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第三章 初めての授業と嫌な教師

 魔族最高峰の名門校『セフティーヌ学園』。その特進クラスの教室には、朝から重苦しい緊張感が漂っていた。原因は二つある。一つは、一番前の席で目を輝かせ、ノートと筆記用具を几帳面に並べている少女。昨日、神話の存在『漆黒龍』を三十センチメートルの可愛らしい姿(マスコット)に変えて降臨させた規格外の編入生、シャルレット・ル・トロイの存在だ。シャルレットの肩の上では、小さな黒龍ル・レットがパタパタと翼を休め、周囲の生徒たちを苛烈な眼光で威嚇している。



 そしてもう一つは、本日最初の授業である『古代魔術理論』を担当する教師の存在であった。バタン! と乱暴に教卓の扉が開かれ、一人の男が優雅かつ高慢な足取りで教室に入ってきた。紫の高級な絨毯のような法衣を纏い、鷹のように尖った鼻と薄い唇を持った男――古代魔術理論主任教授、ガルブレイス・フォン・アスタロトである。ガルブレイスは伝統あるアスタロト公爵家の出身であり、自他共に認める学園屈指の「血統主義者」であった。彼は教卓に立つと、細い目をさらに細めて教室全体を見回し、最後にシャルレットの元で不快そうに視線を止めた。「……フン。朝から不愉快な噂が耳に入っておる。山奥からやってきた野良の雑種が、下品な仕掛けで学園を混乱に陥れたとかな」ガルブレイスの冷ややかな声が教室に響き渡る。生徒たちは息を呑み、下を向いた。四天王の息子であるアールトすらも、気まずそうに目を逸らす。ガルブレイスは学園内でも権力を持つ貴族派閥の重鎮であり、意に沿わない生徒を容赦なく落第させる嫌な教師として恐れられていたからだ。だが、当のシャルレットは、己に向けられた悪意にまったく気づいていなかった。「はじめまして、ガルブレイス先生!シャルレット・ル・トロイと申します。古代魔術の授業、とても楽しみにしておりました! よろしくお願い致します!」立ち上がり、深々と、そして澄み切った笑顔で礼をするシャルレット。その純粋すぎる態度に、ガルブレイスはピクリと眉根を寄せた。己の威厳を無視されたと感じ、腹の中で黒い陰湿な炎が燃え上がる。



 (フン、無知な田舎娘が……!漆黒龍だと?どうせ何らかの古代遺物(アティファクト)を使ったハッタリに決まっている。我がアスタロト家の威光と、高高度な古代魔法理論の前に、その化けの皮を剥ぎ取ってやるわ)



 ガルブレイスは口元にいびつな笑みを浮かべると、教壇の大きな黒板に向き直った。「よかろう、編入生シャルレット。ならば貴様のその『意欲』とやらを試してやろうではないか。……おい、これを見ろ」ガルブレイスが杖を振ると、黒板の上に複雑極まりない紫色の魔法陣が浮き彫りになった。幾重にも重なる幾何学模様、解読不能な古代ルーン文字の羅列。見ているだけで頭が痛くなるような、圧倒的な情報量の構造体であった。教室中の生徒たちから、一斉に悲鳴に似たざわめきが起こる。「な、なんだあの魔法陣は……!?」「あんなの見たこともないぞ!教科書にも載っていない!」「高等部三年生の最難関論文で使われるような代物じゃないか……!」ガルブレイスは眼鏡のフチを指で押し上げ、嫌らしく目を細めた。「これは三千年前の神代の時代に描かれたとされる『失われた古代複合多次元結界陣』の不完全な復元図だ。現在、我が国の最高峰の魔導技師たちが集まっても、全体の三割しか解読できておらん。……さて、シャルレット。貴様はこの魔法陣の致命的な『矛盾点』を指摘し、正しい起動式を証明してみせよ」



 (ハハハ!どうだ!こんなもの解けるはずがない!答えなど最初から存在しない難題だからな!答えられずに恥をかき、己の無知を晒して号泣しながらこの学園から去るがいい!)



 ガルブレイスの粘着質な陰謀。それは、シャルレットを大勢の前で徹底的に辱め、編入を取り消しに追い込むための罠であった。肩に乗った三十センチメートルのル・レットが、ガルブレイスの卑劣な思念を察知し、ギロリと殺意を宿した目を向けた。『……シャルレットよ。あの羽虫、今すぐ灰にしてやろうか?』「ダメですよル・レット様。先生は私のお勉強のために、こんなに立派な問題を準備してくださったのですから」シャルレットは嬉しそうに胸を躍らせ、トコトコと黒板の前へと歩み寄った。そして、黒板に描かれた魔法陣をまじまじと見つめる。「……ふむふむ。あ、先生。これ、すごく懐かしいです!」「なに……?」ガルブレイスが眉をひそめる。シャルレットはチョークを手に取ると、首をかしげながら笑顔で言った。「これ、私がお手伝いで山のお掃除をしていた頃、お父様が『初歩の落書き』として教えてくださった『お掃除魔法陣』にそっくりです!」教室中が静まり返った。「は……?お、お掃除魔法陣だと……!?愚か者が!これは古代神代の最高峰結界陣だぞ!落書きなどと……!」「だって先生、ここを見てください」シャルレットはチョークを走らせ始めた。迷いのない、完璧な手つき。「このルーン文字の結び目、第三位相と第五位相が完全に干渉し合って、魔力が逆流しちゃっています。これだと起動した瞬間に爆発して、お掃除どころかお部屋が汚れちゃいます。だから、この次元の軸をコンマ二ミリだけ左にずらして……こうして、こう!」シャルレットがチョークで一筋の円を描き、三つの文字を書き加えた――その瞬間。黒板に描かれていた魔法陣が、まばゆい黄金の光を放ち始めた。



――ズズズズズ……!



 光は黒板を飛び出し、教室全体を包み込んだ。不快な塵やホコリ、生徒たちの服についていた微細な汚れ、さらには空気中の淀みまでもが、一瞬にして爽快な光の粒子となって消滅していく。教室全体が、まるで新築の神殿のような清らかで澄み切った空気に満たされた。「な……なにぃいいいいいっ!??!?」ガルブレイスが目を剥き出しにして叫んだ。神代の難解極まる未解読結界陣が、少女の手によって一瞬で補完され、しかも「部屋を完璧にピカピカにする超高等ろ過魔法」として完全に起動したのだ。「よし!これで完璧です!お父様の教え通り、次元の結び目を正しく解けば、とっても便利なお掃除魔法になりますね!」シャルレットは満足そうにチョークを置くと、ニッコリとガルブレイスに向き直った。「ガルブレイス先生、素敵な問題をありがとうございました!私、正しく解けていましたでしょうか?」「あ……あ……あ……」ガルブレイスは顎が外れそうなほど口ぐぐぐと開けたまま、声にならない悲鳴を漏らしていた。己のプライド、アスタロト家の権威、そして仕掛けた罠のすべてが、少女の「無知ゆえの圧倒的才能」によって完膚なきまでに粉砕された瞬間であった。



その時であった。



 教室の扉が、凄まじい勢いでバカーンと叩き開かれた。「今の完璧な次元変調は一体何なのですかーーーーっ!?」突風と共に飛び込んできたのは、一人の小さな少女であった。見た目は十歳ほどの可憐な女児。白銀の髪を二つに結び、身の丈ほどもある巨大な魔導書を抱えている。しかし、その肩には教師の証である特級金章が輝いていた。セフティーヌ学園が誇る史上最年少の天才教授。十歳にして多次元魔術学会の重鎮を務める、リリネット・フォン・シルフィードであった。「リ、リリネット教授!?なぜここに……!?」ガルブレイスが狼狽する。リリネットはガルブレイスなど目に入っていないかのように無視し、小走りでシャルレットの元へと駆け寄った。その大きな瞳は、新星を発見した天文学者のように爛々と輝いている。「あなた!今、この古代魔法陣の欠陥を、第三位相の干渉を書き換えることで完璧に理論補完しましたね!?それも、たった数秒の暗算で!?」「あ、はい!山でお父様に教わった通りに直しただけですが……」「素晴らしい……!素晴らしいです!!現代の魔術史が百年跳ね上がりました!この『次元の結び目』の概念は、私たちが三十年かけても解明できなかった絶対領域です!」リリネットは抱えていた魔導書をバサリと床に落とすと、シャルレットの両手をがっしりと握りしめた。「シャルレットさんとおっしゃるのですね!?お願いです!私を……私をあなたの弟子にしてください!!」「えええええええええっ!?!?!?」教室中の生徒たちが、本日一番の叫び声をあげた。学園最高の天才と謳われ、数多の権力者や高齢の魔導師たちから教えを乞われているリリネット教授が、十二歳の編入生に向かって頭を下げ、弟子入りを志願しているのだ。「ちょ、ちょっと待ってくださいリリネット教授!私はお勉強をしにこの学校に来たのですから、弟子だなんて……!」 「いいえ!真の真理を知る者に年齢など関係ありません!シャルレット師匠!どうか私に、その『次元のお掃除魔法』の理論を一からご教授くださいませ!!」「し、師匠……!?」シャルレットが困惑してあたふたしている横で、完全に蚊帳の外に置かれたガルブレイスが、顔を真っ赤にして震えていた。「な……何をふざけたことを……!リリネット教授、騙されてはならん!このような野良の雑種が……!」



その瞬間。



 リリネットが氷のように冷ややかな視線をガルブレイスに向けた。「黙りなさい、ガルブレイス」十歳の少女とは思えぬ、重厚な魔圧。「あなたの出した問題が、どれほど卑劣な意図を持った未解決問題であったか、私が知らんとお思いですか?己の無知と器の狭さを棚に上げ、偉大な師匠を侮辱することは絶対に許しません。……あなたの主任教授の役職、本日を以て剥奪し、降格処分とします」「な……っ!?私を……アスタロト家の私を降格だと……!?」「嫌なら学園を去りなさい。真理を探求する場に、あなたの陰謀など不要です」リリネットの容赦のない一言に、ガルブレイスは血の気が引き、その場にガタガタと崩れ落ちた。返り討ちどころか、自らの地位と権威を完全に失うという自爆攻撃となったのだ。教室内が静まり返る中、シャルレットは申し訳なさそうにリリネットの袖を引っ張った。「あの……リリネット先生?ガルブレイス先生がかわいそうですし、私は普通にお授業を受けたいのですが……」どこまでも素直で、敵意のないシャルレット。リリネットはその天使のような愛らしさにさらに胸を打たれ、ぽっと頬を赤らめた。「ああ……なんという高潔なお心……!分かりました、シャルレット師匠!では、表向きは私が教師として授業を行いますが、放課後は私に特別な講義をお願いしますね!」「ええ……?は、はい……?」肩に乗ったル・レットは、呆れたように小さな溜息をついた。『やれやれ。お前の「普通」は、今日も人間どもの常識を壊して回っておるな……』こうして、シャルレットを陥れようとした嫌な教師ガルブレイスの陰謀は一瞬で打ち砕かれ、学園最高の天才教授リリネットが「シャルレット信者(弟子)」として加わるという、予想外の展開を迎えたのである。シャルレットの波乱に満ちた学園生活は、まだ始まったばかりであった。


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