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「長官、失礼します。
今日からお世話になりますカンタベリーです」
緊張しながら開いたドアの向こうで、「あぁ、どうぞ」と声がする。
ヘンドリックが帰ってから数日、リーゼロッテと色々散策したおかげもあり、たった数日だが街には少し慣れた。今朝は張り切って身支度をし、可愛い同居人の「頑張って」を浴びて、ジェーンは初出勤と相成ったのである。
カチャリ、と開けたドアの向こうには、先日と変わらぬ疲れた顔をしたメーガン長官が待っていた。
「ようこそ、星夜見の塔へ。
さっそくだが君の案内役を紹介しよう。
あぁ、これからは同僚になるのだから、
ジェーンと呼んでも?」
「もちろんです、長官」
一緒に執務室を出て、暗赤色の絨毯を歩いて行く。
「君の仕事は各星読みたちのアシスタント業務だ。
人によって何を求めているかは違うから、
彼らの話を良く聞くように」
「はい」
「それに、彼らの多くは夜に活動する。
申し訳ないが、夜に仕事して貰うことも多いだろう」
「頑張ります」
「だが無理に昼も夜も働く必要はないし、
過度な要求を聞く必要もない。
その辺は案内役が対策を考えているそうだ」
この部屋にいるように、と小さな小部屋に案内され、長官はまた出て行った。
薄い生成りのカーテンがかかった、涼しい部屋。
天井からは何かの星座を模したモールが吊り下げられ、カーテン越しに柔らかくなった光をきらきらと反射している。
真ん中に置かれた簡易デスクの両サイドに椅子が置かれていて、どちらに座るべきか迷った末、立ったまま待つことを選んだ。
書庫はあるが空っぽで、うっすら埃が積もっていた。コートをかけるポールハンガーが所在なさげに立ちすくんでいる。
コンコン、とノックの音がし、
「ジェーン、いいかね」
と、戻ってきた長官の声が扉の向こうでくぐもって響いた。
「はい、もちろん」
スカートを手で整え、姿勢を伸ばして待つと、すぐに軽い音を立てて扉が開く。
「紹介しよう、君の案内係を務めるザックだ。
当面は直属の上司として指示を仰ぐように」
長官に紹介されながら入ってきた長身の男性を眺め、ジェーンは己の目を疑い、何度も目を瞬かせた。
ーーーーーーー
ザックは半分地を歩いた感覚がないまま、小部屋の前に立った。
「ザック、彼女がジェーンだ。
あとは任せる。
まずは大部屋に挨拶に行けよ」
「心得ました、長官」
その短いやりとりで、長官はすぐに小部屋を出て行った。
改めてその女性に向き合ったザックは、つんと熱くなる目頭を誤魔化すように、
「ザックです、よろしく」
とだけ告げた。
『…彼女は普通の女性だ、美化するな』
ヘンドリックのいましめが脳裏をよぎるが、ザックはとんでもない、とそれを否定した。
白い髪は記憶より伸び、頭の後ろでお行儀よくまとめられていた。
済んだ緑色の瞳は同じく白いまつげに縁取られ、ぱちぱちと不思議そうに瞬いている。
生き生きとした血色が差す白い頬、引き結ばれた小さな赤い唇。
小部屋の柔らかな光の中で、ジェーンがいる場所だけ白く輝いて見えた。
何と言っていいか分からぬまま感極まり、次の言葉が出てこない。
これでは全くの不審人物だと慌てたそのとき、
「……あの。
坊ちゃま、ですよね」
控えめに彼女の唇がそう紡いた。
その瞬間、ザックの心の中の少年が感情を爆発させる。
『気付いてくれた』
元気だったか。苦労はしていないか。
どんな風に過ごしてきた?
ここに俺がいるのは嫌じゃないか?
ずっと聞きたかった事や、今聞きたくなったことが矢継ぎ早に喉元に押し寄せる。でも結局どれも言葉にならず、
「君なんだな、…ジェーン」
という言葉と共に、決壊した涙腺からあふれ出た涙が次から次から頬を濡らして、あまりの情けなさに自分を笑ってしまったザックなのだった。
ーーーーー
「ごめん、猛烈に恥ずかしいわ、俺」
結局泣き止むまでジェーンにちり紙を貰い続ける羽目になったザックは、ようやく落ち着いた頭でジェーンに着席を促した。
「驚きました。
てっきり坊ちゃまは首都におられるとばかり」
デスクを挟んでもうひとつの椅子にザックも腰掛け、さて何から話そうかと思案する。
「家はもう出たんだよ。
あと坊ちゃまは勘弁して、俺もう20歳を超えたし」
「そうでしたね」
「ザックでいい」
「ザック様」
「ザック」
「ザックさん。
上司なので敬称は譲れません」
きっぱりと言うジェーンに根負けしたザックであったが、
「何年ぶりでしょうか?」
と問うジェーンの声色にあっさり機嫌を直す。
「10年以上経った。
君たち母子が俺の家を辞した時、俺たちは9歳だった。
あれからどこに?」
「ずっと西の方の小さな村です。
母と色んな仕事をしてきました」
「そうか。苦労なかったか」
「ええ、補助金も頂けましたから。
母は再婚しました。だからカンタベリー姓に」
補助金、その言葉にザックの心臓がちくりと痛む。
俺が彼女を巻き込まなければ、彼女は違った人生だったろうに、と。
「坊ちゃまは?
その髪は事故の影響で?」
「ザック。そう、頭半分は白髪しか生えてこねえ」
ザックの左半分、事故のときジェーンと手を繋いでいた側。
元はすべて黒だった髪は、事故をきっかけに半分だけ色を変えた。
「手は…火傷は、大丈夫でしたか」
ジェーンの視線がザックの両手の白手袋に注がれたのを感じ、ザックはためらいなく手袋を取った。
「この通り。結構ひどく痕が残ってさ」
ザック両の掌には焼けただれて治ったあとの、固く変な光沢のある皮膚が張り付いている。
「ちょっとグロいから、普段は手袋で隠してる。
ジェーンは?」
今度はザックが、ジェーンの黒手袋を見つめる番だった。ジェーンも少し考えて手袋を取ると、掌を広げて見せた。
「私のほうはほとんど痕も見えなくなりました。
ちょっと手相占いはしづらいですけどね」
検分するように、ザックはジェーンの手を取る。
何も言わずに掌を見つめるザックの頭の中では、あの事故の様子がリフレインしていた。
ザックは思い出す。
夜の湿った空気。
右手に魔道具、ジェーンと繋いだ左手。
『いくぜ、魔力全力解放!』
格好付けた掛け声、吹き上がる火花。
身体を駆け巡る電撃、焼け張り付いて剥がれない手。
崩れ落ちるジェーンの身体。
やがて弾き飛ばされた己の身体。
すべてがまだ、ザックの記憶に深く刻まれている。
「あ…あの」
恥ずかしそうに頬を染めるジェーンの様子にようやく気付いたザックは、慌てて手を離した。
「ご、ごめん。
そうだ、仕事の話をしよう」
自分が赤くなってしまったのは誤魔化せただろうか、とあわあわと手袋をし直しながら、
『あぁ、俺らしくねぇ、情けねぇ』
と繰り返し自責した。
ーーーーーーーーー
「という訳で、彼女がジェーン。
ジェーン…なんだっけ?カーペンター?」
「カンタベリーです」
星読みたちの控える大部屋に案内されたジェーンは、声を張り上げるザックの隣で表情を引き締めた。
星読み達は皆同じ型の服を着ているが、各々色が違っていた。男性ばかりかと思ったら案外女性も多く、ジェーンは少しほっとする。
「えー、彼女に仕事を頼みたい場合は、
必ず俺を通してください。
勤務時間に無理が出たり、
内容が不適切な時は俺が却下します。
彼女には勝手に依頼を受けないように厳命してあります。
周知よろしく」
えー、とか横暴だ、とか不満げな声がそこかしこから上がる。
「おいおいザック、
お前が独占するつもりじゃないだろうな」
誰かが声を上げる。また別のどこかで、「余計なことを!」という非難も聞こえた気もする。
「あー?…どうかなー。
皆さんが適切な仕事を彼女に持ってくるなら、
俺も気持ちよく承認できるんですけどねえ。
間違っても使い潰そうとするなよ」
最後に不穏な圧をかけたザックに、ジェーンは内心ヒヤヒヤである。
『そんなに過保護にしなくてもいいのだけれど』
「まぁ俺が言いたいのはこれだけです。
彼女に長くいてもらう、
そうすれば塔にも補助金ががっぽり。
よくよくお願いしますよ」
じゃ解散、とあっさり紹介を終えてしまったザックに、ジェーンは少し非難の目を向けた。
『私も一言くらいご挨拶したかったのに』
それに気付いたか、「ん?」ととぼけた顔をするザック。
「ま、皆追々接点もあるだろ」
じゃぁ今度は塔の案内を、とまたあっという間に連れ出されるジェーンの背中を、ぞくりと悪寒が走る。
何事かと大部屋を振り向くと、ひとりの女性星読みが険しい顔でジェーンを睨み付けていた。
ーーーーーー
「これが天体望遠鏡『ノーヴァ』。
今は昼だから開いてないけど、
夜にはこれを開けて目当ての星を観測する」
ジェーンはザックに連れられ、塔の中をあちこち行ったり来たりしている。
塔は1階と2階が共通分、そこから生えるようににょきにょきと複数の塔が建っている構造だ。おおよそ研究テーマごとに根城にしてる塔が違うらしい。
大部屋や長官の執務室は共通部の2階にあたる。
ちなみに先ほどの小部屋は、歴代義務枠の人々が使っていた部屋らしく、ジェーンの拠点として使って良いらしい。
今いるのは彼らの一番の自慢、巨大天体望遠鏡「ノーヴァ」の中だ。
昼にも関わらず真っ暗だった建物の中、ザックが何かのスイッチを入れると部屋がすっかり明るくなる。
円筒の上に乗る、ドーム状の屋根。
その中に静かに、筒がいくつか連なったような機械が座っている。
外から見たあのアイスクリーム状の建物は、この天体望遠鏡だったようだ。
「このノーヴァを扱うのを夢見て、
世界中から星読みが集まってくる」
「凄いんですね」
「あぁ。見てな」
そう言うと、ザックはノーヴァの真下に立ち、機械の上方、天使の輪のように空中に浮く金属製の輪目がけて魔力を放出した。
キィン、という音と共に現れたのは、巨大な透明な円盤…レンズである。
「夜になるとドーム屋根が開くんだ。
このレンズで遙か遠くで燃える星の光を集める。
そしてその光を拡大して、ここで観測する」
ザックが展開したレンズの下にさらに小ぶりなレンズがあり、最終的に万華鏡のような筒をのぞき込むつくりになっているようだ。
「ノーヴァには山ほど使い方があるんだけど、
機能の全容は未だ分かっていない。
一番知ってるのは『老師』…現所長だな。
今はちょーっと国と喧嘩してバックれちまってるが」
大問題をちょっとした事のように話すザックに、ジェーンは思わず苦笑いで返した。
「早く見てみたいです、このドームが開くところ」
「今開けたら太陽光熱がレンズで集まって、
大火事どころじゃないからな。
また夜の勤務の日に」
「ええ」
ーその後も夕方まであちこち連れ回され、あっという間に退勤の時間となる。
「じゃ、今日はこの辺で。
もう新居は落ち着いた?」
「いえ、実はまだホテル棲まいなんです。
週末に引っ越しで」
「そっか。
手伝うよ、買い出しも必要だろ?」
「ええっ!坊ちゃまにそんなことさせられません!」
「だからザックだって。
いいから、気にすんなよ。
男手はあったほうがいいだろ。
ホテルは海側?もう家具は買った?」
「ええ、そうですけど。
家具はまだこれから」
「いい店があるから紹介する」
「・・・休日に申し訳ないわ。
よろしければお店の名前だけご紹介頂ければ」
「いいの!決まりな。
じゃ、今日はお疲れさん。
気をつけて帰れよ」
「えっと…ま、また、その話は追々。
今日はありがとうございました、
それではまた明日」
「ああ、また明日」
ーーーーーー
…ゴンドラに乗り込んでいくジェーンを見送り、ザックは大きく息をつき、肩の力を抜いた。気付かぬうちに力んでいたらしい。
「また明日、だってよ」
一生会えないかもしれないと思っていた彼女と、また明日、だって。
緩んでしまう頬を止められず、ザックはパン、と両手で叩き、自室へ戻っていった。




