夜会の前に
艶やかなブルーグレーのドレス。コルセットを使わずに着れるようなシルエットで作られた、私の為のドレス。
マリーの方を振り向くと、心得たように説明してくれる。
「こちらは旦那様がご用意されていたものです。旦那様は毎年、ご用意されておりました。そして……それはディオン様も承知していて……いつも旦那様はディオン様の意見を聞き……作られていました」
悲しそうに付け足しされた言葉を聞いて目が潤む。
きっと、私が夜会に行きたいと口にすればすぐに連れて行ってくれるつもりだったのだろう。
いや、こういったドレスが着たいとでも言っても同じだったかもしれない。私がやりたいと言った時に……すぐにできるようにしてくれていたのだ。
それを言わなかったのは、私がせっかく作ったのに申し訳ないと言って無理をして着ようとするのではと考えたのだろう。
お父様もディオンも……いつも私の事を考えてくれているから。
もっと我儘を言ってくれてもいいのに、私をいつも優先してくれる。
目から涙が零れそうになるが必死に堪える。今はそんな暇はないのだ。
そこに軽いノック音が響いた。
「確認して参ります」
マリーが扉を確かめに行ったのを横目で見てから改めてドレスに目を向ける。
ブルーグレーを基調としたドレスはきちんとしたコルセットを使わずにすむようにふわりとしたシルエットになっている。夜会では鎖骨や肩を出し、そこに豪奢な装飾品を付けて目立たせるのが通常だ。しかしこのドレスは淡い水色の繊細なレースで首から手首まで全てを覆っている。
しかも装飾品も綺麗な金の台座にディオンの瞳の色の魔石が据えられたものを首と鎖骨の間に縫い付けてある。その周囲は金の刺繍で綺麗に縁取られているのでこれ以上の装飾品は付けない方がいい。きっと装飾品を付けると重くなってしまうのを危惧してそうしてくれたのだろう。そして魔石には見覚えのある魔術式。誕生日に贈ってくれたものと同じだ。
生地も艶やかで上質な生地。しかし触ってみると生地触りが軽い。きっとドレス自体が重くならないようにしている。
もう一度確かめたディオンが選んでくれたドレスは私への思いやりばかりでできていた。それが愛おしくて嬉しくて……今ここにディオンが居てくれないことが、悲しい。
ドレスを眺めているとマリーが戻ってきて告げた。
「お嬢様、ユーフィリウム侯爵夫人様が参られました」
私は驚きに目を見開く。
すぐに入ってもらうように言うと、ディオンのお母様であるアイリス様は神妙な面持ちで入って来られた。しかしすぐにプラチナブロンドの髪に覆われ顔が見えなくなった。
「フィーリアちゃん……いえ、フィーリア嬢。この度は不義理をして申し訳ありません」
「アイリス様……!顔を上げてください!」
固い声で頭を下げるアイリス様を慌てて止める。けれどアイリス様は顔を上げてくれない。
「いいえ……。どのような理由があっても、あの子が婚約破棄を告げたのは事実よ。私はそれを貴方に詫びなければならないの。本当に申し訳ないわ」
頭を下げ続けるアイリス様に苦しくなって胸の辺りをぎゅっと握る。
アイリス様は母が早くに亡くなった私をいつも気に掛けてくれた。ユーフィリウム侯爵邸になかなか行けない私の為にトルメリア伯爵邸まで来て色々と教えてくれた。刺繍を教えてくれたのもアイリス様だった。
すっと息を吸ってアイリス様の肩に手を置く。するとディオンと同じ空色の瞳が私を映した。
「アイリス様。私は……私が怒っているとしたら……何も相談してくれなかったディーにです。だから私、これからディーに会いに行きます」
私の決意を伝えると、アイリス様の瞳が煌めいた。
「フィーリアちゃん……」
少し潤んだ空色の目に笑みを向ける。
「ディーに伝えます。私に相談してって。互いに思いやり合って、困難には二人で立ち向かう……それが……」
一度、言葉を止める。
描こうとしていなかった未来を今、思い描く。
「それが……将来夫婦になる、婚約者との向き合い方だと思うから」
思い描こうとしていなかった未来。手に入らないと諦めていた未来。
それを、
――ディーが与えてくれたもの。
だから私は、ディーが与えてくれたその未来を決して手放しはしない。
アイリス様がくしゃりと顔を崩す。いつも淑女でいるアイリス様の、初めて見る表情。
泣き出しそうだけど嬉しそうな、慈愛に満ちた優しい表情はきっとディオンの母としての顔だ。
「アイリス様。私、今夜の夜会に出席します。私にとって初めての夜会です。作法等ご教授願えませんか?父がエスコートしてくれますが、女性の夜会の所作はきっと父にもわからない部分があると思います。ですからアイリス様にお願いしたいのです」
微笑んでアイリス様にお願いすると、目を潤ませていた彼女は一度目を瞑る。
次に目を開いた時にはいつもの凛としたアイリス様だった。その綺麗な空色の瞳が私を映す。
「わかったわ、フィーリアちゃん。ユーフィリウム侯爵夫人である私が、貴方の指南役を務めましょう」
淑女の笑みを浮かべたアイリス様は頼もしい。
「お願い致します、アイリス様」
幼い頃から体調が良い時に習っていた淑女の礼をする。
体が弱いから、なんて周囲には関係ない。その印象を払拭すべく出来る限りのマナーは習ってきた。それを教えてくれたのも、アイリス様だった。
「ふふ、流石フィーリアちゃんだわ。美しい礼ね」
微笑んだアイリス様は美しかった。
窓から見える空は、少しずつ色を変えていく。




