15
オーレリアは自室に届いた2通の手紙を、それぞれ両手でつまみ上げた。
左右を交互に眺め、どちらから読むか上機嫌で吟味する。
しばし見比べた後、オーレリアは右手に持っていた手紙を机にひらりと投げ落としてペーパーナイフに持ち替え、左手に持っていた手紙を開封した。
『ミス・オーレリア
あなたのお導きは素晴らしい。
議会の承認はまだだが、感触はまずまずだ。
あとは世論の後押しが欲しいが、
それはこれから策を打つ。
まさかこれほど私を苦しめた予算調達が、
これほど簡単に成るとは。
つくづく我が国のお人好し具合には反吐が出る。
これからもどうぞよろしく』
それはグランドール大臣からの手紙であった。
占星術の卓で彼は言った。
『予算繰りに悩まされている。
求められる予算に対して、
財源が圧倒的に足りないのだ』
と。
それについて助言を求めるグランドールが、オーレリアには後光を背負っているように見えたものだ。
すぐさまオーレリアは答えた。
『それでは…
「庇護を受ける者」の優遇を緩和しては?』
『黒手袋の?』
『ええ。
彼らに対して少々厚遇が過ぎるのですわ。
我々だって必死に社会に生きているというのに、
まったく彼らときたら』
『…ふむ』
『補助金は貰える、職を望めば義務枠がある。
ほどほどにしておかないと、
甘やかした子供は増長しますわよ』
『しかし、社会保障の一環だからな』
『自然淘汰も必要だと思いませんこと?
それが人の世にあっても』
グランドール大臣は目を閉じて何度も頷くと、
『…それも星の導きか』
と、呟いたのだった。
オーレリアはまた手紙を眺め、喉から歓喜の感情が吹き上がるのに任せてくつくつと笑った
「やっぱり私だけじゃないわよね、
あいつらに嫌気が差しているのは」
オーレリアは黒手袋という存在そのものを嫌っている。
幼い頃からから、ずっとだ。
中でも今は特に、ジェーン・カンタベリーの存在が許容しがたい。欠陥品のくせに小賢しく塔に居座っているのも我慢ならないし、その上ザックに構われて涼しい顔をしているのが心底気に食わない。
ザカライア・ケンドールを手に入れることは、オーレリアの悲願なのだ。
名家の血筋、天文学の実績、老師という後ろ盾。
見た目だってだらしなく見せてはいるが、育ちの良さから来る気品と所作の美しさは隠せていない。
何よりその飄々とした人となりが不思議に人を惹きつけ、巻き込み、彼の周りには常に人が集まっている。
自分だって彼に惹きつけられたその他大勢のうちの一人だということは承知だが、オーレリアにってザックは、心から手に入れたいぴかぴかのトロフィーなのだ。プロテジェとして、そして愛の相手として、彼を隅から隅まで自分のものにしたいと思うほどに。
『ザック様の目が私に向いていないことくらい、
分かっている。でも』
あんなぽっと出の田舎娘、しかもオーレリアの最も嫌悪する人種、黒手袋のジェーンが彼に構われている様は、オーレリアにとって屈辱でしかなかった。
「それもいつまで持つかしらね」
機嫌良く大臣からの手紙を手から滑り落とし、もう一方の手紙を手に取る。開封したシンプルな封筒には、数枚の便せんにびっちり文字が書かれていた。
『愛する娘 オーレリアへ』
定期的に届く、両親からの手紙であった。オーレリアからしたら至極どうでも良い彼らの近況がだらだら綴られているそれを読み飛ばす。
そしていつも同じ、最後の文句。
『早く帰っておいで。
エイダンも貴女の帰りを待ちわびてる』
両親からの手紙は毎度この文句で締めくくられる。
エイダン。
オーレリアにとって世界で一番嫌いな単語。
「絶対に、帰らないわ」
そう苦々しく呟くと、手の中で両親からの手紙を焼き消した。
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「ただいま、ジェーン!」
「おかえり、リーゼロッテ。
今日はどうだった?」
玄関で日傘を畳むリーゼロッテの弾む声に、ダイニングで作業をしていたジェーンは返した。
「今日初めて一度、魔力を発動できたわ!
すっごく疲れるのね、驚いちゃった」
「身体から何か吸われる感じがするでしょ?
大丈夫よ、すぐに慣れるから。
この短期間で発動できるなんてすごいわ」
「本当?わたし、すごい?」
13歳の少女がその身を跳ねさせ、上気した頬で嬉しそうに言う様を、ジェーンは目を細めて慈しんだ。彼女はこれまで縛られていた手足を、ようやく伸び伸びと動かせるようになったばかりだ。どうかこのまま、彼女に笑っていてほしいと親のような心境になる。
「お祝いしましょ、買い出しに行かなきゃ」
「あ!パン!パン買いたいわ!」
「パン?」
「気になってるパン屋があるの!
訓練所までの途中なんだけど、最近オープンしたみたい。
お店もパンも可愛くって」
「じゃあ行きましょ」
「やったわ!」
そう言って、畳んだばかりの日傘をまた広げ、軒先でうきうきと待つリーゼロッテに続き、ジェーンも街に繰り出した。
ーその店は坂道の中程にあった。
近づくごとに小麦の香ばしい香りを漂わせ、水色の外壁に白い窓枠、背の高く大きなショーウィンドウ。小さいながらもしつらえの丁寧な、質の良い店に見えた。
「可愛いでしょ!」
「本当ね、パンも美味しそう」
並ぶ惣菜パンやデザートパン、パン・ド・ミやバケットはどれも美味しそうに窓越しにジェーンたちを誘う。早速ドアを潜ると、「いらっしゃい!」と店の主人が迎えてくれた。
「初めましてのお客さんだ!だろう?
ようこそレオンのパン屋へ!」
筋肉質で身体の大きな主人が人なつっこい笑顔であれこれお勧めしてくれるのを、リーゼロッテは嬉しそうに頷き、どれにしようか吟味している。
同じようにパンとにらめっこしていたジェーンの視界の端に、何か既視感が走った。窓の外を見るが、そこには街路樹の濃い影と自転車で坂を下る少年の姿しかない。
気のせいか、と思ったら、カランとドアベルが鳴る。
「おぉ、ザック!
ようこそ、レオンのパン屋へ!」
ひょっこりと顔を出したのは、白黒頭のザックだった。
「良かったの?ご一緒しちまって」
偶然パンを買いに来たというザックに、良かったら一緒にどうですか、と声を掛けたのはジェーンだ。
リーゼロッテが横目で驚いた顔をしたのも分かったし、ザックが頬を強ばらせたのもわかったが、構わずジェーンは彼を誘った。
今はジェーンたちの自宅の中庭にテーブルセットを出し、冷たい珈琲とともに買ったパンをかじっている。ジェーンとザックが再会して、あっという間に二月以上が過ぎた。夏もいつの間にか盛りを過ぎ、少しずつ日が短くなり始めている。
「ええ。
ちょっとザックさんに話すこともありましたので」
サク、と歯を入れたクロワッサンが小気味良い音を立てる。
「え、何?わたくし席を外したほうがいい?」
リーゼロッテが慌ててカフェラテを飲み込んで言った。
「いやいや、そんな大層なもんじゃないのよ。
ザックさんもそんな顔なさらないで」
ザックがあまりに悲壮な顔をするものだから、ジェーンは笑ってしまう。
それでもリーゼロッテは「ちょっとお手洗い!」と家に入ってしまった。
…恐らく、ザックは気付いている。ジェーンが何を言おうとしているか。このところどんな事を考えていたのか。彼は聡く、そしてジェーンのことを本当によく見てくれているから。
だからあえて、ジェーンは明るい調子で踏み込んだ。
「たくさんお仕事を教えて貰いましたし、
そろそろ一人で頑張ろうかと思うんです。
ザックさん、ご指導ありがとうございました。
ご自分のお仕事に、戻られてください」
ザックはやっぱり、と小さく呟くと、ジェーンから視線を逸らし、うん、うん、と頷きながら頬を掻いた。
「そう…だよな。
ジェーンはもう立派にやれると、思う」
「ふふ、ありがとうございます」
「でも…心配なんだ。
あいつら皆…まぁ、俺も含めて、自分勝手だから。
俺が離れたら、無茶を言い出す奴がいるかも」
「それならそれで、
何とかしなきゃいけないのは私です。
ザックさんが背負う必要はありませんから」
「ジェーン」
「大丈夫です。
ザックさん、私は黒手袋ですが、もう大人です。
不便ではありますが、何とかやってます。
…もう、私に囚われる必要はないんです」
ザックは弾かれるように顔を上げ、ジェーンを見る。
「間違っていたら申し訳ないんですが。
坊ちゃまはまだ、あの事故を気に病んでおられる。
私のこと、助けないとと思っているでしょう?」
「そんなこと」
「自分の研究もしながら、私の面倒も見て。
身体も辛いはずなのに、それでも良くしてくれて。
坊ちゃま、もう充分です。
もう、罪を償おうとする必要はないんですよ。
私はあなたを、私から解放したいの」
ジェーンはまっすぐにザックを見つめた。
テーブルの上に置かれた、黒と白の手袋に包まれた手が近づく。ジェーンはそっと、ザックの白い手袋に己の黒手袋を重ねた。
「長い間、苦しませてごめんなさい」
「そんな…そんなこと、俺のほうこそ。
追いかけ回して、連れ回して、
事故に遭わせてごめん。
ジェーンの人生を、台無しにして、ごめん。
事故の後だって、助けてやれなくて。
俺、君のために何にもできなくて」
言葉に詰まったザックの目からはらはら涙が落ち、ふたりの手袋を濡らす。
「…ジェーン、俺がいて嫌じゃない?」
「まさか。
坊ちゃまこそ、私がいると苦しくありませんか」
「苦しい。苦しいよ。
だけどそれの何倍も嬉しい」
ジェーンはその言葉を聞き、少し複雑だがほっとした。実は退職も考えていたからだ。嫌がらせの件もあるが、ザックが徐々に疲弊していくのを見ていられなかった。
「じゃぁ私、できるだけ長くここで頑張ります。
実はちょっとやりたいことも出来たんです」
「…うん。ありがとう。でも、覚えておいて。
俺が君の傍にいたのは、義務感からじゃない。
俺が君の隣を、誰にも譲りたくなかったからだ」
ザックの濡れた水色の瞳が、ジェーンを捕らえた。その視線の強さに、思わずジェーンは目を逸らす。触れていた白手袋が動き、黒手袋の手を握った。戸惑うジェーンにお構いなしに、ザックは続ける。
「ガキの頃だって、
ただ興味本位で追いかけ回した訳じゃない。
俺は君が好きなんだ。
あの頃から、今もずっと」
どうしてそうなる。
握られた手のことも忘れ、ぽかんと口を開けたまま、ジェーンは硬直した。




