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「不味いな」
「あぁ、すこぶる不味い」
今日も大部屋にたむろしているノーマンとケヴィンは、各星読みたちに届いた郵便物を配布して回っているジェーンをちらちら見ながら小声で呟いた。
「なんだよあれ…」
いいのだ、ジェーンは何も責められるところはない。真面目に仕事をしているだけだ。問題は部屋の入り口で仁王立ちしている黒白頭のほう。
「見張りらしいぞ」
「誰の?彼女の?」
「多分こっち側の。
彼女に手出しする奴がいないか見張ってるらしい」
「おーこわ。
見ろよ、あの女史の顔」
見るとちょうどジェーンがオーレリアに郵便物を渡すところだ。ザックの手前大人しく受け取ってはいるが、その顔は苦渋に満ちていたし、何ならぼそっと何か一言呟いている。
「あれ『ありがとう』って言ってる訳ないよな」
「まぁ違うだろう」
ジェーンが働き出してからこの数日、ジェーンとザック、そしてオーレリアが大部屋に集まると、いつも星読みたちに得も言われぬ緊張感が走る。
今度もまたそこかしこで三人の様子を窺う視線が飛び交ったが、幸いオーレリアが塔での仕事に呼ばれ、そして郵便を配り終えたジェーンがザックと共に退室したことで、ふたりもようやく息をついた。
「どうなってんだ、ザックの奴」
「どうかしちまったんだよ。
抜け駆けして彼女に仕事を頼もうもんなら、
ザックがすかさずやってくるらしいぞ」
「そういや聞いたぞ。
彼女の控え室に、まとめて欲しい観測データを
勝手に置いた奴がいたらしい」
「げぇっ、勇者だな」
「どうなったと思う?
ザックがこれでもかと丁寧にまとめて突き返したんだよ。
ご丁寧に注釈付きでね。すげえ嫌味」
「番犬かよ、あいつ」
「寝癖も直すようになりやがって。
おかげでオーレリア女史が爆発寸前だ」
「あとどれくらい保つと思う?」
「さあてね。小爆発くらいで留まって欲しいけど」
過去のオーレリアと女性職員の修羅場を何度か目撃しているふたりとしては、なるべく穏便に済んで欲しいというのが本音だ。
「ジェーン嬢が思ったより聡明で、
よく気がつく良い子だってのも不味いよな」
「あれは女史としては気に食わないだろうなぁ」
そしてまた顔を合わせ、はぁ、と大きなため息をついた。
ーーーーーーーー
「通勤は慣れた?」
「ええ、もうすっかり」
現在ジェーンは自分の小部屋で、観測データのまとめ方についてザックに教わっている最中である。
勤務二日目の朝にデスクに観測データの山が積まれていたのには驚いたが、ザックがうまく対処してくれたらしい。だがいつかは出来るようにならないと、とお願いして、プチ授業をお願いしている訳だ。
「ジェーンは飲み込みが早いよ。
これならすぐに俺の観測まとめもお願いできそう。
それに字が綺麗だ。村の学校へ?」
「あら、光栄です。
村の学校はほとんど行っていなくて。
黒手袋の訓練所と図書館の往復だったんです」
「図書館」
「村にたまたま、首都で司書をしていた方がいらして。
方々から蔵書を集めて、私設の図書館を作ったんです。
結構ニッチな蔵書も多くて、
そこを目当てに村を訪れる人もいるほどで。
知る人ぞ知る村の名所なんです」
「へえ」
「その方が私に机をくれて、
字の練習や分からない単語の調べ方を教えてくれました」
「そうなのか」
そんな昔話をしていると、小部屋をコンコンと叩く音がした。
「はい」
ジェーンが答えると、カチャリと扉を開けて小柄な若い女性の星読みが覗き込んでくる。
「こんにちは、ジェーンさん。
お仕事をお願いしたいのだけれど。
ザック、どうかしら?」
「レイチェル、どんな仕事?」
「来週の夜、大規模な観測をするの。
ちょっと余裕がなさそうだから、
雑用をお願いしたいのだけれど。
頼むのはお願いした時に時間を読み上げて貰ったり、
足りない用具を取りに行って貰ったり、
そういうことを想定しているわ」
「なるほど」
ザックは顎に手を当てて考え込み、ちらりとジェーンを見る。
「引っ越し直後の夜勤は大変じゃない?
もちろん夜勤翌日は休みにするけど」
「いいえ、昼間にお休みが頂けるなら、
その時間に買い出しに行けるから好都合です」
「じゃいいか。
レイチェル、受けるよ。
来週のいつ?」
「水曜の夜よ」
「分かった。
最初だし俺も行くけど、構わないかな?」
「もちろん。私の観測に不備があったら是非教えてね。
ザックに見て貰えるなら私も嬉しいわ」
そう嬉しそうに言ったレイチェルと呼ばれた星読みは、「あ、そうそう」と付け足した。
「ザック、長官が呼んでるわよ。
どうせジェーンのとこだろ、呼んでこいって。
備品の購入希望どうするかって」
「あー!やべぇ、要望出すの忘れてた!
すぐ行く!
ごめんジェーン、少し待ってて」
「はい、ここでまとめの続きをしてます」
「くれぐれも勝手に仕事を受けないように!」
「はい、承知しております」
バタバタと長い手足を振り回してザックが出て行った後、レイチェルも「じゃ、よろしくね」と退室しようとする。
が、レイチェルは少し考えてジェーンの元に戻ってきた。
身をずいっと寄せて、ひそひそと小声で話す。
「あの、ね。ジェーンさん」
「はい、レイチェルさん」
「オーレリアと、ザックには気をつけてね」
「気をつける」
密やかに忠告に、ジェーンは目をぱちくりさせる。
「仕事をあらかた習ったら、
早めにザックから離れた方がいいわ。
じゃないとオーレリアが何て言うか」
「はあ」
「じゃ、グッドラック」
そう言い捨てて、レイチェルもパタパタと小走りで小部屋を去って行った。
一人残されたジェーンは肩をすくめる。
レイチェルの言いたいことは分かる。
初日に背後から自分を睨み付けていた金髪美人のオーレリアは、その後もまったく隠そうとしない敵意をバシバシぶつけてくる。
さっきも郵便を届けた際、小声で「思い上がらないことね」と訓戒を頂いた。
おおよそザック絡みで恨みを買ったのだろう。
今も昔も、彼は無邪気で、純真で、魅力的で。
そして恨めしいほど、鈍感だ。
「坊ちゃまは…変わらないわね」
彼には前科がある。
少なくとも、ジェーンにとっては「前科」と呼ぶくらいの咎が。
ーーーーーーーー
「…遅いわね」
ザックはなかなか戻ってこなかった。
課題として渡されていたデータはまとめ終わってしまい、何度か見直しも済ませてしまった。
あまり望ましくはことではあるが、今は彼の指示なしでは動けない。
手持ち無沙汰になってしまったジェーンは、ペンを弄びながら調子をつけて口ずさんだ。
「ポルフィリオ、ロサ、ノーマ。
ベリジェリオ、オルフェ、ダ、ヴァルツドトーチ」
そのとき、ゴンゴン、となかなか力強いノックが響いたかと思うと、「お邪魔するわよ」とジェーンの返答お構いなしに誰かが押し入ってきた。
「お、オーレリア、さん」
ジェーンは思わず椅子から立ち上がる。
入ってきたのは口元に勝ち気な笑みをたたえた金髪美人、オーレリアであった。今日も隙なくメイクアップしている。
「ジェーン・カンタベリーさん」
「は、はい」
「忠告しておくわ。
ザック様に構って頂いているからといって、
調子に乗らないように」
「はい、オーレリアさん」
ジェーンが素直に頷くと、何が気に触ったのかオーレリアは眉間に深い皺を寄せた。そして得意げに続ける。
「あなたは知らないでしょうけれど、
ザック様は本来あなたのような人とは、
まったく住む世界が違うお方なのよ」
オーレリアは勝手にジェーンの前の椅子に座ると、歌うように語った。
「あなた、『老師』をご存じ?
今はお休み中の、歴史上最も優れた天文学者。
ザック様はそのプロテジェなの。
老師がお取りになった5人のプロテジェ…
私たちは彼らを『老師の五兄弟』と呼ぶわ。
ザック様はその最年少にして、
老師の叡智を余すところなく受け継ぐ希有な存在。
上の四人のお兄様は老師と共に塔を出られたから、
彼だけが現存する老師の語り部なの。
さらにはご実家は大変な名家でいらっしゃる」
『最後のは知ってます』とは口に出さぬまま、ジェーンは殊勝に頷き、元の椅子に腰掛ける。
「だからこそ、付き合う人間は選ばなくてはならない。
あなたのような」
とここで言葉を切り、たっぷりとジェーンの黒手袋に侮蔑の視線を注ぐオーレリア。
「…あなたのような方と、
長く交わってはいけないのよ」
「心得ております」
「そもそもですけれど。
あなた方のような方がこの塔に出入りすること自体、
私は我慢ならないのです」
オーレリアは細く整えた爪でカツン、と机を叩く。
「あなた方みたいな欠陥品が、
それを盾に過分な恩恵を受けて大きい顔をするなど、
厚かましいったらありゃしない。
しまいにはその欠陥を武器にして、
ザック様に近づこうとするなんて」
「ち、ちが」
「口答えするつもり?」
思わず否定したジェーンの言葉を、オーレリアはぴしゃりと退ける。
「さぞかし良い思いをしてきたんでしょうね、
この手で」
そう言って、長い爪で汚物をつまむようにジェーンの黒手袋をつまみ上げた。
「黒手袋というだけで、
こうも簡単にザック様のお傍に侍るなんて。
私の努力なんて、微塵も分かりはしないんでしょうね」
そしてぺっ、とゴミを捨てるようにジェーンの手を撥ね除け、
「身の程を知っている、というなら。
すぐにこの塔から消えなさい」
世界の隅っこで、欠陥品らしくうなだれて朽ちれば良い。
そう言い放ち、オーレリアはジェーンの目をまっすぐに睨み付けた。
『・・・すごい、敵意ね』
オーレリアの目論みに反し、ジェーンは冷静だった。
強い敵意を真正面からぶつけられ怯みはしたが、伊達に10年も黒手袋をやっていない。
すぐに心を立て直し、すっと頭を下げた。
「オーレリアさんの仰るとおりです。
私たちは皆さんの善意で生かして頂いている。
申し訳ございません」
大切なのは最初に譲歩すること。
「ですが、国のお膳立てあってのことと知っても、
普通の生活を望むのはいけないことでしょうか」
その上で、柔らかく、しかし主張すること。
「この求人を得たのはたまたまで、
そのように崇高な場所だとは知りませんでした。
オーレリアさんの仰ることも分かりますが、
私はせっかく得た就職のチャンスを、
みすみす捨てることはしたくないのです」
そして自分の居場所は、しっかり踏ん張って守ること。
はっきりと言い切ったジェーンを、何か不可思議な物を見るように顔を歪めたオーレリアは、
「…忌々しい。汚らわしい。欠陥品が」
とまた吐き捨て、乱暴に立ち上がって扉を開け、足音荒く出て行った。
…なんとか切り抜けた緊張感あふれる局面に、ジェーンは心からほっとしてずるずると身体を椅子に沈み込ませる。
『欠陥品、欠陥品って。
ずいぶん言ってくれるわね。
誰が私をその欠陥品にしたか、
聞かせてやりたいわ』
そして、小さい頃と変わらず、こういう時には決して助けに現れないザックに、ジェーンは辟易したのだった。
明日から平日は1日1話、18時です。




