第58話 残酷な命令
◇◇◇
「現時点で、彼がどこにいて、なにをしているのかは一切不明。二年前のペッカートによる保護施設襲撃後、本部敷地内でその姿を目撃されたのを最後に、彼は完全に消息を断っているわ」
できれば誰かに、「違う」と言ってほしかった。
しかし期待に反して、誰もそのことを否定してくれる者はいない。
「彼が黒幕なのだとしたら、すべてのつじつまが合うわ」
ハルもホノカも、終始うつむいたまま固く口を閉ざしていた。
一瞬の沈黙が、ひどく長いように感じる。
「待ってください。そうだとしても、ペッカートがスペランツァに服従するなんて話、聞いたことが」
「レンくんはもう、スペランツァじゃないんだ」
疑問を口にしたアキトの言葉を遮ったのは、それまで静かにみなの様子を眺めていたユキノリだった。
両手を組んだ彼は、前かがみになってひとつ息をつく。
「たまにね、いるんだよ。闇の力に魅入られちゃう子が」
「『クリミナーレ』。闇に堕ちたスペランツァは、こう呼ばれるの」
ユキノリの言葉を引き継いだマリアが目を伏せる。
彼女は一瞬だけ苦しそうな表情を浮かべると、自身を落ち着かせるように静かに息をついた。
「施設では彼らの保護も担っていたの。だけど襲撃された際に、レンとともに三名のクリミナーレが脱走。つい最近まで、三人とも安否不明とされていたわ」
「まさか……! 以前ペッカートを従えていた彼らが……?」
返答を急かすようなアキトの視線に、マリアはちらりとユキノリの顔色をうかがった。
表情を変えずに微動だにしない彼に、マリアは視線を戻して観念したようにうなずく。
「伊陸マヒル、伊陸ヒカルの双子の兄弟は、作戦行動中に一般市民数名を殺害。秋穂ミズホは、職員を洗脳して血液を搾取していたことが判明して、施設での管理下に置かれることになった」
マリアが淡々と語る過去に、口をはさむ余裕すらなかった。
アキトもキョウヤも、一瞬でも脳裏をよぎった映像に表情をゆがめる。
「そして天尾レン。彼は、スペラーレの契約時に候補者を殺害、その後の吸血行為が問題視され、施設に収容されたわ。アキトの言うとおり、全員が『元』スペランツァ、いえ、脱走したクリミナーレよ」
「そんな……」
珍しく頭の整理が追いつかないまま、アキトは点と点をなんとかつなぎ合わせようと思考をめぐらせる。
レンが黒幕だという確証はない。
だがレンとともに脱走したクリミナーレが立て続けに現れ、なおかつペッカートを従えて襲ってきたという事実。
それは仮説を裏づけるには十分な要素だった。
「目的は、なんなんですか? レンさんが黒幕だとして、僕たちに敵対する理由は……」
「彼らの最終的な目的はわからないわ。少なくとも、組織を恨んでいるのは確かね。だから障害となるスペランツァを狙っている。ただ……」
「ただ……?」
「…………」
「レンくん個人の狙いは、ハルだろうね」
「……ええ」
うつむいたまま、膝の上で両手を握りしめるハルの肩を、キョウヤがそっと抱き寄せる。
こわばった体がわずかに震えていることに気づかないふりをして、キョウヤはまっすぐにマリアとユキノリに顔を向けた。
「……どうして、ハルなんですか?」
それまで黙って話を聞くばかりだったキョウヤが、落ち着いた声でたずねた。
クリミナーレが狙っているのがスペランツァなのだとしたら、それはハルにかぎった話ではないはずだ。
ここには彼女を含め、三人のスペランツァがいたのだから。
ユキノリは困ったように眉を下げて、おもむろに天を仰いだ。
「ハルはレンくんの、『お気に入り』だったからねぇ」
ユキノリの声が、やけに響いた気がした。
再び沈黙に包まれる室内。
ハルは淀む気持ちを吐き出すかのように、ゆっくりと息をついた。
とはいえそれで心が晴れるかといえばそうでもなく、視線は行き場を失い床をさまよう。
(レン……)
考えたくもない想像ばかりが頭をよぎる。
彼のことを思い出すほど、あのときの鮮烈な姿ばかりがフラッシュバックする。
あんなにも責任感が強く頼れる存在だったはずの彼は、あの日を境に自分たちの敵となってしまった。
なにが彼をそうさせたのか。
どうしてあんなことをしたのか。
答えはわからずじまいのまま。
優しかった彼は、もうどこにもいないのだろうか。
「ハル、ホノカ、わかっているね?」
「っ……!」
ユキノリの有無を言わせぬ声が響く。
「近いうち、レンくんは必ず現れる。そのときは彼を」
そんな日など来てほしくないと叫べたら、どんなによかっただろう。
顔を上げられぬハルに対して、ホノカは口を真一文字に引き結んでユキノリを見た。
覚悟を、決めなくてはいけない。
ユキノリの射抜くような視線が、まっすぐにハルとホノカに注がれていた。
まるでスローモーションのように、時間がゆっくりと流れている気がした。
「天尾レンを、殺しなさい」




