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第五章 実技演習と四天王の困惑

 セフティーヌ学園におけるシャルレット・ル・トロイの存在は、すでに校内の日常そのものを変貌させつつあった。登校すれば全校生徒が敬意と畏怖を込めて道を譲り、図書室へ行けば魔王家次男のレオンハルトが影から恭しく給仕の準備をし、放課後になれば史上最年少の天才リリネット教授が「シャルレット師匠!」と目を輝かせてノートを広げて待っている。さらには魔王長女のクレアから毎朝のように「ツンデレなお手紙」とお菓子が届く始末である。



 しかし、当のシャルレットは変わらず純粋そのものであった。「ル・レット様、今日はいよいよ楽しみにしていた『屋外実技演習』です!教科書で習った魔法を実際に使うお時間ですよ!」『ふむ……実技か。まあ、お前が加減を間違えて、この学園を首都ごと消滅させんことだけを祈るとしよう』シャルレットの肩の上で、三十センチメートルの愛らしい姿となった漆黒龍ル・レットがパタパタと小翼をはためかせ、小さく息を吐いた。広大なセフティーヌ学園の第九訓練場。ここは通常、高等部の高位魔導師たちが破壊的魔法の実験を行うために作られた、特厚の防護壁で囲まれた特殊演習場である。そこに集まったのは、シャルレットを含む特進クラスの生徒たち。そして、彼らを見守る(あるいは監視する)ために、普通ではあり得ない顔ぶれが勢揃いしていた。教壇に立つのは、編入試験の際にも立ち会った結界魔法担当教師、ヴァルディ・オルロックである。痩せ型で神経質そうな彼は、すでに冷や汗で襟元を湿らせていた。そして演習場の見学席には、魔王直属の最高戦力――『魔王四天王』のうちの二名が姿を見せていた。



 一人目は、風の四天王ヴェルナー・シャプティーナ。四天王筆頭であり、シャルレットに難癖をつけたアールトの父親である。彼は重厚な軍服に身を包みながらも、右手を絶え間なく胃のあたりに当て、苦痛に満ちた表情を浮かべていた。もう一人目は、火の四天王カルミラ・ヴァルハイト。十八歳にして魔王軍第一軍を率いる最年少四天王であり、燃えるような赤髪を一本のポニーテールに結ねた武闘派の美少女である。彼女は手すりに身を乗り出し、興奮を隠しきれない様子で目を輝かせていた。「おいおいヴェルナー、顔色が真っ青だぞ? そんなに胃が痛むのか?」カルミラが豪快に笑いながら、隣のヴェルナーの背中をバシバシと叩く。「……カルミラ殿、笑い事ではない……」ヴェルナーは胃を押さえながら、途切れ途切れに声を漏らした。「我がバカ息子アールトが、編入初日にあの少女……シャルレット殿を『ドブネズミ』呼ばわりし、あろうことか漆黒龍を『おとぎ話のトカゲ』と侮辱したのだぞ……。我がシャプティーナ家は、いつあの龍の一撃で歴史から消し飛んでもおかしくないのだ……!」「ハハハ! アールトのやつもいい度胸だな!だが安心しろ、今のところあの小娘にシャプティーナ家を滅ぼす意図はなさそうだ。……それより見ろよ、あの佇まい。只者じゃねえぞ」カルミラの視線の先では、シャルレットが素朴な麻の紐で束ねた栗色の髪を揺らし、ニコニコと準備運動の屈伸をしていた。教壇のヴァルディ教師が、乾いた咳払いをして声を張り上げた。「え、えー……これより『実技防御演習』を執り行う!本日の課題は単純だ。私が展開する『特級多重複合防壁』に対し、各自が習得している最高火力の攻撃魔法を打ち込み、その威力を測定する!」ヴァルディが長い杖を地面に突き立てると、重厚な呪文の詠唱が始まった。『太古の地に眠りし金剛の理よ、我が生け贄の魔力を糧に絶対の檻を構築せよ・第七重結界・絶の型』!



ズズズズズ……!



 演習場の中央に、幾重にも重なる青銀色の結晶体が現れた。光を乱反射するその結界は、城砦の壁よりも遥かに厚く、物理・魔力を問わずあらゆる衝撃を遮断する絶対防御の威容を誇っていた。「……ふう」ヴァルディは額の汗を拭い、自慢げに眼鏡を押し上げた。「この結界は、我がアスタロト家……いや、オルロック家に伝わる秘伝の防御陣!竜の吐息(ブレス)すらをも三度は防ぎ切る完璧な防壁だ! さあ、順番に打ち込んでみるがいい!」最初に指名されたのは、四天王の息子アールトであった。アールトは前に出ると、必死に震える手を抑えながら詠唱を行った。「『燃え盛る炎の槍よ、敵を穿て・火竜の咆哮』!」ゴーッ!と巨大な炎の槍が放たれ、結界に激突する。しかし、結界はピクリとも動かず、小さな火花を散らして炎を霧散させた。「ふむ、アールト君。合格点だ。結界にわずかな波紋を生じさせた」 ヴァルディが頷く。アールトは胸を撫で下ろし、こっそりとシャルレットの方を盗み見た。(どうだ……!僕の魔法だって四天王の血を引く本物だ!あいつがどれほど異常だろうと、この結界を簡単に破れるはずが――)そして、運命の順番が訪れた。「……つ、次は、編入生……シャルレット・ル・トロイ!」ヴァルディの声がかすかに裏返る。演習場全体に、息を呑むような静寂が訪れた。見学席のヴェルナー四天王は、祈るように両手を合わせ、胃薬を口に放り込んだ。カルミラは拳を握りしめ、「見せてみろ、山奥の規格外!」と身を乗り出す。シャルレットは「はい!」と元気よく返事をすると、トコトコと定位置へ歩み出た。

「ヴァルディ先生!こちらの結界に、私の知っている一番普通の魔法をお打ち込みすればよろしいのですね?」「あ、ああ……『普通』で頼むぞ……?絶対に『普通』だぞ……!?」 ヴァルディの必死の懇願。シャルレットは素直に頷いた。「はい!お父様から『挨拶の次は、お友達と遊ぶときのかくれんぼ魔法を覚えなさい』と教わりましたので、一番基礎的な『お追いかけっこ魔法』を使わせていただきます!」シャルレットが可憐に両手を前に突き出した。 杖も、魔導書も使わない。ただ、少女の細い指先が、空間にポンと触れた。



――その瞬間。



 天が、歪んだ。詠唱はない。魔力のチャージ音すら存在しない。ただ、シャルレットの指先から『概念そのものを押し潰す透明な質量』が解き放たれた。空間がミシミシと悲鳴を上げ、大気が圧縮されて自ぜん発生的なプラズマの光を放ち始める。「な……なん……っ!?」 ヴァルディが目を見開いた瞬間――。



――ドカアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!!!



 光すら置き去りにする壮絶な衝撃波。ヴァルディが誇る「竜の吐息すら防ぐ絶対結界」は、破られるでも、砕かれるでもなく最初からそこに存在しなかったかのように『蒸発』した。衝撃はそれだけに留まらなかった。結界を穿った透明な圧力は、そのまま第九演習場の特厚防護壁を紙くずのように突き破り、背後にあった幾重もの山々を貫通。遥か彼方の地平線まで一直線に巨大な「風穴」を削り取っていったのである。ドゴォオン……と、数キロ先にある山が半壊する音が遅れて響いてくる。演習場には、心地よい雲一つない秋晴れの風が吹き抜けていた。第九演習場を囲んでいた壁の半分が無くなり、見渡す限りの絶景が広がっている。静寂。死よりも深い静寂が、演習場を支配した。アールトを含む生徒たちは全員白目を剥いて失神。結界を展開していたヴァルディ教師は、杖を持った姿勢のまま魂が口から抜けかけていた。見学席では――。「……ガハッ……!?」風の四天王ヴェルナーが、あまりの衝撃と恐怖に、口から血を吐いてその場に崩れ落ちていた。「う……胃が……我がシャプティーナ家が……一瞬で消滅するところだった……。あれが……あれが『お追いかけっこ魔法』だと……!?かくれんぼで遊ぶ相手を物理的にこの世から消し去る気か……!?」その横で。火の四天王カルミラは、一瞬の呆然の後――。「ギャハハハハハハハハハハハハッ!!!!最高だ!!最高だぞあいつーーーっ!!!え」腹を抱えて大爆笑を始めた。手すりをバンバンと叩き、涙を流しながら笑い転げる。「見たかヴェルナー!?結界どころか山ごと持っていきやがったぞ!!『お追いかけっこ』だと!?あんなもん食らったら追いかける前に原子レベルで消滅するわ!!ハハハ、傑作だ!久々に骨のある奴が現れやがった!!」カルミラの爆笑の声が、静まり返った演習場に虚しく響き渡る。当のシャルレットは、ぽかんと小さく口を開けて、吹き飛んだ山々を眺めていた。「あ……あちゃあ……」シャルレットは慌ててポリポリと頬をかき、絶句しているヴァルディ教師に向かってペコペコと頭を下げた。「ご、ごめんなさいヴァルディ先生!お父様の言っていた『お追いかけっこ』の加減を間違えてしまいました!山にいた頃は、ル・レット様がこの十万倍くらいの力で打ち返してくださっていたので、これが普通の加減だと思っておりまして……!」ヴァルディはガクガクと膝を震わせながら、掠れた声で囁いた。「十万倍……?漆黒龍は……毎日そんな攻撃を打ち返していたというのか……?」『ふむ、当たり前であろう』シャルレットの肩の上で、三十センチメートルのル・レットが威風堂々と胸を張った。『シャルレットの踏み込みはまだまだ甘いからの。今の攻撃など、余からすれば心地よい羽風のようなものじゃ。まあ、有象無象の人間どもには刺激が強すぎたようだがな』ヴァルディはその場にバタリと倒れ込み、白目を剥いて意識を失った。「おい! シャルレット!!」ドスン!と豪快な音を立てて、見学席から三階分の高さを飛び降りてきたのは、火の四天王カルミラであった。 カルミラはシャルレットの前に仁王立ちになると、ニヤリと凶悪で魅力的な笑みを浮かべ、シャルレットの肩をガシッと掴んだ。「あ……カルミラ様?」「お前、最高だな!気に入ったぞ!おい、魔王学校の授業なんて退屈だろ?今すぐ我が第一軍に来い!お前なら一瞬で大将になれるぞ!」「ええっ!?大将ですか!?いいえ、私はお勉強をしに学園へ来ましたので……!」「ハハハ!冗談だ(三分の一くらいな)!だがな、シャルレット。お前のその『普通』、私は大嫌いじゃないぜ!今度、私と一勝負しろ!もちろん、本気の『お追いかけっこ』でな!」カルミラの豪快な誘いに、シャルレットは嬉しそうに目を輝かせた。「はい!カルミラ様とお追いかけっこができるなんて楽しみです!よろしくお願い致します!」後ろで倒れていたヴェルナー四天王が、最後の力を振り絞って手を伸ばした。「や、やめろカルミラ……学園どころか……ヴォルクレイス皇国が崩壊する……だれか……胃薬を……」こうして、実技演習は、第九演習場と遥か彼方の山々を半壊させ、風の四天王を胃潰瘍の危機に追い込み、火の四天王を大歓喜させるという大惨事(?)の末に幕を閉じた。シャルレット・ル・トロイの「普通」という名の天災は、セフティーヌ学園の歴史に、また一つ消えない(物理的な)傷跡を刻み込んだのである。


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