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「ええと、宿泊したいのですが、
黒手袋は大丈夫でしょうか」
「ようこそ、もちろん大丈夫です。
魔道具の起動は可能ですか?」
「はい、問題ありません」
ジェーンは銀行を離れると、事前に調べておいた「庇護を受ける者」も受け入れ可能と謳っている宿に立ち寄った。「庇護を受ける者」という用語が長いため、市井ではこうして「黒手袋」と通称でやりとりすることも多かった。
「ではお部屋をご案内可能です。
何泊で?」
「三泊で」
「承知致しました。
解錠は鍵にしますか?魔力にしますか?」
「今日は疲れたので鍵で」
「黒手袋での起動は体力を消耗すると言いますものね。
承知いたしました、ではこちらを。
階段上がって2階の角部屋です」
コトリ、とカウンターに差し出された大ぶりの鍵を受けとり、ジェーンは厚い絨毯の敷かれた階段を上がる。部屋の鍵穴に鍵を差し込み回す時、ちょうど二つ隣の部屋から男女が出てきて、会釈するなりジェーンの手元を不思議そうにのぞき込んだ。
「こんにちは、お嬢さん。
もしかしてそれは鍵ですか」
「え、ええ、はい」
「へえ、初めて見たわ。
レトロで可愛いものね」
この世界では扉の解錠も魔力を使うことが多く、若い世代や周りに黒手袋のいない人たちは鍵そのものを見たことがない者も多かった。
大してしつこくもされず、「良い夜を」と言って去っていた男女にまた会釈し、ジェーンは部屋に入る。
後ろ手に扉を閉めてすぐ、力なく足元にボストンバッグをどさりと落とす。
帽子も取らぬまま正面の窓に吸い寄せられるように部屋を横切り、木の窓枠に手を掛けた。そっと押すと、キィ、と音を立てて中央から夕方の温い風が室内に滑り込んできて、その心地よさにジェーンはほう、とため息をつく。
2階の窓はさほど高くなく、面した通りを行き交う人々の表情までよく見える。
でも、誰もジェーンを見ない。気にせず皆各々の時間を過ごしている。
ジェーンはそっと黒手袋を取った。
外気に触れた掌が涼しい。
「あぁ、都会なんだわ」
ジェーンはそう実感した。
昨日までいた田舎とは全く違う。
あの村は良いところだったが、どこにいても誰かの目があって、常に少し緊張していた。
『なんでジェーンは授業を受けなくてもいいの?』
『ほら、彼女は魔力を起動できないから。
仕方ないのよ』
『なあに、あの子の手袋』
『ほら、あの子、あの事故の』
『ああ、新聞の。可哀相に』
『いいわねぇ、毎月お手当があるんでしょう?
働かなくても生きていけるってずるいわよね』
『ずうずうしいことだな。
国に守られて生き恥をさらす欠陥品が』
これまで吐かれた心ない言葉が去来する。
新たな母の伴侶となった人は「庇護を受ける者」に偏見のない、朗らかで良い人だった。
ジェーンさえ去れば、彼をきっかけに母はきっと村のコミュニティに受け入れられるだろう。ずいぶん長く、母を巻き添えにしてしまったことを申し訳なく思う。
「せめて、心配かけずに生きなきゃね」
ベルウェンに向かうと聞いたら、母は驚くだろうか。
明日首都の土産と共に手紙を書こうと、ジェーンは気分良く笑う。
少しずつ藍色に染まる空を眺めながら、歌うように呟いた。
「ポルフィリオ、ロサ、ノーマ。
ベリジェリオ、オルフェ、ダ、ヴァルツドトーチ」
大丈夫、私は大丈夫。
ジェーンの秘密のおまじない。
掌にちくりと感じる痛みに、喧噪を眺めながら手を摺り合わせた。
ーーーーーーーーーーー
「やあ、カンタベリーさん」
「こんにちは、ヘンドリックさん。
本当に一緒に行ってくださるんですね」
約束の時間に銀行を訪れたジェーンは、ヘンドリックがすっかり旅装で待っていたことに改めて驚いた。
「もちろん、二言はありませんよ。
私にとっても久々の休暇です。
あなたを送り届けた後は、のんびり観光して帰りますよ」
ヘンドリックは質の良い革のボストンバッグを提げ、ハンチング帽のつばをくい、と親指で上げてウインクをする。
「ご負担にならないといいのだけれど」
「実はね、逆なんですよ。
…ジェーンさん、出発前で悪いのだけれど、
ひとつ仕事を頼まれてくれませんか」
ヘンドリックは気まずそうに言うと、とりあえずあっち、とジェーンに移動を促した。
ジェーンは小走りでヘンドリックの後を歩きながら、訝しげに聞き返す。
「はぁ、仕事ですか」
「ええ。詳しくはこっち」
案内されたのは大通りに面した車止めで、そこには一台の魔導自動車が停まっている。車輪の大きな立派な代物で、馬ほどのスピードはないだろうが歩くよりはずっと楽そうだ。
「魔導自動車ですね」
「乗ったことは?」
「個人向けのものはありません。
乗り合いの大型のものは何度か」
「あの中に、ひとり女の子を待たせてあります。
13歳です」
良く分からない話の流れだ。
ジェーンは答えず、ただ首をひねる。
「実は、彼女も『庇護を受ける者』なんですが。
困ったことに、全く黒手袋の訓練を受けていないんです」
「魔力がないということでしょうか?」
「いえ、彼女はあなたと同じ、事故で回路がやられた類いです。
しかも産まれてすぐに。
だから訓練すれば起動できるはず、なんですが。
…ちょっと色々ありまして、
その訓練をされないまま住まいを出されてしまって」
「そんなことが…」
普通であればありえない。
黒手袋の訓練は始めるのが早ければ早いほど良いと言われている。最近事故に遭ったならまだしも、産まれてすぐに回路を損傷して、それから13歳になるまで放って置かれるなんて。
『虐待かしら』
ジェーンは眉をひそめる。
車の中で待っているのは、もしかしたら痩せっぽっちの子猫のような子かもしれない。
「首都からも出た方がいい事情がありまして。
実はベルウェンに黒手袋用の住まいの空きがあるので、
ジェーンさんをお送りするついでに、
ベルウェンに連れていくことにしたんです。
で、仕事というのは、旅の間、
彼女に黒手袋の生活を教えてやってくれないかと」
「でも、旅といってもそう長い時間ではないでしょう?
その間に黒手袋の起動が上手くいくかは分かりませんよ。
あれは結構練習が要りますので」
「結構です、
さわりの部分だけ教えて頂ければ。
あとはベルウェンの訓練所に任せましょう。
報酬は…そうですね。
もしあなたが首尾良く職を得たら、
彼女と同様住まいの斡旋と保証人欄へのサイン。
いかがでしょう」
「まあ、助かります!」
「交渉成立だ」
では彼女に引き合わせます、こちらへ。
ヘンドリックに再度導かれ、魔導自動車のトランクに荷物を預ける。
「ところで、ヘンドリックさんは本当に銀行員なの?
まるで福祉関係の方のようだわ」
自身のトランクケースを積んでくれているヘンドリックに向かって、ジェーンは疑問を投げかけた。
ヘンドリックはジェーンに背を向けたまま短くはは、と笑い、
「さあてね」
と振り向きざまにキザな流し目を寄越した。
明確な答えを言わないまま、ヘンドリックはジェーンの手を取り、魔導自動車のドアの前に立つ。
「さあ、紹介するよ。
美しきリーゼロッテ嬢だ」
魔導自動車の中に優雅に座っていたのは、
良く手入れされた丸い頬に赤い唇、結われた艶のある亜麻色の髪、フリルとレースたっぷりの花柄のワンピースに白いタイツ、傷ひとつない赤い靴。
頭にはワンピースと同じ生地のヘッドドレスまで身につけた、
どこからどう見ても裕福な少女だった。




