10
「えぇー?!何で断らなかったんですの?!」
「いや、それがねぇ…」
本日は快晴、抜群の引っ越し日和である。
ベルウェンの街に到着してから長らくお世話になったホテルを離れ、サイゴンから紹介してもらった新居に移り住むのだ。
荷物をまとめ、チェックアウトも済ませたホテルのロビーで、ジェーンとリーゼロッテは本日の助っ人を待っている。
「そもそもですわよ?
事故の原因になった人に再会したってだけで、
わたくしはジェーンの身を案じたのに。
それが直属の上司になって?
彼に懸想する女狐から攻撃もされて?
どこの恋愛小説ですの?それ」
しんじられない、とリーゼロッテは何やらまるで大人のような身振りで遺憾の意を表しているが、これには訳がある。
昼間ジェーンが働いている間、リーゼロッテはホテルで待ちぼうけであったのである。
もちろん活動の幅を広げたリーゼロッテは自分で本屋に行き、「初級:黒手袋の幼児でもわかる扱いかた」や、「黒手袋の歴史と解釈」など自分に必要な教本を買って読んでいた。しかしそれだけでは暇を持て余し、彼女ははやりの恋愛小説に手を出したのである。
これが面白かったようで、本屋の店員に顔を覚えられるくらいに買い込み、懐を心配されながら次々と読破していったのだ。
お陰で帰ってきたジェーンから聞くザックとオーレリアの話が恋愛話に変換され(恐らく一部は合っているだろうが)、本日の助っ人がザックであるということを聞いた今、彼女は怒り心頭なのである。
「断ろうと何度も言ったんだけど。
その度に彼が、
『気にしないで、俺はこんなに楽しみしてる』
ってプランを嬉々として話すもんだから…。
ほら、そんな話を誰かが聞いてたらまずいから、
いつも有耶無耶に話を切り上げちゃってたのよ」
「それこそ今日目撃でもされたら不味いんじゃない?」
「大丈夫よ、あなたがいるもの」
頼りにしてるわよ、と肩に両手をポンと置かれたリーゼロッテは不思議そうな顔だ。
「わたくしが?何かできまして?」
「ザックさんと一緒に行動するのは基本あなた。
私は先に新居に行って鍵を開けてきたり、
家の荷解きをしたり、
なるべく二人でいないようにするわ」
「なるほど。
どうしましょう、傲慢な俺様野郎だったら」
「ザックさんに限ってそんなことはないわよ。
ほら、あれ」
ちょうどジェーンが視線を向けた先、ホテルの窓ガラス越しに見えるのは、黒白頭を窓に向かって必死で撫でつけるザックの姿だった。どうやら寝癖を直しているらしいが、こちらから見られていることにはちっとも気付いていない。
「あら、とっても素敵なお顔立ち!
白黒の髪も珍しいし、
あの透き通った水色の瞳!とっても綺麗だわ!」
リーゼロッテはザックの顔が気に入ったらしい。確かに彼は中性的な感じの美形だ。
やがて寝癖がうまく落ち着いたのか、「よし」みたいな顔をして、ザックはふと視線を上げ・・・窓ガラスの中のジェーンと目が合った。
途端に目と口を大きく開き、おそらく「まじかよ」と呟いたザックは大きく天を仰ぎ、一つ深呼吸をしてホテルのエントランスに向かって歩き出した。
ややあってロビーにいた二人に合流したザックは、
「見てた?全く格好付かねえな」
と頬を赤くして盛大に照れていて、ジェーンとリーゼロッテは思わず顔を見合わせて笑ったのだった。
ーーーーーーー
「へえ、珍しいな。
リーゼロッテさんは今から訓練なのか」
「ええ、色々ありまして、
わたくしビギナーなのですわ」
現在リーゼロッテとザックは、ホテルから荷物を運搬中である。元々持ってきた荷物のほか、ホテル滞在中に増えてしまった荷物を貸し魔導自動車に積み込み、ゆっくり新居へ向かっている。
ジェーンとリーゼロッテでは魔導自動車は動かせなかったから、これはザックに感謝である。
ちなみにジェーンは予定通り先に新居に向かっている。
鍵を開けて待っている算段だ。
「ところでザック様」
「どうした?」
「恋人はおられる?
もしかしてご結婚を?」
「な、なにを藪から棒に」
急に切り込んだリーゼロッテに、ザックは慌てふためいた様子で彼女を見返した。
「だって、若い男性に引っ越しを手伝ってもらうなど、
下心があると思われても仕方ありませんもの。
もしパートナーがおられるならその方に失礼ですわ」
「あぁ、ジェーンも言っていたな。
そんなに遠慮しなくてもいいのに」
「遠慮とかじゃありませんわ。
もしあなたに恋人がいたら、
ジェーンやわたくしが、
周りから不審な目で見られるということです」
「そ、そうなのか」
「当たり前でしょう。
ご自分に置き換えてくださいな。
お友達の恋人が、
若い男性の部屋の掃除に行くと言ったら?」
「そ、そりゃ確かに嫌な感じだな」
「でしょう?当事者でなくても、
嫌な印象を与えてしまうのですわ」
「確かに君の言う通りかも。
安心してくれ、俺は完全に独り身だ」
「ならば安心いたしました」
「黒手袋の人のお手伝いなら、
みんな納得すると思うんだけどなぁ…」
ふん、と得意げに鼻をつんと突き出したおすまし顔のリーゼロッテは、まだ納得していない様子のザックをちらりと横目で見る。するとザックも同じようにリーゼロッテを見ていて、思わぬことを言い出した。
「君のその服、カールストン?
首都の有名なメゾンの?」
「よく分かりましたわね。
有名かどうか知りませんけれど、
わたくしの服は全てカールストンですわ」
「なんだそりゃ!!」
ザックは突然大口を開けて笑い出した。何を笑われたか分からないリーゼロッテは不愉快な気分になる。
「何が可笑しいんですの」
「いや、服が全部カールストンって、
いったいどんなお嬢様だよ」
その服いくらするか知ってる?と問いかけられ、リーゼロッテは口を噤んだ。リーゼロッテは施設から出ることはほとんどなかった。いつもメゾンから定期的に採寸のために人が来て、そしたら数ヶ月後にどーんと季節の服たちが到着するのだ。
家族が手配していたのか、施設の職員が手配していたのか。
今となってはリーゼロッテには知りようがない。
「そう。わたくし、元お嬢様なんですわ」
「元?」
「ええ。今は家族はいません」
計算されたように左右均等に口角を上げたリーゼロッテを、ザックは一度真剣な顔をした後、眩しそうに目を細めて見る。
そしてくしゃりと笑い、リーゼロッテの頭にぽん、と大きな手を乗せた。
「奇遇だな、俺も元お坊ちゃまだ」
「…そうなんですの」
「なんかあったら言えよ。
ほら、ジェーンと住むんだろ、
彼女経由でもいいから」
「ありがとう、そうさせて頂きますわ」
またつん、と返したリーゼロッテだったが、照れくささに頭のリボンを直しながら、
『罪作りなひとね』
と鼻を鳴らした。
ーーーーーーーーー
「ありがとうございました、ザックさん。
今日はとっても助かりました」
無事に引っ越しを終えた三人は、打ち上げとばかりに搬入されたばかりのテーブルにテイクアウトのフードをたくさん並べて夕食を摂っている。
「なんのなんの。
良いタイミングで良かった」
「ええ、まさか即日納品してくれるなんて」
家具については追々、と思っていたジェーンであったが、ザックの勧める家具屋に強引に連れ出され(ジェーンは人目対策に頭にスカーフを巻かなければならなかった)、あらかた見繕ったところで「今日運ぼうか?暇なんだ」と筋骨隆々の家具屋の店主に声をかけてもらえ、なんとその場で大きな魔導自動車に積み込み、あっという間に家に搬入してもらえたのである。
帰り際、店主に改めて御礼を言ったところ、「いいってことよ。いつでも頼ってくんな」と背中をパン、と力強く叩かれた。ありがたい申し出と屈託のない笑顔に、ジェーンは再度頭を下げたのだ。
ザックは大きなスプーンでラザニアを掬いながら言う。
「あの親父さんは人が良いから。
ボランティア精神豊富っていうか。
黒手袋には特別親切にする人なんだよ」
「…そうなんですね」
『ボランティア…ね』
少し引っかかりを覚えながらも、紹介してくれてありがとう、とジェーンは素直に礼を言った。新鮮なサーモンと塩漬けオリーブの乗った薄切りのバケットをフォークで口に運び、ちょうど良い塩気と酸味、そして少しの苦みを味わう。
『…この手で、
どれだけ良い思いをしてきたのかしら』
先日のオーレリアの言葉が脳裏によぎる。
この話を続けると少し意地悪になってしまいそうな気がして、
「ところで」
と話題を変えた。
「第三塔の方々が険しい顔をして集まっていましたが、
どうされたんですか?」
仕事の話でごめんね、とリーゼロッテにことわり、気になっていたことを聞いてみた。
昨日、何やら大部屋で何人かの星読みたちが集まっていて、
「長官に報告すべきか」
とか、
「うーんそれほどでもない気も」
とか、皆一様に口をへの字にして唸っていたのだ。
あのオーレリアも中にいて、机の上の紙を真剣に見ていた。
気になって見ていたら、近くにいた星読みの一人が、
「あぁ、第三塔の連中だよ。
今は取り込み中だから、ご用ならあとでね」
と教えてくれたのだ。
ザックはあぁ、と頷き、頬張っていたラザニアを飲み込むと、
「占星術の結果だな。
どうやら悪いらしい」
と教えてくれた。占いには興味があるのか、リーゼロッテも口を挟む。
「へぇ。一体何がですの?」
「国の運気だな」
「そういうお仕事もされているのですね」
「あぁ、結構頼りにされる。
今年の収穫量はどうだ、海運はどうだ、
他国の王族を招くなら何月が良いか」
「責任重大ですわね」
「まぁな、だが所詮は占いだから、
参考程度だと思うけどな。
…もしかしたら、しばらくの間、
第三塔の奴らはピリピリするかも。
ジェーン、何かあったらすぐ言って」
ザックはキリリと言うものの、
『もうあったとは言えない』
既にオーレリアの攻撃に遭った後のジェーンは苦笑いである。
「特に…あの、オーレリアには気をつけて。
勘違いしないで欲しいんだけど、
彼女は俺のプロテジェでも恋人でもないから。
こないだガツンと言っておいたし。
ジェーンに敵意を向けたら俺が許さないって」
「こないだ?」
「あのレイチェルが来た日」
『やっぱりそうか』
ジェーンは思いきりため息をつきたいのを何とか愛想笑いで堪える。あの日のオーレリアは殺気立っていた。「何か」がないと、あそこまで怒髪天の状態でほぼ接点のないジェーンに殴り込みには来ないはずだ。
余計なことを。
内心で悪態をつきまたバケットを食むと、リーゼロッテと目が合う。
「(こ れ は だ め だ)」
彼女はぱくぱくと口を開け閉めする。口パクでもはっきり分かる自分と全く同じ感想に、ジェーンは思わず眉を下げて笑ってしまった。
ーーーーーー
「じゃあね、ふたりとも。
戸締まりに気をつけて」
「ええ、今日は本当にありがとうございました」
ザックを見送り、リーゼロッテとふたりで鍵を閉めた。
「いよいよ新生活なのね。
リーゼロッテ、改めてよろしく」
「こちらこそよろしく、ジェーン」
向かい合った二人は、どちらからともなく笑い出す。
「さっきのザックさんは傑作でしたわね」
「やっぱり、彼が余計なことをしてたのねぇ」
「ありゃだめですわ、
とんでもない鈍感野郎!
デリカシーなし!
ジェーン、早いとこ離れるのが吉ですわ」
「ほんとそうよねぇ」
妹のようで友人のような、綺麗なお人形みたいな同居人に、ジェーンは心から感謝した。彼女がいなければきっと、今ジェーンはこんな風に笑えていない。
「ありがとう、リーゼロッテ。
あなたがいて本当に良かった」
「それはこちらの台詞ですわ、
一緒に暮らしてくれて本当にありがとう」
ーー…リーゼロッテがお風呂に入っている間、夜風に当たりにジェーンは中庭に出た。
夏の柔らかい夜風が、黒手袋を外したジェーンの掌を気持ちよく滑る。中庭を囲む住居のいくつかは、カーテンの中から淡い光が漏れている。
何の目的もなかったが、中庭を流れる小川に近づき、しゃがんで水を触って遊んでいると、
「良い夜だね」
と声を掛けられ、ジェーンは飛び跳ねるように水しぶきをあげて驚いた。
急いで振り向くとそこには老年のマダムがいた。
黒手袋はしていないが、ここにいるということは住人であると言うことで、ならばそういうことなのだろう。
えくぼがチャーミングな、優しそうなマダムである。
「ごきげんよう、えっと。
今日越してきましたジェーン・カンタベリーです。
あと同居人がひとり。
改めてまたご挨拶を」
「いいよいいよ、ここで会えた。
私は星揺。
どうぞよろしく、ジェーン」
そういって、マダムは手に持っていたマグに小川の水をひとすくい汲み、また中庭の闇の中に消えていった。




