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ゴトン、ゴトンと調子よく回る車輪の音。
「さあ、あそこに見えるのがベルウェンの街だ」
ヘンドリックの言葉に魔導機関車の窓を開け、コンパートメントに吹き込んでくる風に髪を踊らせて身を乗り出したジェーンは、高台から見下ろす位置にあるその街を見て感嘆のため息を漏らした。
燦々と照らす太陽に輝く海にたくさんの船の白い帆が映え、
海から駆け上がるように反り立つ山の緑が潮風に美しく揺れている。
ひとしきり車窓からの景色を楽しんだジェーンは窓を閉め、にこにこと楽しそうにこちらを見るヘンドリックと、対照的にぶすくれた様子のリーゼロッテを視界に入れて肩をすくめた。
…結構大変だったのだ、ここに来るまで。
時は出発前に遡る。
「リーゼロッテ、
こちらジェーン・カンタベリー嬢だ。
一緒にベルウェンまで旅をするから、そのつもりで」
御者の運転する魔導自動車に乗り込みながらそうヘンドリックに紹介され、馬車のような車内で彼女と向かい合わせに座ったジェーンは、
「どうぞよろしく」
と遠慮がちに挨拶をした。
リーゼロッテはそのガラス玉のような瞳をわずかに薄め、
「よしなに」
と口角を上げにっこりと微笑んだ。
『良かった、虐待されていた様子はなさそうね』
ひとまず安心したジェーンであったが、問題はここからだった。
魔導自動車内では一言も発さず、まるでお人形のように座っていたリーゼロッテだったが、魔導機関車の駅に到着して移動を始めるなり、きょとんとした顔でこう言った。
「わたくしの荷物は誰が持って頂けるの?」
そうは言っていたがリーゼロッテの瞳はまっすぐにジェーンを見ており、「あなたが持つんでしょ」と言外に命じているようだ。
「え?え?」
「ごめん、カンタベリーさん。
リーゼロッテ、君が持つんだよ。
自分の荷は自分で持つんだ」
すかさずヘンドリックが間に入り、子供にするようにリーゼロッテに言い聞かせる。
リーゼロッテは困惑しながらも何か納得したのかこくこくと頷き、身体に対してあまりにも大きすぎる旅行鞄を持とうと悪戦苦闘している。
が、身につけている衣服が嵩張るのと鞄が大きいのとで、すぐに辛くなったのか下ろしてしまう。それを見たジェーンは少し呆れながらも、
「仕方ありません。今だけですよ」
と言い、自身の鞄に加えてリーゼロッテの鞄も担ぎ上げた。
「カンタベリーさん」
たしなめるようなヘンドリックの声色に、
「今だけです。
機関車の予約時間があるのでしょう?」
と返すと、
「……確かにその通りだ。
だがリーゼロッテ、覚えておいて。
カンタベリーさんは君の侍女じゃない。
君の、師匠だ。いいね」
「師匠…?」
「そう。君はこれから、
一人で立って生きていかなければならない。
そのために教えを請うんだよ」
ヘンドリックの説教を神妙な顔で聞いているリーゼロッテの横顔を眺め、ジェーンは考え込んだ。
『13歳でひとり立ちとは、ちょっと酷ね。
それにあの様子で住まいを出されたなんて・・・
いったいどんな訳アリなのかしら』
それから機関車に乗り込んだ訳であるが、こんなことの連続だったのだ。
「わたくしの切符は誰が通してくださるの?」
「扉を開けてくださる?」
「食事のリクエストはいつ頃?」
しまいには、
「お手洗いに行きたいのだけれど、
水を流して頂ける?」
とおおよそ下町では出ないような要求が相次ぎ、三人しかいないコンパートメントは何度も空気が凍った。
さすがのジェーンもようやく分かってきた。
リーゼロッテは黒手袋の訓練を受けず、放置されてきたわけではない。黒手袋が必要な場面は全て、人を使って解決してきたのだ。
どうやら当初、リーゼロッテはジェーンのことを新たな使用人だと思っていたらしい。ヘンドリックの説教でどうやら違うと気付いたらしいが、染みついた習慣は変えられず、また子供であるからこその応用の利かなさで、これまでと全く同様に聞いてしまうようだった。
要求の尊大さに対して、リーゼロッテの表情が不安に揺れていることにジェーンは気付いたが、どうやらヘンドリックはあまり気がつかなかったようで、ヘンドリックの口調は徐々に棘が見え隠れするようになってしまう。
これでは長い旅が苦痛になってしまうと話題の転換を試みたジェーンは、リーゼロッテに問いかけた。
「リーゼロッテさん、手袋の練習をしてみましょう。
黒手袋は持ってる?」
リーゼロッテは「庇護を受ける者」でありながら黒手袋をしていない。
代わりにレースのついたシルクの手袋を身につけている。
ジェーンの問いかけに少し戸惑うようにひとつ頷いたリーゼロッテだったが、衝撃的なことを言い出した。
「ええ、持っています。
でも、入るかしら」
「何ですって?」
聞き返したジェーンの不穏な雰囲気を恐れたのか、リーゼロッテが慌ててワンピースのポケットから黒い布地を引っ張り出す。
差し出されたそれは、確かに黒手袋ではあった。
しかしそれは、恐らく幼児くらいの子が使う、とてもじゃないが13歳のリーゼロッテの手を包めるとは思えない小ささだったのだ。
これでは練習どころではない。
「な、なんで・・・」
「使うことが、無かったから」
黒手袋は国からの支給品で、成長に合わせ、あるいは消耗により適宜交換するものだ。だがこれは恐らく幼児の時に最初に支給されるサイズのもので、つまり全く更新されていないことになる。
「・・・荷造りの時に」
リーゼロッテが思い詰めたようにぽつり、と話し出す。
ジェーンは静かに耳を傾けた。
「いらないって、言われたのだけれど。
でも、いるかもって、隠してポケットに詰めたの」
「そうだったのね」
優しいジェーンの声色に、リーゼロッテはほっとしたように目尻を緩めた。
「でもこれじゃ練習もできないわね。
ベルウェンに着いたら、
手に合った手袋をもらいに行きましょう」
「どこで貰えるのかしら?」
「役所よ。
そういうことも知っていかないとね」
こくりと素直に頷いたリーゼロッテを、ジェーンはもう憎めなくなっていたのだった。
ーーーーーー
機関車は夜通し走る。
食堂車で夕食を摂ったあとは、就寝時間だ。
身軽な部屋着に着替え(ヘンドリックは一時退室してくれた)、洗顔と歯磨きを済ませた。
コンパートメントは隠しベッドを引っ張り出し、二段ベッドに変形させる。4人まで泊まれる仕様だが、ヘンドリックは別に予約した寝台車へこの後移動するらしい。
支給される寝具を受け取り、慣れない様子のリーゼロッテにシーツの敷き方を伝授する。
簡易ベッドのその狭さに閉口していた様子のリーゼロッテだったが、気を張って疲れていたのだろう、あっという間に眠りに落ちていった。
ジェーンとヘンドリックはコンパートメント内の明かりを落とし、代わりにランタンを灯した。
オレンジの柔らかな光が車内を照らし、ベッドに腰掛け絶えず流れていく知らない街の光を見送る。向かいのベッドで眠るリーゼロッテを眺めながら、ヘンドリックがぽつりと漏らした。
「リーゼロッテは、可哀相な子なんだ」
ジェーンは答えず、促すようにヘンドリックを見る。その視線は彼女に向けられたままだ。
「見ての通り、裕福な家の子なんだけど」
この国はつい数十年前まで、貴族制度があった。
今は民主化し身分自体はなくなったが、この様子だと旧貴族の身分なのかもしれない。
「産まれた瞬間、母親に拒絶された。
女の子だったからだ」
どうやら、跡継ぎの男子を産めと周りから煩く言われていたらしい。
「それで…母親が錯乱した。
産まれたばかりのリーゼロッテを、
投げ落としたんだ」
ジェーンは息を呑んだ。
「こんなはずじゃないと、半狂乱だったらしい。
床にうち捨てられたリーゼロッテは大けがを負い、
それで魔力回路が完全に切れた」
「酷いことを…」
「でもそれでさらに母親は責められて、
ついには心を病んでしまってね。
一緒にしては危険だと、家族が判断した。
リーゼロッテを金に物を言わせて豪華な施設に入れた」
「施設で暮らしていたのですね」
「ああ。だが彼女は見たとおりお嬢様だし、
家族は莫大な金を施設に寄付したからね。
職員は13歳になるまで、
彼女を令嬢としてちやほやし続けたのさ」
ヘンドリックは衣擦れの音を立てて足を組み替え、さらに続ける。
「13歳の施設の満期を迎えた後も、
きっと家族が同じようにするだろうと信じていた。
使用人を宛がってね。
だが現実は厳しかった。
…両親は彼女が帰宅するのを拒んだのさ。
弟が二人産まれていたんだ。
13年も手元から離れていたのもあるし、
『庇護を受ける者』は外聞も悪いし、
いっそ捨てることにした」
「捨てる?」
「彼女は正式に、いなかったことになった。
また莫大な金だけ持たされて除籍されたんだ」
「酷い・・・!」
「ああ、酷い話だ。
彼女は被虐待児だよ。
優しい、だが最高に身勝手な虐待だ」
『いらないと、言われたのだけれど』
昼間にリーゼロッテはそう言った。
「庇護を受ける者」にとって生命線でもある黒手袋を、職員は要らないと言った。
それ以外…主に財産や家族の権威で、欠けた部分は補えると思ったのだろう。
でもそれは、リーゼロッテの手足を緩やかにもいでいったのと同じだ。
「まぁ、それも今日までのことだ。
彼女には未来がある。
辛いだろうが、足を前に出さないと。
…そろそろ眠るよ。
じゃあカンタベリーさん、おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
ヘンドリックの去ったコンパートメントで、ジェーンも寝具にくるまり、目を閉じる。
がたん、ごとん、と汽車の走る音が絶えずループする。
『可哀相な子なんだよ』
自分も幾度となく言われてきた。
事故の直後にも、田舎の村でも。
多分自分の知らないところで、知らない人たちにも言われてきたんだろう。
莫大な金だけ宛がわれて、放り出された可哀相な子。
そういう意味では、ジェーンも同じなのだ。
リーゼロッテはどう感じているだろうか。
「私は…ちょっとイヤだったな」
ごく小さな呟きはシーツの中に消えた。
『俺、ジェーンとずっと一緒にいる。
俺がジェーンの手足になる。
じゃないとジェーンが可哀相じゃんか』
鈍く響くがたん、ごとんの音の中、遠い記憶の声が蘇った。
ーーーーーーーーーー
翌朝も快晴の空の下を走る機関車のコンパートメント、すっかり朝の身支度を終えたジェーンの元に、ヘンドリックがやってきた。
「やあ、おはよう二人とも。
良く眠れたかな。
…リーゼロッテ、どうしたその顔は」
昨日と変わらぬ位置にきちんと座るリーゼロッテは口をへの字に曲げ、頬を膨らませて黙り込んでいる。
「うまく髪が結えなかったんですって」
リーゼロッテの艶々の亜麻色の髪は、中途半端に頭の後ろでまとめられていた。
どうやら昨日の朝まで使用人任せだったため、初めて自分でトライして案の定失敗したらしい。
「毎日見てたから、できると思ったんですわ」
そうぶすくれた声で吐き出した一歩を、ジェーンは好ましく思った。
「さあ、窓の外を見てごらん。
あれがベルウェンの街だよ」
ヘンドリックが開けたブラインドの隙間から夏の朝の強い日差しが瞬く間に満ち、三人はいよいよベルウェンに到着するのだった。




