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キューブ −世界再生の生贄−  作者: 志築いろは
第4章 Where to Return

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第59話 再会

◇◇◇



 今にも大粒の雨が降りだしそうな、濃い灰色のぶ厚い雲の下。

 じっとりと肌にまとわりつく湿った空気が、喉の奥の息苦しさを加速させる。

 風速を増した生ぬるい風に、草木は危険を知らせるかのようにさざめきあう。


 大地は一面、闇色に染まっていた。

 見渡すかぎりに広がる黒い海原が、津波のように迫ってきてはすべてを破壊し飲み込んでいく。

 響き渡るのは文明が崩壊する音と、この世の終わりを告げる断末魔だけ。


 増殖し続ける闇は互いに傷つけ合い、ついには共喰いを始めた。

 漆黒の海に、赤い血しぶきが噴出しては飛び散っていく。

 大地が、空気が、みるみる(けが)されていく。


 吐き気を催すほどのおぞましい光景に、これまでに感じたことのないほどの恐怖が全身に突き刺さる。

 しかしすべてを放棄して逃げることは許されず、また彼女たちにも、それができるはずもない。

 ハルとホノカは、眼前の黒い壁から目をそむけようとはしなかった。


 なにもかもを放り出して、戦場から、現実から逃げることは簡単だ。

 だけど。


(大切なものがあるから)

(守りたいものが、そこにあるから)


 スペランツァに課せられた役目などなくても、大切なものを守りたいという気持ちは同じ。そしてそれを成しうる力を、自分たちは持っている。


 二人は恐怖を跳ねのけ、迫りくる闇に飛び込んでいった。


「ハル! あまり中に入りすぎないで!」

「わかった! ホノカに合わせる!」


 一足跳びに後退したハルが、ホノカの近くに着地する。

 しゃがんだ拍子に頭上を通過した氷の刃に苦笑いをこぼして、ハルはホノカの後方の敵へと剣を振りかざした。


「少しは減った!?」

「共喰いしてくれてるおかげでね!」


 目の前の敵を切り伏せながら、ハルとホノカは一定の距離を保ったまま呼吸を整える。


「このままじゃ(らち)が明かないわね」

「二手に分かれる?」

「だめよ、危険すぎる」

「だよね」


 だがそのときだった。

 ペッカートが動きを止める。


 感情のこもらない乾いた拍手が、殺伐とした戦場に響き渡った。


「二人とも、しばらく会わない間に成長したな」


 頭上から降り注ぐ淡々とした声。

 聞き覚えのあるその低い響きに、ハルとホノカは反射的に声のしたほうを見上げていた。


「「っ!!」」


 山となった瓦礫の上に、彼はいた。


「レン……!」


 ハルの小さなつぶやきに、レンの口元が薄く弧をえがく。

 長く伸びた黒髪が風に煽られ、彼の表情をあらわにする。

 記憶と違わぬ深い闇のような瞳は、危険なほどに妖しく揺らめいていた。


「なんでっ、あんたがっ……!」


 予測はしていた。確信もあった。

 だが現実に目の前に現れたかつての仲間の姿に、ホノカは思っていた以上に動揺してしまっている。

 心の準備はしていた。気持ちの整理もつけたはずだった。

 しかし目の当たりにした現実を受け入れたくないと、無意識のうちにホノカはレンから視線をそらしてしまう。

 握ったこぶしに無意識に力が入る。噛みしめた奥歯がギリギリと嫌な音を奏でた。


「……なんでっ、あんたなのよっ……!!」

「っ!? ホノカうしろっ!!」


 瞬間、我に返ったホノカの背後にペッカートの波が押し寄せていた。


「くっ……!」


 ホノカは紙一重で攻撃をよけるも、一瞬にしてハルとレンから遠ざかってしまう。

 ペッカートの勢いに引きずられるようにして、ホノカの姿が闇に飲まれる。


「ホノカっ!」


 すぐさまハルは体の向きを変えて駆け出した。

 だが瓦礫から降り立ったレンが、ハルの行く手をふさいで立ちはだかる。


「レンっ!? どいて!!」


 彼は口角をつり上げ、あの頃とは似ても似つかない傲慢な笑みを浮かべていた。


「ハル、俺と一緒に来い」

「っ……!」


 レンは静かにそう告げた。

 周囲には黒い塊がうごめいていたが、彼らのまわりだけは不自然なほどに静まり返っている。

 ハルは背に嫌な汗が伝うのを感じた。


(これだけの数のペッカートを従わせるなんて……!)


 それほどまでに彼の力は強いということなのだろうか。


「ここまで来い。俺と、同じところまで堕ちてこい」

「いやだ」


(『レンと一緒に行く』ってことは、わたしもクリミナーレになるってこと……)


 だがそれだけはできない。

 否、そんなことしたくなかった。


 無意識のうちに震える体を抑えつけるように、ハルは力のかぎり剣のグリップを握りしめる。


「なにをそんなにおびえている? 簡単なことだろ?」


 ハルの動揺を見透かしているとでも言いたげに、レンは小さく鼻で笑う。


「それとも、忘れてしまったのか?」


 いったん目を伏せた彼は、再度ハルと視線を交わらせた。

 鋭い眼光をさらに細めて、ハルをまっすぐに射抜く。


「殺せばいい」

「っ!!」

「お前の、スペラーレを」


 ゆっくりと、しかしはっきりと告げられた言葉に、ハルの心臓が大きく脈打った。

 手の震えが止まらない。

 脳内で、いつか見た光景がよみがえる。


「くっ……!」


 気づけばハルは、目の前の彼から目をそむけていた。

 レンの低く重たい声だけが、直接脳に響いてくるようだった。


「殺して、その血を飲み干せばいい。そうすれば……」


 レンが、いつかのようにふわりと笑った。


「お前は、俺とおんなじだ」


 放たれた言葉は、たしかにハルの耳に届いた。

 かつてのあの頃のように、レンの声色はひどく穏やかだった。

 浮かべた微笑みは先ほどまでとは別人のようで、まるで昔の彼に戻ったかのような錯覚を覚える。


 しかしながら現実は違うのだと、周囲を取り囲む闇が無言で告げていた。

 口角を上げたレンの表情は見たこともないほどに冷徹で、しかしその中に恍惚さを感じさせるような、なんとも言えない不気味さをはらんでいた。


「っ、うわあああああっ!!」


 レンが言い終わらないうちに、ハルは彼に向って駆け出していた。

 感情のまま、勢いに任せて己の武器を振りかざす。

 しかしその刃はレンには届かず、彼はいとも簡単にその場から(のが)れる。


 その瞬間、静観していたはずのペッカートがいっせいにハルに向かって雪崩(なだれ)こんできた。

 レンの姿は闇に消え、目の前は光すらも飲み込んでしまいそうなほどに黒く染まる。

 言葉に形容しがたいほどの恐怖に、一瞬視界が揺らいだ。


「大丈夫。お前ならできるよ」

「っレン……!」


 耳元で、いつかと同じ言葉を、あのときのままの響きで――。


(惑わされるな……!)


 目の前にちらつく幻想を振り払うかのように、ハルは己の剣を振るった。

 懸命に闇を切り裂きながら、離ればなれになってしまったホノカの姿を捜す。

 彼女がどこにいるのか、まったく見当がつかない。

 一面ペッカートに覆いつくされた大地で、最悪の想像が脳裏をよぎる。


(ホノカ、無事でいてっ……!)


 ハルは祈るような気持ちで剣を振るい続けた。




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