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幕間 終末、コソコソっとはじめました

――時は望月がトイレでスライムの有用さに気付く少し前。


 元はド〇キだった避難所。

 異様なまでに綺麗に掃除されているそのトイレの奥の個室。

 そこで、一人の若者が頭を抱えてウンウンと唸っている。


 覗き魔こと、影山光人かげやまらいと。二十五歳。

 彼女いない歴=年齢の童貞である。


 避難所の管理運営を担っている警察官、松下京介の部下の一人。

 この終末へと向かう世界で覚醒した能力を用いて、主に偵察や諜報と言った斥候系の任務を任せられている。


 竹原のクーデターに最初に気づいたのも影山だった。

その時も、彼は誰にも見つからない場所から全部聞いていた。

 竹原との戦闘においてはその能力を遺憾なく発揮して望月、松下らをサポートした。

 今回の騒動において多大なる貢献をしていたりする人物である。


 だが、そんな彼は今、便器の中に鎮座するスライム相手に沈痛な面持ちで唸りながら、なにかブツブツと呟いていた。


「まずいまずいまずい……完全に目をつけられたじゃん……これから、僕の推し活はどうしたら……」


 彼は悩んでいた。

 三日前、人生全てを捧げてもいいほどの推しと出会えた。

 だが、今やその「崇高な見守り」は、ある人物からの厳しく、そしてまるで容赦のないお叱りによって危機に瀕している。


「……そもそも、始まりからして奇跡だったんだ。あの日、あの時、僕が非番じゃなかったら……」


 影山は、便器の中でぷるんと揺れるスライムを見つめながら、三日前のあの朝に意識を飛ばした。



 三日前の朝。

 世界がまだ、平穏という名の仮面を被っていた最後の時間。

 非番だった影山は、愛車のママチャリを漕いで近所のド◯キへと買い出しへ向かっていた。


 だが、その途上で「それ」は起きた。

 突如として路上に現れた茶色の毛玉――コボルト。


「ひ、ひぎぃっ!?」


 パニックに陥った影山の全生存本能は、ブレーキではなく「加速」を選択した。

 必死に漕いだペダルの回転がママチャリを重い鉄塊へと変え、フルスイングの激突でコボルトを轢殺する。


「きゃいんっ!?」


 絶命したコボルトが光の粒子となって消えていく。

 その一部が、ポケットに入れていた影山のスマホに吸い込まれた。

 慌ててスマホを取り出すと、画面には見覚えのないアプリアイコン。


『終末はじめました』


 勝手にインストールされたそのアプリを開くと、自分の名前と共にジョブの選択画面が表示された。

 だが、影山の画面に並んでいたのは、勇者でも戦士でもない、たった一つの項目だけ。


――『陰者いんのもの


「なんだよ陰者って……これしか、ないのかよ。僕の人生、終末?になってもこれなのかよ」


 半ば自暴自棄にそれを選択すると、得られたスキルもまた、いかにもなものだった。


 存在感を消す『透明人間』。

そして、周囲の音を異常なまでに拾う『地獄耳』。

 クラスの片隅で、誰にも気づかれず、それでいて周囲の陰口や噂話だけは完璧に把握してしまう――そんな「ボッチの極み」のような能力だった。


 ステータスの出現に腰を抜かしつつも、オタク特有の適応能力で「これはヤバいことが起きている」と直感した彼は、覚えたてのスキルを駆使して街を這い進んだ。


 平和な朝の街並みに、悲鳴が混じり始める。魔物に襲われる人々。


 そんな混乱の中、彼は見つけたのだ。


 建物の影。

 朝の眩しい太陽光から逃れるように、弱々しくうずくまる人影を。


「……あ。あぁ……」


 息が止まった。

 透き通るような肌、銀色の髪。

 太陽の下で、彼女はまるで溶けてしまいそうなほど儚く、それでいてこの世のものとは思えないほど美しかった。

 

その瞬間、影山は悟った。



――ああ。尊い。推そう。



と。


しかし、


(助けたい。でも、触れていいのか? 僕みたいな、誰からも認識されない陰キャの手が、この聖域に触れて汚してしまわないか?)


 キョドりまくった影山が、手を伸ばしては躊躇い、また伸ばしては引っ込める。

 そんな不審極まりない挙動を繰り返していた、その時。


「ぐぎゃぎゃ!」

「くそ! なんなんだこいつら! それにこのアプリも……!」

「先輩、離れてください!」


――パァン!


 誰かが争う声、そして、一発の銃声が聞こえた。

 影山は反射的に『透明人間』を深く潜らせ、気配を消した。


「ん? あそこに誰か倒れているぞ!」

「くそ、コイツラにやられたのか!? 俺が行きます。先輩は残りを!」

「おい、竹原!? くそ、しょうがない……!」


一人の人間がこちらへ近づいてきた。


「はっ、いつまでもあんな気持ち悪い奴らの相手なんかしてられるかよ。……さて。おい、あんた、生きてるか?」


 駆け寄ってきたのは、同期の竹原だった。

 竹原は、ボソッと何かを呟きつつ、いつもの「爽やかで頼れる警察官」という面構えを完璧に作り上げ、倒れている彼女を覗き込んだ。


 だが、影山は知っている。

 竹原が要領よく立ち回り、裏でどれだけ女癖が悪く、自分のような人間をゴミのように見下しているクズであることを。


「……へぇ。すげぇ美人じゃねぇか。アンタは、俺が保護する。安心しろ、もう大丈夫だ」


 それから、竹原は桐生を適当な理由で先に行かせ、彼女を優しく抱き上げる。

その動作は丁寧だったが、影山の『地獄耳』は、竹原が漏らした極小の、粘りつくような舌なめずりの音を逃さなかった。


 その瞬間、影山の中に、ドロリとした暗い火が灯った。

 

「……なんで。なんで……っ! 先に、僕が先に見つけたのに……!」


 悔しさと、独占欲。


「ずるいずるいずるいずるいぞ……!」


 自分はただ手をこまねいていただけで、一歩踏み出したのは竹原だ。

 それはわかっている。

 だが、よりによって竹原。

 あの、最底辺のクズに、僕が見つけた「奇跡」を独占させてなるものか。


(守らなきゃ。僕が……僕だけだ。あいつから彼女を守れるのは……!)


 それは、警察官としての使命などではない。

 ただの、限界オタクの執着。


 この日から、影山光人による「崇高なる推し活」という名の、果てしないストーカーの日々が幕を開けたのだった。



 この日から、影山光人の果てしないストーカーの日々が幕を開けた。


 ――いや、違う。


 本人に言わせれば、それは「崇高なる見守り活動」である。


 ストーカーなどという、犯罪めいた響きの単語を使うのはやめていただきたい。

 警察官である影山の、その正義の心に対してまったくもって失礼だ。


 ともあれ、そうして始まった影山の「見守活動ストーカー」は、想像以上に順調だった。


 なにせ彼には『透明人間』がある。


 文字通り、存在感を消す能力だ。

 普通に歩いているだけならまず気づかれない。

 いや、気づかれないというレベルではない。

 数回使ってみて分かったのは、ほぼ完璧に存在を消すということ。


 影山はスキルを行使しながら立ち止まり、ふと考える。


(まるで僕の存在そのものが、この世界から認識されていないような感じ……。いや、やめよう。なんか子供の時のことを思い出しそう……)


 そして。

 おまけに『地獄耳』だ。

 任意の対象をロックオンすることで、いつでもどこでも推し周辺の会話の内容はばっちり聞き取れる。


 要するに、だ。

 影山光人《二十五歳童貞》は、盗聴と尾行のプロフェッショナルということである。


 警察官としてどうなのか、という疑問はこの際置いておく。

 人としても、という点も。


 そんな能力を駆使して影山は、竹原と彼女――後に吸血鬼と判明する美少女の動きを、世界の認識の外からピッタリと張り付いて見守り続けていた。


 途中、上司である松下からの安否確認からの緊急招集の電話により、避難所へと様変わりしたド◯キへと行く羽目になったが。


 そして、そこにいた松下《魔眼の嘘発見器》と梅野《人物鑑定持ち》からのステータスチェックにより、自分のジョブとスキルは即効バレた。


 ちなみに、それを知った松下は目を細めて一瞬何かを考えた後に、仏のような顔で「君には期待していますよ、影山くん」と圧をかけられた。

 梅野からは、なぜか怯えられる?軽蔑されてる?ような顔で距離を取られた。


 そうして、影山はろくに推し活もできずに悶々としたまま、松下に言われるがまま任務に励んだ。

『地獄耳』は常に起動して「推し」に貼り付けてあるけど。


 そして、知ってしまった。


 竹原が避難所を襲う計画を立てているという事実を。

 それを聞いたとき、影山は本気で頭を抱えた。


 やっぱりだ。

 あの男が善人なわけがないと思っていた。

 思ってはいたが、ここまでとは思わなかった。


 しかも、だ。


 計画の拠点が――神社だった。


 住宅街の外れにある、小さな神社。

 まさか神社を隠れ家にして襲撃計画を立てるなんて。


(なんて、罰当たりな奴なんだ。竹原くん)


 影山は松下にすぐに報告しようとした。

 だが、松下は避難所の指揮で忙しく捕まらない。

 かわりに、竹原の教育係である桐生に相談してみたのだが……まぁ、信じてはくれなかった。


 そりゃそうである。

 その姿を亡き弟に重ねて見ている竹原と、陰キャのクソコミュ障の影山。

 どちらを信じるかと言われたら、ねぇ?


 だから、影山は一人で向かった。

 ステータスを得てから湧き上がる高揚感とか、誰も自分に気づかない全能感とか、推しを救うのは僕だけだみたいな使命感で。

 一応、松下にあててメモは残したきた。

 だって、ビビリだし。報連相を怠って怒られたくないし。松下さんはそういうところ厳しいのだ。


 そうして、影山はその境内の石灯籠の陰にしゃがみ込みながら、息を殺して様子をうかがっていた。


 時間は早朝。

 魔物が世界に現れてから二日目のことである。


 竹原の魅了を受けたらしい連中が、何人も境内に集まっていた。

 武器を持っている者もいる。


「うわぁ……」


 思わず小さく呟く。


 会話を聞いて分かってはいたが、これは完全にアウトだ。

 どう見ても襲撃の準備である。


 影山はすぐに状況を頭の中で整理した。

 人数。配置。武器の有無。

 あとでしっかりと松下に報告するために。

 仕事はちゃんとやる人間なのだ。覗きと盗聴のプロだし。


 それらを記憶しながら、静かに境内を移動する。

 影山の足音に気づく者は、誰一人としていなかった。


 まさに『陰者』の名にふさわしい動きである。

 ……まあ、本人はただのクソ雑魚コミュ障なのだが。


 今、神社には竹原はおらず、いるのは魅了兵たちと推しだけなのは事前に把握している。

 自分のような、敵にしたら厄介なスキル持ちも、まぁいない。

 一つ、懸念点は推しのスキルだが……。


 そんな調子で偵察を続けていた影山の《《耳》》に、不意に聞こえてきた。


 

『地獄耳』に響く衣擦れの音。

 そして、女性の吐息。


「……」


 影山はゴクリ、と、息を呑む。


 音の方向は、本殿内部。

 人の気配がある。

 分かっている。

 中にいるのは一人しかいない。


 影山はそっと回り込んだ。


 ちょうどいいところにあった裏手の窓から、ほんの少しだけ顔を出す。


 そして――


 

 影山は、固まった。


 そこにいたのは、彼女だった。


 あの朝に出会った、銀髪の少女。


 竹原が連れていった、あの美しい存在。


 ずっと、それこそ四六時中《《耳》》に響いていた、あの美しい声の持ち主。


 彼女は今、神社の中で――


 着替えていた。





 影山の思考が、完全に停止する。


 銀色の髪が背中に流れ、白い肌が薄暗い部屋の中でも光っている。


 その姿は、もはや芸術だった。


 いや、神話だ。


 人間が見ていい光景ではない。


 少なくとも、彼のような陰キャオタクが見ていいものでは断じてない。


 だが、目が離せない。


 視線を逸らさなければ。


 逸らさなければならない。


 倫理的に。


 人として。


 警察官として。


 だが。


 身体が、まったく動かなかった。


 というかむしろ、微動だにしなかった。


 結果として、彼は見てしまった。


 見てしまったのである。


 推しの、着替えを。


 推しの、おっぱいを。


 くびれを。


 おしりを。


 しかも、かなりしっかり。ねっとりと。


 そして、その瞬間だった。


 銀髪の少女が、ぴたりと動きを止めた。


 ゆっくりと振り向く。


 その紅い瞳が、影山の方を見た。


 ……見えないはずだった。


 影山は『透明人間』を発動している。


 普通なら、誰にも気づかれない。


 だが、吸血鬼は違った。


 彼女は確かに、そこにいる「熱い何か」を感じ取ったのだ。


「……誰?」


 静かな声だった。


 だが次の瞬間。


 影山のスキルが、ふっと途切れた。


「あ」


 原因は単純だった。


 影山が、あまりにも動揺しすぎてスキルの維持を忘れたのである。


 なぜ動揺したのか。


 話しかけられたからである。


 人生を掛けて推すと決めた、推しに。


 そして。


 そこに現れたのは――


 顔面蒼白でガチガチに固まった、一人の男。


 目の前には、着替え途中の美少女。


 状況としては、完璧なまでの――





 覗き魔だった。





「ち、違うんです!!」


 反射的に叫んだ。

 彼らしくない、はっきりとした声で。


 だが、もう遅い。



「き、きゃぁぁぁぁぁぁぁあっ!?」



 吸血鬼の叫びとともに、紅い瞳が怪しく光った。


 そして。


 影山の思考は、ふっと白く塗りつぶされた。


 ――『魅了の魔眼』。


 影山光人は、人生で初めて女性に、本気で「心を奪われた」。


 物理的な意味で。


 彼は、そのままふらふらと歩き出した。

 神社を離れ、避難所の方へ。

 彼の愛チャリは、少し離れたところに置き去りである。


 ちなみに。

 その自転車はこのあと、魅了兵から追われて逃亡する望月によって見事にパクられることになるのだが――


 この時の影山は、そんな未来など知る由もなかった。



 昼前。

 避難所へと様変わりしたド〇キの入り口に、一人の男がフラフラと現れた。


 そう、我らが覗き魔、影山光人である。

 

 その表情は、この世の終わりとは思えないほど恍惚としていた。

 頬は赤らみ、黒縁メガネ越しの焦点の合わない瞳は虚空を見つめ、口元からは薄っすらと締まりのない笑みが漏れている。


 一応、本人の脳内では「普段通りに装え」という魅了の命令が働いてはいたが、如何せん、元が挙動不審の極みである影山だ。


 いつものダボッとした黒いパーカーに黒いズボンを装備した、猫背で姿勢が悪い青年。


 結果として出力されたのは「不審者が全力で一般人のフリをして失敗している」という、逆に通報不可避な姿であった。


(尊い……)


 だが、魅了されている最中にも関わらず、影山の脳内は至って平常運転だった。


(あぁ……今、僕は推しに魅了されている……つまり、これは――

 




 公式供給では?)



 思考がバグっていた。


(いや待て、落ち着け僕。これは洗脳だ。冷静になれ。警察官としての自覚を――

 



 でも推しの魔眼なら合法では?)



 ダメだった。

 完全にダメだった。


 そのまま影山は、ふらふらと避難所内を歩き続ける。

 途中、同僚の警察官の視界に入るも、当然の事ながら止められることはない。

 だってこいつ、普段からボッチだし。

 おまけに今はどう見たってヤベェ顔してるヤベェ奴なので、余計に。


 そして、影山はどんどん進み、棚にぶつかりゴミ箱に足を取られ、それでもなお歩き続ける。


 そんな彼の前に、見慣れた男が立ちはだかった。


「おや、影山くん。いいところに。先ほどのメモの件ですが……」

 

 低く、落ち着いた声。

 声をかけてきたのはこの避難所の要、影山の上司でもある、松下京介だった。


 影山は、ぴたりと足を止めた。

 だが、彼は答えない。

 いや、そもそも彼には聞こえていない。


「……おっぱい……銀色……聖域……デュフ、デュフデュフ……」


 ブツブツと呟かれる、あまりにも酷い内容。

 影山は焦点の合っていない目で、ぼんやりと上司を見上げる。


 松下は仏の如き笑顔のまま、その様子を一目見ただけで全てを察した。


「……なるほど」


 細められる目。

 その視線は、影山の奥――その精神の歪みを正確に捉えている。


「ふむ。避難民に紛れ込んでいた者たちと同じですね」


 松下は有無を言わさず影山の首根っこを掴んでそのまま引きずり、近くの応接室へと放り込んだ。


 実は、影山が偵察に出る前に残した「襲撃の予兆」のメモを受け取った松下は、すぐさま梅野に全避難民のチェックを命じていた。


 結果、避難民の中に紛れ込んでわざと騒ぎを起こそうとしていた数名の男たちを特定。

 彼らのステータスには共通して『魅了中』の三文字が刻まれていたのだ。


「……さて。このタイミングで君が魅了にかかったのは、不幸中の幸いですね」


 へらりと笑いながら、警察官にあるまじき下品な言葉を吐き続けている影山。

 彼を見て、松下はそう呟いた。


「魅了というものがどの程度のものなのか。それを知る、良い機会です」


 松下がニコリと笑う。


「お手柄ですよ、影山くん」


 避難民の中に紛れていた魅了された者たち。

 松下は彼らを視て、魅了の魔力の核が頭にあるのはすぐに分かった。


 頭に魔力の塊がある、ならば……それを散らしてやれば。


「影山くん。君は何を命じられましたか」


「おっぱい」





 ――パァン。




 唐突にそれは起こった。


 左のこめかみから右のこめかみへと抜ける、乾いた破裂音。

 そして、一拍遅れてやってきた、脳みそが揺れるほどの衝撃。


「ひぎぃィイっ!?!?」


 影山の側頭部に炸裂した、望月曰く「世界を狙える」らしい松下の拳。

 影山の脳内にある魅了の魔力を強引に、さりとて正確に撃ち抜いて粉砕、霧散させる。


「……影山くん。発言には気をつけなさい。君は警察官なのですから」


  と、その時。


 無線から梅野の焦った声が響いた。


《松下さん! 入り口に、ステータスの見えない男の人が来ました! なんと言うか……すごい不審者です!》


「……ステータスが見えない? わかりました、すぐに行きます」


 松下は倒れ伏す影山を見下ろす。


「……君の頭にあった《《誰か》》の魔力はもう消えました。ならば、もう大丈夫でしょう。しばらくそこで寝ていなさい」


 松下が駐車場の入場ゲートへ向かうため部屋を出る。

 念のため、応接室の鍵は閉めておく。

 魅了されていなくても、影山の発言はちょっと、というか、かなり……危ないから。



 ☆


 昼過ぎ。

 《《不審者》》の対応を終えて応接室へと戻ってきた松下は、まだ気絶していた影山の頬をパンパンと叩き無理やり覚醒させた。


「おっぱい……い、いたい!? なんで!? あ、あれ?  松下さん!? な、なんで!? ここは!? おっぱいは!?」


「現実です。ふむ、まだ頭がおかしいようですね。もう一度殴ったほうがいいですか?」


 心なしか、いつもより若干冷たい物言いに、影山は「僕、なんかやっちゃいました?」と内心でビクビクする。


「え、あの……すみません、僕……」


「正気に戻りましたか。君、偵察に行って何をされたか覚えていますか?」


 松下の問いに、影山は何故かジンジンと痛む頭を擦りながら思い出す。


「え……ええと、神社に、行って……眼が合って、それで――」


 そこで影山の思考がロックされた。

 本来なら「着替えをねっとりと凝視した」という前科が再生されるはずだったが、あまりにドチャクソ美人な吸血鬼の裸体は、二十五年間の潔白を貫いてきた影山の脳には毒気が強すぎた。


「……お、覚えていません!」


 脳が自壊を防ぐため、その瞬間の映像を漆黒の闇に封印したのである。


「……覚えてない、と言うなら、今はいいでしょう。それより、覚えている限りのことを報告してください」


「あ、はい! し、襲撃は、本当です! 神社に、連中が集まってます。武器も持ってました。……それと、避難所内に潜り込んでいた奴らについては……」


「安心しなさい。君のメモのおかげで、内部にいた者も全て追い出しました。新しく避難してくる者たちも、事前に弾くよう手配しています。対応は私が、そして梅野くんにも協力してもらっています」


 松下の言葉に、影山はハッとした。

 

「ま、松下さん……」


「あのメモの件以外にも、いろいろと助かりました。君のおかげで、市民の安全が守られる。影山くん……よくやった」


 松下が影山の肩を叩く。

 ぽん、と。

 それは、先ほどの衝撃よりも強く、影山の心に重く響く。

 自分のようなモブの、あんな殴り書きのメモを信じて動いてくれた。


「は、はい……! あ、で、でも……」


 そして、自分の推し――あの銀髪の女神を、汚らわしい計画に利用しようとしている黒幕《竹原》への怒りが、影山の胸中で「聖なる火」へと変わった。


「松下さん。……もっと詳しい敵の情報が必要ですよね。僕が、行きます」


 その瞳には、今までにない意志の光。

 声も、震えを押し殺して力強く。


 松下は一瞬驚いたように目を瞬かせ、やがてニッコリと微笑んだ。


「……君に何があったのか分かりませんが、良い傾向ですね。ですが影山くん、偵察任務は別の方に頼もうと思います」


「え……な、なんで!?」


「それは……」


 そして、影山は松下から望月という男のことを聞く。

 レベルが高く、ステータスを見る限りではこの避難所にいる誰よりも戦闘能力がある。

 つまり、例え偵察がバレて戦闘になったとしても、生還できる可能性が高いのだ。

 即バレしてまんまと魅了されてきた戦闘能力皆無の影山とは違う。


「ですから、君には彼のサポートをお願いします。彼に頼むのはこれからですが……彼は、私の頼みを断らないと思います。それと――」


「任せてください! 行ってきます!」


 影山は松下の言葉を待たずに威勢よく応接室を飛び出した。

 その脳内では、極めて独りよがりな理論が展開されていた。


(そうだ、これは聖戦だ。ジハードだ。正義は僕にある。それに協力者。松下さんが言うくらい強いんだ、これはもう勝確と言っても過言じゃない! ……敵の首魁、竹原くん。君は卑怯にも裏でコソコソと推しを操り、避難所を襲おうとしている。推しを汚す奴は僕が裁く……!)


 自分のことを棚に上げて、酷い言いようである。

 覗き魔のくせに。


 そして、許可が出た瞬間、影山は『透明人間』を発動し、松下の目の前からかき消えた。


「な……! 待ちなさい、影山くん! ……はぁ、行ってしまいましたか」


 その鮮やかな消えざまに、松下は少しばかり呆れつつ感心し、思案する。


(少しばかり自信がついたのはいいことだが……彼が帰ってきたら、またお話ですね。それよりも)


 松下は頭を切り替える。


「桐生くん、今後の対応のことで話が。……えぇ、そうですね。竹原くんは必ず。それと、協力者として――」


 襲撃に対応するため、これから作戦を詰めなければいけない。

 無線で部下に指示を出しつつ、松下は応接室をあとにした。


 ☆


 その頃。

 影山は避難所の狭い通路を駆け抜け、入り口から屋外へと勢い良く飛び出す。


 目標は再び、あの神社。

 推しの住まう聖地。


 今度は松下さんに認められた「公式の任務」だ。

 もうコソコソなんてする必要はない(スキルは使うが)。


 意気揚々と、彼は駐輪場へと向かった。

 

「さて……愛車《相棒》、出撃だ! 待っててね、我が最愛の推し――」

 

 影山は、駐輪場の前で、まるで時間が止まったかのように凝固した。

 

「……あれ?」

 

 ない。

 どこをどう見ても、自分の愛車が見当たらない。

 サビの浮いた、しかし高校の頃から使っている愛着のあるママチャリが見当たらない。


 左右をキョロキョロと見渡し、果てはゴミ箱の裏まで探すが、そこにあるのは無機質なアスファルトだけだ。

 

「え、嘘……パクられた? この終末世界で、警察官のチャリをパクる不届き者がいるの!? ……あ、そうか。神社だ。神社に置いてきたんだぁぁ!!」

 

 魅了されて恍惚のまま歩いて帰ってきた代償。

 苦楽を共にした相棒である愛車はまだ敵陣の只中にある。

 チャリがないのは非常にめんどい。

 しかし、今の彼に引き返すという選択肢はなかった。

 

「……行くしかない。徒歩で! これも試練だ! 推しへの愛が試されているんだぁぁ!!」

 

 影山は『透明人間』を維持したまま、全力で走り出した。

 午後の容赦ない日差しの中で、あらかた駆除したとはいえ魔物とエンカウントしないかと無駄にビクビクしながら、運動不足のオタクは体力を削っていく。


「はぁ、はぁ……死ぬ、死ぬ……」


 と、早くもボロボロになりながら、ようやく神社の見える通りまで辿り着いた。

 道中、集中力が切れてスキルの維持が困難になり何度も休憩したため、かなりの時間を要した。


 だが、そこで彼を待っていたのは、想像を絶する光景だった。

 

「……は?」

 

 視界の先、神社の敷地が、真っ赤な炎に包まれていた。


「な、なんで……!?」


 パチパチと木が弾ける音。

 立ち上る黒煙。


「な、なんだよこれ……。どうして燃えてるんだよ! 吸血鬼さんは!? 銀髪美少女は!? 僕の推しはどうなったんだよぉぉ!!」


 燃え盛る聖地を前にして、影山はガクッと膝をついて叫ぶ。

 それは、彼が「推しの聖地」と崇めていた場所の、あまりにも無慈悲な終焉だった。

 

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