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第四章 魔王家の血族

 漆黒龍降臨、そして教師ガルブレイスの失脚と天才リリネット教授の弟子入り。一連の出来事により、セフティーヌ学園におけるシャルレット・ル・トロイの名は、恐怖と敬畏を込めて全校生徒に知れ渡ることとなった。だが、当のシャルレット本人は、己がどれほどの渦を生み出しているのかまったく理解していない。「う~ん、魔王国の教科書はとっても面白いですね!山にはなかった歴史の本がたくさんあって、毎日勉強が追いつきません!」



 放課後の第一図書室。窓際の陽だまりの中、シャルレットは積み上げられた分厚い魔導書を前に、楽しそうにペンを走らせていた。その肩の上では、三十センチメートルの可愛らしい姿となった漆黒龍ル・レットが、パタパタと翼を休めながら愛娘(孫)の勉強風景を満足そうに見守っている。『ふむ、シャルレットよ。熱心なのはよいが、あまり根を詰めすぎるなよ。腹が減っては魔法の精度も鈍るからの』「大丈夫です、ル・レット様!学園の食堂でいただいたパンがとっても美味しかったので、元気いっぱいです!」ニコニコスヤスヤと平和な時間を楽しむ二人。しかし、その穏やかな空気を破るように、図書室の重厚な扉が豪快に開け放たれた。ヒタヒタと響く、洗練された靴音。現れたのは、息を呑むほど華やかな二人の人物であった。一人目は、腰まで届く鮮やかな燃えるような赤髪をなびかせた、高貴な佇まいの少女。セフティーヌ学園の特進クラスに在籍する、現魔王ヴァルディス・ル・トロイの長女。クレア・ル・トロイ(十二歳)である。シャルレットと同い年でありながら、その表情には強い誇りと勝気な意志が宿っており、身に纏う制服も最高級のシルクと金糸で飾られている。そしてその背後から、静かに、しかし圧倒的な威圧感を纏って追従するのが、クレアの兄であり魔王家の次男。レオンハルト・ル・トロイ(十四歳)であった。漆黒の髪に流し目の黒目、弱肉強食を体現したような冷徹な雰囲気を漂わせる彼は、すでに若手魔導師の中でも一目置かれる実力者である。「あなたが、例の『山奥の野良魔族』ね」クレアは高ヒールを鳴らしてシャルレットのテーブルの前まで歩み寄ると、腕を組んで見下すように言い放った。その燃えるような赤目には、明確な敵意とライバル心がメラメラと燃え上がっている。シャルレットはハッと顔を上げ、椅子から立ち上がると丁寧にお辞儀をした。「初めまして!私はシャルレット・ル・トロイと申します。……あ、お名前は伺っております! ヴァルディス叔父様のご令嬢、クレア様ですね!」シャルレットの無垢な笑顔と、「叔父様」という血縁を肯定する言葉に、クレアはキーッと眉を吊り上げた。「馴々しく『叔父様』なんて呼ばないでちょうだい!私は現魔王ヴァルディスの正統なる長女、クレア・ル・トロイよ!敗残兵として山に逃げ延びた伯父ゴーゼルの娘など、私は認めていないわ!」クレアの取り巻きの生徒たちが、図書室の遠巻きからゴクリと唾を飲み込む。「出たぞ……魔王家の長女クレア様だ……!」「クレア様は十二歳にして皇国屈指の火炎魔術の使い手。誇り高き彼女が、山から突如現れて話題を独占するシャルレットを黙って見過ごすはずがない……!」クレアの横に立つ兄レオンハルトは、静かに腕を組み、冷ややかな視線でシャルレット観察していた。「……クレア、あまり無駄口を叩くな。父上が『手を出されるな』と厳命された相手だ。だが……」レオンハルトの視線が、シャルレットの肩に乗る三十センチメートルの黒龍に向けられる。「あの漆黒龍を従えているというハナシが真実かどうか、この目で確かめる価値はある」『ほう……若造が。余をただの蜥蜴(トカゲ)扱いか。一瞬で灰にしてやろうか?』ル・レットがギロリと殺意を放つが、シャルレットは「ダメですよル・レット様、お友達のお兄様なのですから」と宥めるように頭を撫でた。クレアはバサリと扇子を開き、シャルレットに突きつけた。「シャルレット!あなたが編入試験で山を吹き飛ばしたのも、ガルブレイス教授を陥れたのも、どうせ何か卑怯な古代遺物(アティファクト)を使ったハッタリよ!魔王家の正統なる血を引くこの私が、あなたのメッキを剥がしてあげるわ!」「ええと……メッキ、ですか?」首をかしげるシャルレット。クレアは高らかに宣言した。「今から私と『魔力威圧(オーラ)の勝負』をしなさい!魔王の血を引く者同士、どちらの魔力が上か、この場で証明するのよ!もしあなたが負けたら、今すぐその『ル・トロイ』の家名を捨てて、山へ帰りなさい!」勝負の申し出。 魔王家において『魔力威圧の勝負』とは、互いの魔力を放出して精神と肉体を直接圧迫し合う、極めて危険な決闘を意味する。



 しかし、シャルレットの脳内変換はまったく異なっていた。(魔力の勝負……?あ、なるほど!お父様がよく言っていた『お互いの魔力を見せ合って、ご挨拶をする手習い』のことですね!クレア様は私とお友達になりたくて、魔族の正しいご挨拶を提案してくださったんだわ!)シャルレットはパッと表情を輝かせ、嬉しそうに頷いた。「はい!クレア様、喜んでお相手させていただきます!私、魔族の正しいお作法でご挨拶をするのは初めてなので、とっても楽しみです!」「ふん、強がりを!後悔しても遅いわよ!」クレアが不敵に笑い、両手を広げた。



――ゴオオオオオオオオッ!!!!



 瞬間、第一図書室全体が激しい赤熱の光に包まれた。クレアの体内から溢れ出すのは、過剰なまでの超高熱魔力。空気が歪み、周囲の書棚が熱気で焦げ始める。十二歳にして、一軍の将に匹敵する壮絶な魔力密度。「どう!?これが魔王ヴァルディスの血を引く、私の最高出力の熱界魔力よ!!ひれ伏しなさい、シャルレット!!」クレアの叫びと共に、赤熱の魔力波が真紅の嵐となってシャルレットへ襲いかかった。遠巻きに見ている生徒たちが「きゃああっ!」「図書室が燃えるぞ!」と悲鳴を上げて逃げ惑う。兄レオンハルトは口元に薄い笑みを浮かべ、妹の成長を確信していた。(……見事だ、クレア。ここまでの熱量を叩き出せば、並の魔族なら一瞬で精神が崩壊する。いくら漆黒龍の後押しがあろうと、シャルレット自身の許容量を超えれば――)だが。その真紅の熱風の渦中で、シャルレットはただ「へえ~!」と感心した声を上げていた。「クレア様、とっても温かくて素敵なご挨拶ですね! まるで山で煮込み料理を作るときの薪の火みたいです!」「な……なんですって……!?」クレアが目を見開く。己の全力の魔力威圧を真正面から浴びながら、シャルレットは髪一本揺らさず、汗一つかいていないのだ。「では、私もお返しに……お父様から教わった『一番小さな、普通のご挨拶』をお見せしますね!」シャルレットが、ちょこんと可愛らしく右手の小指を立てた。



――その瞬間。



世界から、すべての「音」が消えた。



ズズ……ズズズズズズズズズッ……!!!!!



 シャルレットの小指の先から放たれたのは、光すら呑み込む圧倒的なまでの『純粋な魔力の超高密度塊』であった。色はない。ただ、空間そのものがシャルレットの小指を中心にミリ単位で歪み、クレアが放っていた真紅の熱界魔術が一瞬にして「霧散」……どころか、分子レベルで消滅した。図書室の温度が急激に低下する。シャルレットを中心に発生した魔力の絶対領域は、学園全体、いや、首都ヴァルクレイス全域の地下魔脈(レイライン)を一瞬で逆流させるほどの、途方もない質量を持っていた。



「ひ……っ!?」



 クレアの顔から、一瞬で血の気が失せた。 彼女の全身の細胞が、魂の底が、叫んでいた。 目の前にいるのは、同い年の少女ではない。『世界の法則そのものを書き換える、歩く天災』なのだと。レオンハルトの余裕の笑みが完全に凍りついた。膝がガクガクと震え、自慢の冷徹な思考が停止する。(バ……バカな……!?なんだこの魔力量は……!?小指一本の、それも『一番小さなご挨拶』だと……!?父上どころか……先代魔王、いや神代の魔神すら遥かに凌駕しているぞ……!!)シャルレットはニコニコと微笑みながら、小指をスーッとクレアの方へ傾けた。「クレア様~!参りますよ~!『よろしくね』のご挨拶です!」



――ドガアアアアアン!!!!



 光の波動が駆け抜けた。威圧の相殺。しかしそれは相殺などという生易しいものではなかった。シャルレットの放った「挨拶」は、クレアの魔力を優しく包み込むようにして無力化し、そのまま図書室の天井を突き破って天へと昇っていった。上空の雲が、半径十キロメートルにわたって綺麗に円形にくり抜かれる。雲の切れ間から、さんさんと降り注ぐ眩しい太陽の光。静寂が、図書室を支配した。天井には綺麗な丸い穴が開き、そこから日光がスポットライトのようにシャルレットとクレアを照らしている。クレアは腰を抜かし、尻餅をついたまま、ガタガタと震えてシャルレットを見上げていた。涙目が溢れそうになっている。



「あ……ああ……あ……」



 シャルレットはトコトコと駆け寄ると、ペタリと座り込んだクレアの手を両手で優しく包み込んだ。「クレア様!とってもステキなご挨拶、ありがとうございました!私、クレア様とこうしてお話しできて、とっても嬉しいです!これから仲良くしてくださいね!」澄み切った、悪意の欠片もない天使のような笑顔。クレアは真っ赤になった顔を背け、プルプルと震えながら叫んだ。「な……なによそれえええええっ!?なによそのデタラメな魔力はーーーっ!!あんたなんか……あんたなんか大嫌いよーーーっ!!」クレアは立ち上がると、涙を拭いながら猛ダッシュで図書室から逃げ出していった。「あ……クレア様!?」追いかけようとするシャルレット。しかし、その前に立ちはだかったのは兄レオンハルトであった。レオンハルトの額には、冷や汗がダラダラと流れている。彼は固まった手付きで刀の柄から手を離し、ゆっくりと深く頭を下げた。「……シャルレット殿」「あ、レオンハルトお兄様!」「……妹の無礼を許してほしい。クレアは魔王家の誇りが高すぎるあまり、己の未熟さを知らなかったのだ。……今日の勝負、完全に我らの負けだ」レオンハルトの声には、先ほどの冷徹さは微塵もなく、戦慄と深い敬意が混ざり合っていた。「え?勝負……?いいえ、私たちは普通のご挨拶をしただけですが……」シャルレットが不思議そうに首をかしげる。レオンハルトは乾いた笑いを漏らしながら、心の中で固く誓った。



 (……父上が『手を出すな』と言った理由が骨身にしみて理解できた。この娘は……触れてはならない神域の存在だ。敵に回しては絶対にダメだ……!)



 「シャルレット殿。これより魔王家次男レオンハルト……全力で貴殿の学園生活をサポートさせていただく。何か困ったことがあれば、何なりとお申し付けくだされ」「ええっ!? そんな、お兄様にサポートしていただけるなんて恐縮です!ありがとうございます!」シャルレットは嬉しそうに深々と頭を下げるのであった。その日の夕方。魔王城の執務室において、報告を受けた現魔王ヴァルディスは、頭を抱えて深いため息をついていた。「……そうか。クレアが仕掛け、一瞬で粉砕されたか」「はい、父上」報告するレオンハルトの顔は、未だに青ざめている。「シャルレット殿の魔力は……測定不能です。我が国の全兵力を集めて挑んだところで、指一本で全滅させられるでしょう。……父上、伯父ゴーゼル様はいったいどのような教育をされたのですか?」ヴァルディスは苦い顔で窓の外を見上げた。「……兄ゴーゼルは、かつて最強と謳われた男だ。だが……まさか娘に『自分の規格』を『世界の普通』として教え込んでいたとはな……。恐ろしいのは、シャルレット本人に一切の悪意も慢心もないことだ」ヴァルディスは胃の痛みに耐えながら、静かに命令を下した。「レオンハルトよ。クレアのケアを怠るな。そして……シャルレットの『普通』がこれ以上この首都を破壊しないよう、影から全力でフォローするのだ」「はっ……御意に」一方、セフティーヌ学園の女子寮。部屋に閉じこもったクレアは、ベッドに顔をうずめて枕を叩いていた。「なによ……なによあの子……!『よろしくね』のご挨拶であんな魔力出すなんて……反則じゃない……っ!」しかし、いくら悔しがっても、脳裏に焼き付いたのはシャルレットのあの輝くような笑顔と、差し出された温かい手であった。「……っ!私は絶対に認めないんだから!あんな田舎者に魔王家の頂点を譲ってたまるもんですか!今に見ていなさい……シャルレット!」恐怖と悔しさを通り越し、クレアの中に芽生えたのは、シャルレットに対する奇妙で強烈な「執着」であった。



 翌朝。教室に入ってきたシャルレットのデスクの上には、可愛らしいリボンでラッピングされた高級なお菓子と、一通の手紙が置かれていた。「あら……?これは何でしょう?」シャルレットが手紙を開くと、そこには綺麗な達筆でこう書かれていた。『これはご挨拶のお返しよ!誤解しないでちょうだい、別にあなたと仲良くなりたいわけじゃないんだからね!近いうちにまた勝負しなさい!クレア・ル・トロイ』シャルレットは手紙を胸に抱きしめ、最高に幸せそうな笑顔を弾けさせた。「わあ……!クレア様からお返事をいただけました! ル・レット様、私、お友達ができました!」『ふむ……ツンデレというやつか。まあ、お前が嬉しいなら良しとしよう』肩の上のル・レットも、やれやれと微笑むように目を細めた。こうして、魔王家の血族であるクレアとレオンハルトを巻き込み、シャルレットの「規格外で普通な」学園生活は、さらに賑やかさを増していくのであった。


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