第59話 再会
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今にも大粒の雨が降りだしそうな、濃い灰色のぶ厚い雲の下。
じっとりと肌にまとわりつく湿った空気が、喉の奥の息苦しさを加速させる。
風速を増した生ぬるい風に、草木は危険を知らせるかのようにさざめきあう。
大地は一面、闇色に染まっていた。
見渡すかぎりに広がる黒い海原が、津波のように迫ってきてはすべてを破壊し飲み込んでいく。
響き渡るのは文明が崩壊する音と、この世の終わりを告げる断末魔だけ。
増殖し続ける闇は互いに傷つけ合い、ついには共喰いを始めた。
漆黒の海に、赤い血しぶきが噴出しては飛び散っていく。
大地が、空気が、みるみる穢されていく。
吐き気を催すほどのおぞましい光景に、これまでに感じたことのないほどの恐怖が全身に突き刺さる。
しかしすべてを放棄して逃げることは許されず、また彼女たちにも、それができるはずもない。
ハルとホノカは、眼前の黒い壁から目をそむけようとはしなかった。
なにもかもを放り出して、戦場から、現実から逃げることは簡単だ。
だけど。
(大切なものがあるから)
(守りたいものが、そこにあるから)
スペランツァに課せられた役目などなくても、大切なものを守りたいという気持ちは同じ。そしてそれを成しうる力を、自分たちは持っている。
二人は恐怖を跳ねのけ、迫りくる闇に飛び込んでいった。
「ハル! あまり中に入りすぎないで!」
「わかった! ホノカに合わせる!」
一足跳びに後退したハルが、ホノカの近くに着地する。
しゃがんだ拍子に頭上を通過した氷の刃に苦笑いをこぼして、ハルはホノカの後方の敵へと剣を振りかざした。
「少しは減った!?」
「共喰いしてくれてるおかげでね!」
目の前の敵を切り伏せながら、ハルとホノカは一定の距離を保ったまま呼吸を整える。
「このままじゃ埒が明かないわね」
「二手に分かれる?」
「だめよ、危険すぎる」
「だよね」
だがそのときだった。
ペッカートが動きを止める。
感情のこもらない乾いた拍手が、殺伐とした戦場に響き渡った。
「二人とも、しばらく会わない間に成長したな」
頭上から降り注ぐ淡々とした声。
聞き覚えのあるその低い響きに、ハルとホノカは反射的に声のしたほうを見上げていた。
「「っ!!」」
山となった瓦礫の上に、彼はいた。
「レン……!」
ハルの小さなつぶやきに、レンの口元が薄く弧をえがく。
長く伸びた黒髪が風に煽られ、彼の表情をあらわにする。
記憶と違わぬ深い闇のような瞳は、危険なほどに妖しく揺らめいていた。
「なんでっ、あんたがっ……!」
予測はしていた。確信もあった。
だが現実に目の前に現れたかつての仲間の姿に、ホノカは思っていた以上に動揺してしまっている。
心の準備はしていた。気持ちの整理もつけたはずだった。
しかし目の当たりにした現実を受け入れたくないと、無意識のうちにホノカはレンから視線をそらしてしまう。
握ったこぶしに無意識に力が入る。噛みしめた奥歯がギリギリと嫌な音を奏でた。
「……なんでっ、あんたなのよっ……!!」
「っ!? ホノカうしろっ!!」
瞬間、我に返ったホノカの背後にペッカートの波が押し寄せていた。
「くっ……!」
ホノカは紙一重で攻撃をよけるも、一瞬にしてハルとレンから遠ざかってしまう。
ペッカートの勢いに引きずられるようにして、ホノカの姿が闇に飲まれる。
「ホノカっ!」
すぐさまハルは体の向きを変えて駆け出した。
だが瓦礫から降り立ったレンが、ハルの行く手をふさいで立ちはだかる。
「レンっ!? どいて!!」
彼は口角をつり上げ、あの頃とは似ても似つかない傲慢な笑みを浮かべていた。
「ハル、俺と一緒に来い」
「っ……!」
レンは静かにそう告げた。
周囲には黒い塊がうごめいていたが、彼らのまわりだけは不自然なほどに静まり返っている。
ハルは背に嫌な汗が伝うのを感じた。
(これだけの数のペッカートを従わせるなんて……!)
それほどまでに彼の力は強いということなのだろうか。
「ここまで来い。俺と、同じところまで堕ちてこい」
「いやだ」
(『レンと一緒に行く』ってことは、わたしもクリミナーレになるってこと……)
だがそれだけはできない。
否、そんなことしたくなかった。
無意識のうちに震える体を抑えつけるように、ハルは力のかぎり剣のグリップを握りしめる。
「なにをそんなにおびえている? 簡単なことだろ?」
ハルの動揺を見透かしているとでも言いたげに、レンは小さく鼻で笑う。
「それとも、忘れてしまったのか?」
いったん目を伏せた彼は、再度ハルと視線を交わらせた。
鋭い眼光をさらに細めて、ハルをまっすぐに射抜く。
「殺せばいい」
「っ!!」
「お前の、スペラーレを」
ゆっくりと、しかしはっきりと告げられた言葉に、ハルの心臓が大きく脈打った。
手の震えが止まらない。
脳内で、いつか見た光景がよみがえる。
「くっ……!」
気づけばハルは、目の前の彼から目をそむけていた。
レンの低く重たい声だけが、直接脳に響いてくるようだった。
「殺して、その血を飲み干せばいい。そうすれば……」
レンが、いつかのようにふわりと笑った。
「お前は、俺とおんなじだ」
放たれた言葉は、たしかにハルの耳に届いた。
かつてのあの頃のように、レンの声色はひどく穏やかだった。
浮かべた微笑みは先ほどまでとは別人のようで、まるで昔の彼に戻ったかのような錯覚を覚える。
しかしながら現実は違うのだと、周囲を取り囲む闇が無言で告げていた。
口角を上げたレンの表情は見たこともないほどに冷徹で、しかしその中に恍惚さを感じさせるような、なんとも言えない不気味さをはらんでいた。
「っ、うわあああああっ!!」
レンが言い終わらないうちに、ハルは彼に向って駆け出していた。
感情のまま、勢いに任せて己の武器を振りかざす。
しかしその刃はレンには届かず、彼はいとも簡単にその場から逃れる。
その瞬間、静観していたはずのペッカートがいっせいにハルに向かって雪崩こんできた。
レンの姿は闇に消え、目の前は光すらも飲み込んでしまいそうなほどに黒く染まる。
言葉に形容しがたいほどの恐怖に、一瞬視界が揺らいだ。
「大丈夫。お前ならできるよ」
「っレン……!」
耳元で、いつかと同じ言葉を、あのときのままの響きで――。
(惑わされるな……!)
目の前にちらつく幻想を振り払うかのように、ハルは己の剣を振るった。
懸命に闇を切り裂きながら、離ればなれになってしまったホノカの姿を捜す。
彼女がどこにいるのか、まったく見当がつかない。
一面ペッカートに覆いつくされた大地で、最悪の想像が脳裏をよぎる。
(ホノカ、無事でいてっ……!)
ハルは祈るような気持ちで剣を振るい続けた。




