第61話 誓い
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麓の町をすっかり漆黒の海へと変貌させたペッカートは、いまだ共喰いを続けながらもその数を増やしていた。
迫りくる敵に対して、本部は緊急時用の地下設備を駆使してなんとか応戦するが、貯蔵された弾薬にも限りがある。
どこまで持ちこたえればいいのかわからない状況で、司令室内には悲鳴にも似た報告が飛び交っていた。
「無理です! このままじゃ……!」
「もうもちません!」
四方から続けざまにもたらされる報告に、ユキノリは顔をしかめた。
唯一対抗しうるであろうスペランツァたちは重傷を負い、とても戦場へ送り出せるような状態ではない。
「もはや、時間の問題か……」
ペッカートに地下への攻撃手段があるのかはわからない。
だがいったん内側に入られたら、本部への被害はひとたまりもないだろう。
勝機は『ない』に等しい。
「わたしが行く」
「「っ!?」」
唐突に響いた声に、全員がいっせいに声のしたほうを振り向いた。
まるで時間が止まったかのように、静寂が辺りを包んでいた。
ひらかれた出入口。
廊下の明かりを背負って、ハルがそこに立っていた。
彼女の姿に、誰もが信じられないとばかりに目をむく。
「まさか……! そんな……!」
「だ、だけどハルさんなら……! もしかしたら……!」
ハルは、困惑やらよろこびやらが交じったそれらの視線をやり過ごし、静かな足取りでユキノリに近づく。
「わたしが行きます。援護を、お願いできますか?」
「ダメよ! あなた、自分がどれだけ重傷かわかってるの!?」
遮ったのはマリアだった。
研究者としてキューブやスペランツァの管理にいそしむかたわら、医療班の一切を取り仕切る彼女は、現在のハルの状態を誰よりも理解しているつもりだった。
「いくらスペランツァの自己治癒能力が高いとはいえ、あなたは致命傷を負ったのよ!?」
とてもじゃないが、まだ動きまわっていい状態ではないはずだ。
ハルが平然とここに立っていることさえ奇跡に近い。
「おとなしくベッドに戻りなさい!」
「治った」
「嘘おっしゃい!」
「もう治った!」
「っ! ハル! 言うこと聞きなさい!」
「……いいよ」
「なっ……!?」
膠着状態の中、決断を下したのはユキノリだった。彼は大きな体を揺らしながら立ち上がると、ハルの肩に両手を置く。
「出撃を許可する。でもね、これだけは約束して。無理だと思ったらすぐ逃げること。いい?」
ハルはユキノリの目を見つめたままゆっくりとうなずいた。
決意と覚悟を秘めた彼女の漆黒の瞳に、ユキノリはにっこりと笑みを浮かべる。
「いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
ユキノリはハルの背を押し、戦場へ送り出す。
ハルはしっかりとした足取りで、司令室をあとにした。
「どうして行かせたの!」
閉まるドアに背を向けて、マリアはユキノリに詰め寄る。
今にも掴みかかりそうな勢いのマリアに、彼は怯むことなく出入口を見つめたままだった。
「言って聞く子じゃないでしょ、ハルは」
「だからって……!」
「それに、あの子は約束を破るような子じゃないよ。きみの、いや、僕たちの姪っこを信じよう。大丈夫。ハルは帰ってくるよ」
発せられた言葉にマリアは表情をゆがめて、ハルの出ていったドアを見つめた。
真っ白な廊下に、ハルの足音だけが響いていた。
しかし一瞬でも気を抜けば視界が揺れる。
怪我のせいなのか。
それとも心臓に寄生したキューブドロップのせいなのか。
体は思うように動かない。
心臓のあたりがチクチクと痛む。
ゆっくりと反転していく世界に、ハルの体は抵抗する術もなく重力に従うしかなかった。
「っぶね」
前のめりになっていくハルの体を支えたのは、ほかの誰でもなくキョウヤで。
彼はそのまま、ハルの体を抱きしめる。
「ばかやろーが」
「ははっ……ごめんね」
正直立っていることすらままならない。
浅い呼吸を繰り返すハルは、支えられるがままにキョウヤに体重を預けた。
「ちゃんと、帰ってこいよ」
「…………」
彼女からの返事はない。
その代わりに、自身の背にまわされた腕の力が強くなった。
ハルのひたいがキョウヤの胸板に押しつけられる。
その肩が少しばかり震えているような気がしたのは、気のせいだろうか。
それは怪我による痛みによるものなのか。
はたまた別のなにかなのか。
(言いたいことは山ほどある……けど、言えるわけねーじゃん……)
本当は戦場になど戻したくはない。
できることならこのまま抱きかかえて医務室に連れ戻し、無理やりにでもベッドに寝かしつけたい。
しかしそれは彼女の望むところではないのだ。
ならば、こうして無茶をしようとする彼女を支えてやることしか、自分にはできないではないか。
誰よりもハルのそばにいて、彼女のスペラーレであるにもかかわらず、なにもできない自分にキョウヤは苛立ちを覚える。
(なにがスペラーレだよ! 肝心なときになんにもできねーんじゃ、意味ねぇだろ……!)
運命をともにすると誓っても、ともに戦場に出て戦うことは叶わない。
愛する者が傷つくさまを見せつけられながら、ただ守られるばかりの現状が腹立たしかった。
キョウヤはハルに見えないように唇を噛みしめる。
「……キョウヤ」
やんわりと、小さな手がキョウヤの体を押し返す。
腕の力をゆるめると、目の前のハルと目が合った。
怪我の深刻さを感じさせないようにしっかりとみずからの足で立ち、ふんわりとハルは笑った。
その直後、声を発そうとしたキョウヤの唇がやわらかいものでふさがれる。
それが身長差のせいで背伸びをしたハルの唇だと理解すると同時に、一方的に押しつけられた唇が離れていく。
熱のせいで火照るやわらかなそれを追いかけ、離れようとするたびに引き戻し、互いに何度も何度も唇を合わせた。
そうしてようやく二人の距離が離れた頃。
照れくさそうに笑うハルの表情に、胸の奥が締めつけられるような思いがした。
「いってきます」
ハルはゆっくりときびすを返した。
高い位置でひとつにまとめた黒髪が左右に揺れる。
いままで幾度となく見送ってきた凛としたうしろ姿を、キョウヤはいつまでも見つめていた。




