」と心の中で神に祈りを捧げる。火の四天王カルミラは毎日のように訓練場から「シャルレットー!今日も追いかけっこしようぜー!」と大声を張り上げ、その度に風の四天王ヴェルナーが胃を押さえて吐血しかけるというのが、いまや学園の日常風景となっていた。だが、その平和な日常の裏側で、ヴォルクレイス皇国を揺るがす巨大な脅威が確実に忍び寄っていた。魔王城の最深部、円卓の会議室。 重々しい空気の中、現魔王ヴァルディスと魔王四天王たちが顔を揃えていた。「……報告を許可する、ジークフリート」ヴァルディスが重い口を開くと、水の四天王ジークフリートが眼鏡のフチを上げ、宙に浮遊する青い魔導投影図を示した。「東部国境線および、セフティーヌ学園に近接する『ルミナス森林地帯』の防衛線が突破されました。相手は例の『転生者』……自らを『神に選ばれし勇者』と称する者たちです」会議室に緊張が走る。近年、人間界において突如として現れ始めた存在――それが『転生者(勇者)』であった。彼らはこの世界の理とは異なる異界の知識と、神から与えられたとされる異常な『チートスキル』を保有し、既存の魔導理論を無視した力で魔王国の領土を脅かしていたのだ。「被害の状況は?」土の四天王ボルドーが太い眉をひそめる。「悲惨の一言です。相手は『無限魔力供給』と『絶対貫通撃』という二つのチートスキルを保持する転生者――自称・勇者タカシ。我が国の第一軍斥候部隊、および防衛結界師団が、一切の反撃も許されず瞬時に壊滅させられました」「くっ……!あの下品な能力者どもめ……!」火の四天王カルミラが机を激しく叩く。「奴らの狙いは何だ?」風の四天王ヴェルナーの問いに、ジークフリートは冷徹な声で答えた。「セフティーヌ学園です。我が国の未来を担う若きエリートたちが集う最高峰の施設を破壊し、魔王国の士気を完全に挫く気でしょう。現在、勇者タカシ率いる転生者部隊約五百名が、学園の領地境界線へと急速に接近中。到達まで……あと一時間もかかりません」ヴァルディスは硬く拳を握りしめた。兄ゴーゼルを失い、自らの代で魔王国を崩壊させるわけにはいかない。「直ちに全軍を動員せよ!学園の生徒たちを退避させ、四天王総出で迎撃にあたるのだ!」しかし、その決定よりも早く、脅威はセフティーヌ学園の目前へと迫っていた。
――ゴォオン……ゴォオン……!
セフティーヌ学園全体に、開校以来初となる『特級警戒大鐘』の音が鳴り響いた。空が不気味な紫色に染まり、学園を囲む広大なルミナス森林地帯の木々が、凄まじい衝撃波によってなぎ倒されていく。「な……なんだ!?避難指示勧告……!?」「敵襲だ!転生者の勇者軍勢が襲ってきたぞ!!」校舎内は怒号と悲鳴に包まれた。生徒たちが我先にと地下シェルターへ駆け出していく。そんなパニックの中、特進クラスの教室では、シャルレットが小首をかしげて窓の外を眺めていた。「あら……?なんだか外が騒がしいですね。大きな鐘の音が鳴っていますけれど、避難訓練でしょうか?」シャルレットの肩の上で、三十センチメートルの漆黒龍ル・レットがギロリと窓の外に目を向け、忌々しそうに不快感をあらわにした。『フン……異界の薄汚い臭いがするぞ、シャルレット。神の威を借りた不遜な虫ケラどもが、この場所へ向かってきておる』その時、教室の扉が勢いよく開いた。「シャルレット!!」飛び込んできたのは、魔王長女のクレアと、兄のレオンハルトであった。クレアは肩を上下させ、必死の面持ちでシャルレットの手を掴んだ。「早く逃げるわよ!『勇者』よ!あの悪名高いチート転生者が、この学園を目標に攻め込んできたの!いくらあなたでも、異界のチートスキル相手じゃ……!」
「勇者様……ですか?」
シャルレットは目を丸くした。山にいた頃、父ゴーゼルから絵本で見せてもらった『正義の味方・勇者様』の姿を思い出していたのだ。「わあ!勇者様ってお話に聞く、困っている人を助けてくださる親切な方々のことですね!学園の見学にいらっしゃったのでしょうか?」「違うわよバカ!!奴らは見学どころか、私たち魔族を殺戮しに来たのよ!!」クレアが叫ぶ。レオンハルトも苦い顔で刀の柄に手をかけた。「シャルレット殿、クレアの言う通りだ。転生者どもが持つ『チート能力』は、我々の魔法の法則が通じない異常な力だ。父上たちが迎撃に向かっているが……非常に危険だ。地下へ退避を――」
その時であった。
――ズガアアアアアアン!!!!
学園の正面門が、巨大な光の柱によって跡形もなく吹き飛んだ。強烈な爆風が校舎を揺らし、窓ガラスが粉々に砕け散る。広大な校庭に降り立ったのは、金髪をなびかせ、黄金の鎧を身に纏った一人の男『勇者タカシ』であった。その背後には、異形な武器を手にした数百名の転生者軍勢が控えている。「ハハハハハ!なんだあ?魔王学校とか言っておいて、この程度の防壁かよ!雑魚すぎだろ!」タカシは肩に担いだ巨大な大剣を振り回し、下品な高笑いを上げた。その全身からは、神から与えられた『無限魔力供給』のオーラが、禍々しい金色となって溢れ出している。「おいおい、魔王のガキどもはどこだあ? 俺様は異世界から転生してきた選ばれし勇者タカシ様だぞ!この神から貰った『絶対貫通撃』のスキルの前には、どんな魔王の魔法も紙くず同然なんだよ!全員出てきて俺様の経験値になれや!!」校舎の二階や三階から恐怖に震えながら様子を覗き込む生徒たち。迎撃に出た結界教師ヴァルディや精鋭の教師陣が魔法を放つが、タカシの周囲に展開されたチート補正の前に、すべての攻撃魔法が着弾する前に掻き消されていく。「無駄無駄ぁ!お前らの魔法なんて、俺様のレベル九百九十九のステータスにはかすりもしねえんだよ!」タカシはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、校舎の屋上に視線を向けた。そこには、生徒たちを庇うようにして前に出た魔王長女クレアの姿があった。「ほう……なかなか可愛いお嬢ちゃんがいるじゃねえか。魔王の娘か?良し、お前を俺様の奴隷第一号にしてやるよ!」タカシが大剣を構え、チートスキル『絶対貫通撃』を発動させた。大剣の先から、空間を切り裂く極太の超高熱光線が放たれる。その威力は、直撃すればセフティーヌ学園の校舎ごとクレアを消滅させるに十分な破壊力であった。「くっ……!『金剛炎壁』――っ!」クレアが必死に全魔力を放出して防御結界を展開する。しかし、相手は既存の魔法法則を無視するチートスキル。結界は接触した瞬間にバリバリと亀裂を生み、壊滅の瞬間が迫る。「クレアーーーッ!!」レオンハルトが叫び、飛び出そうとした――その時。「――あ、危ないですから、お外で暴れてはダメですよ?」鈴の鳴るような、可憐で透き通った声が響いた。
次の瞬間。
クレアの目の前に、栗色の髪をなびかせた少女シャルレットが静かに舞い降りていた。シャルレットは、迫り来るチートスキルの超高熱光線に向かって、困ったような笑顔を向けながら、パチンと小さな『手拍子』を打った。パンッ。ただの、小さく可憐な手拍子の音。しかし、その音が響いた瞬間、世界からすべての熱と光が消失した。勇者タカシが自信満々に放ったチートスキル『絶対貫通撃』の極太光線が、まるで打ち上げ花火の不発弾のように、ショボショボと黒い煙を上げて「消えた」のだ。
静寂。
勇者タカシは、突き出した大剣を構えたまま、目と口を極限まで見開いて凍りついていた。「は……?な……何が起きた……?俺様の……絶対貫通撃が……消えた……!?」理解不能の事態に、タカシの頭脳がフリーズする。ステータス画面にも、スキルログにも、何の異常も表示されていない。ただ、目の前の十二歳くらいの少女が『手拍子』をしただけで、神から賜った絶対的なチートスキルが概念レベルで無力化されたのだ。シャルレットはトコトコと校庭へ歩み出ると、勇者タカシに向かって丁寧にお辞儀をした。「初めまして、勇者様!私、シャルレット・ル・トロイと申します! 山奥から参りました!」無知ゆえの、完璧な純粋さと笑顔。タカシは額からダラダラと油汗を流しながら、必死に大剣を突きつけた。「が、ガキ……!お前、今どんな卑怯なアイテムを使いやがった!?俺様は転生者だぞ!? 『無限魔力供給』と『絶対貫通』を持った無敵の存在なんだよ!!」シャルレットは不思議そうに小首をかしげた。「むげん……?ぜったいかんつう……?よく分かりませんが、勇者様のお使いになったものは、少し魔力の出し方が大雑把すぎます」「な……なにぃ!?」「お父様が仰っていました。『本当に大切な力は、山のお花を摘むときのように、優しく丁寧に扱わなければならない』と。勇者様の魔力は、とっても乱暴で……お友達(世界)を傷つけてしまっています」シャルレットは困ったように微笑むと、可憐な右手をすっと前に掲げた。「お勉強のために、お父様から教わった『山のお掃除(落ち葉集め)の魔法』をお見せしますね! これで、乱暴な魔力を綺麗に片付けましょう!」肩の上のル・レット(三十センチメートル)が、やれやれと首を振る。『やれやれ。神の加護とやらを誇る羽虫よ、自らの無知と過ちを死ぬほど後悔するが良い……』シャルレットの細い指先が、クルリと円を描いた。
――その瞬間。
セフティーヌ学園の上空に、巨大な『黒い渦』が出現した。それは魔法陣ではない。空間の歪みでもない。シャルレットが描いた「落ち葉集めの円」に従い、周囲数キロメートルに存在するあらゆる魔力、熱量、運動エネルギー、そして勇者タカシたちが誇る異界の『チートスキルの概念』そのものが、圧倒的な質量となって一箇所へ引き寄せられ始めたのだ。
ズズズズズズズズズズッ……!!!!!
「な……なんだこれえええええっ!?俺様の『無限魔力』が……抜けていく……!?スキルが……スキルが書き換えられていくえええええっ!?」勇者タカシが狂ったように悲鳴を上げた。彼らが「神からの特別な力」と信じて疑わなかったチートスキルは、シャルレットが放つ『あまりにも圧倒的で緻密な本物の魔術理論』の前では、ただの「初歩的な魔力の破綻」に過ぎなかったのだ。落ち葉を集めるように、転生者五百名が持っていたチート能力と魔力が、一瞬でシャルレットの指先へと吸い寄せられ、小さな「光の球体」へと圧縮されていく。「はい!綺麗に集まりました!」シャルレットはニコッと笑うと、指先に乗った光の球体を、ポイッと空へ向かって放り投げた。
――シュイン……パンッ!
上空千メートルで、光の球体が弾けた。その瞬間、学園全体に清々しい新緑の風が吹き抜け、壊れていた正面門や、なぎ倒されていたルミナス森林地帯の樹木たちが、まるで時間を巻き戻すかのように一瞬で元通りに再生していったのだ。シャルレットが放った「お掃除魔法」は、異常なチート魔力を完全にろ過・変換し、傷ついた自然と建造物を修復する最高峰の『創世再生魔法』として昇華されたのである。
静寂。
チート能力を完全に吸い上げられ、ただの「レベル一の無力な人間」へと戻った勇者タカシと五百名の転生者軍勢は、その場にガタガタと崩れ落ち、虚無の表情でシャルレットを見上げていた。「あ……ああ……俺様の……俺様のチートが……」タカシは泡を吹いてその場に倒れ込んだ。そこへ、遅れて到着した現魔王ヴァルディスと魔王四天王たちが、絶句した様子で降り立った。「な……何が起きたのだ……?転生者たちのチート反応が……完全に消滅している……!?」水の四天王ジークフリートが、魔法計測器を手に目を見開く。火の四天王カルミラは、無傷で元通りになった学園と、ポカンと立ち尽くすシャルレット交互に見比べ、再び腹を抱えて大爆笑した。「ギャハハハハハハハ!最高だ!魔王軍を苦しめていた無敵の勇者軍勢が、ただの『お掃除魔法』で一瞬で無力化&お片付けされちまったぞ!!」風の四天王ヴェルナーは、あまりの安堵と胃の限界により、その場に膝を突いて涙を流した。 「た……助かった……我がシャプティーナ家も……学園も……」現魔王ヴァルディスは、静かにシャルレットの元へと歩み寄った。その瞳には、かつての兄ゴーゼルに対する恐怖と、それを遥かに超える愛娘シャルレットへの底知れぬ敬意が宿っていた。「シャルレット……お前は、またしてもこの国を救ってくれたのだな……」シャルレットは振り返ると、申し訳なさそうに頭を下げた。「あ、叔父様!申し訳ありません、勇者様たちが少しお部屋(学園)を散らかしていらっしゃったので、お掃除をさせていただきました。勝手なことをして申し訳ありません……!」どこまでも素直で、己のした偉業にまったく気づいていない少女。ヴァルディスは苦笑いを浮かべ、その優しく栗色の髪を撫でた。
「いや……見事なお掃除だった。感謝する、シャルレット」
こうして、ヴォルクレイス皇国を長年苦しめていた「チート転生者(勇者)」の脅威は、シャルレットの「普通のお掃除魔法」によってあっけなく粉砕された。しかし、この学園防衛戦の結末は、さらなる波乱の幕開けに過ぎなかった。シャルレットの存在と、その圧倒的な「規格外の力」は、人間界のさらなる権力者たち、そして世界そのものの理を揺るがす巨大な渦となって広がり始めていたのである。




