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11話

 愛華は耕野と共に逃げ続けていた。階段を下り、2階、1階へと走る。だが、ぬいぐるみ達はどこまでも追って来た。


「はぁ……はぁ……」

「耕野さん!……くっ、まだ追って来ていますわ……大丈夫?走れる?」

「は、はい!走れ、ます!」


 1階まで辿り着いた愛華達は廊下を走り、別棟の外に出た。

 愛華は扉を閉じながら、耕野に「鍵を!」と叫ぶ。


「は、はい!」


 耕野は急いでポケットから鍵を取り出す。そして、震える手をもう片手で押さえながら鍵穴に差し、捻った。ガチャッという音を立てて鍵がかかる。その直後──


ドンッ!ドンッ!


 ぬいぐるみ達が扉に勢いよくぶつかる音が聞こえてくる。危なかった、間一髪助かったようだ。

 耕野は深く息を吐く。


「は〜よかった。何とかなりましたね……あっ、でも、これじゃあ皆が出れませんよね」

「……その心配はいらないようですわよ」

「え?」


 愛華はじっとして動かない。何かを確かめているかのように。耕野は意味が分からず黙ってその場に立ち尽くす。……そして気付いた。沢山のぬいぐるみ達が扉にぶつかる音と共に、ギシッという扉が軋む音に。


「移動しますわよ!早くしないとぬいぐるみ達が扉を壊して出て来ますわ!」

「えっえっ、でも、あんな小さくて軽そうなぬいぐるみが体当たりしているだけですよ?どれだけ数がいようと──」


ドンッ!!


 ここまでで一際大きな音に耕野の言葉が止まる。これが、この音が、小さくて軽いぬいぐるみがぶつかっているだけの音?違う、この音はそんな可愛いものではない。これは、鉄球を思い切り投げつけているような、そんな鈍くて恐ろしい音だ。


「アイツらをワタクシ達の常識で考えると死にますわよ。ほら、早くここから離れましょう。狙われているのは家庭科室にいる皆ではなく、貴方なのだから」

「は、はい」


 2人は再度走り出す。今にも壊れそうな扉の軋む音を聞きながら。


         ♢♢♢


「ひとまずここに隠れましょう」

「はぁ、はぁ……はい」


 愛華と耕野は座り込む。今、彼女達がいるのは別棟から離れた場所にある茂みの中だ。

 耕野は息を整えながら愛華の顔をチラリと見る。


「お姉様、ごめんなさい。本当はもっと広い場所に逃げたり、本校舎の中に隠れたりできたらよかったのに……ぼくの体力がないばかりにこんな場所に隠れることになって……」

「あら、何を言っていますの?予想よりぬいぐるみ達が追って来るのが早かった、それだけですわ」


 愛華にそう言われても耕野は申し訳なさそうな表情のままだ。


「でも、そもそもぼくが間違えなければこんなことになりませんでしたし」

「もう、どれが正解かなんて誰も分からな……いや、まあ、普通は分からないのですから。気にする必要はなくてよ」

「……お姉様はお優しいですね。でも、ぼくが足手纏いになっていることは事実です。今だけじゃなくて飼育小屋の時も」

「耕野さん……」


 落ち込んでいる耕野にどう声をかけていいのか分からない。だからせめて、その震える体を抱きしめよう。そう思い、愛華は耕野の方へと手を伸ばす。……だが、その手が耕野に触れる前に2人の間に何かが降って来た。


ドサッ


 落ちてきたそれ──タヌキのぬいぐるみは叫び出す。


『見つけた!見つけた!』


「っ……耕野さん!走りますわよ!」

「は、はい!」


 愛華達は茂みから出て走り出す。背後からはまだぬいぐるみの『見つけた』という声が聞こえている。


(何だ?あのぬいぐるみ、ただ叫んでいるというより──)


「お姉様見てください!」

「!これは……」


 愛華達を囲むように、遠くからぬいぐるみ達が押しかけて来ていた。このままでは捕まってしまう。愛華は辺りを見渡した。


「あっ!こちら側にはぬいぐるみがいませんわ!行きますわよ!」

「分かりました!」


 そう言って愛華達が向かった先は体育館だ。扉は開け放たれており、簡単に入ることができた。


 体育館に入って直ぐの場所には靴箱があった。外ではなく建物内に置かれているのはゲームだからだろうか。とにかく今は助かった。愛華は靴箱を押す。扉を開かないように抑える為だ。


「て、手伝います!」

「頼みますわ」


 耕野の力は微々たるものだったが、それでも2人がかりで押した甲斐もあり、直ぐに扉を塞ぐことができた。

 耕野はその場にへたり込む。


「い、一旦何とかなりましたね」

「ええ、お手伝いありがとう。耕野さん」

「い、いえ……あの、その……今日のお姉様は凄いですね」

「え!?えっと、火事場の馬鹿力?ってやつかな?あ、いや……やつかしらね〜?」


(やべえ、いつもの体と同じくらい動けるから何も考えてなかった。てか、普通じゃねえのかこれくらい。耕野が体力ねぇだけだろ)


 耕野は目を輝かせる。


「成程!いつも机を運ぶだけで息切れしているお姉様でもこれだけのことができるなんて……緊急時の力とは凄いですね!」

「お、おほほ……そうですわね〜。ワタクシもそう思うですわよ、おほほ」


(菊園愛華ってそんなに非力なのか!?じゃあ何だよこの力!?中身がアタシだから、力もアタシと同じだけ強くなってるってことか!?)


 そうして困惑していると、扉の方からガンッガンッという物が当たる音が聞こえてきた。ぬいぐるみ達が追い付いてきたのだろう。

 愛華は他の出口を探して辺りを見渡す。そして、奥の方の壁に扉があることに気が付いた。あそこから外に出られそうだ。


「入り口が破られる前にあそこから出ましょう」


 愛華は耕野と共にその扉に駆け寄る。……だが、そう上手くはいかなかった。

 扉はカーテンで半分隠れていたが、それでも扉にある窓から外の様子が十分見えた。……何十体ものぬいぐるみ達が、光に群がる羽虫のように扉に引っ付いている様子が。


 愛華は反射的にカーテンを閉める。駄目だ。ここから出ることはできない。


(ど、どうする?他に外に出れる所を探すか?でもそんなのないぞ)


「お、お姉様!あそこに扉が!恐らく倉庫だと思います!一旦あそこに隠れましょう!」


 耕野が指差す先には確かに扉がある。愛華は頷き、耕野と共に走った。


         ♢♢♢


 耕野の予想通りそこは体育館倉庫だった。マットレスやボール、カラーコーンなど体育の授業で使う道具が色々と置かれている。その中には、野球で使うバットやラインカーなどの外で使う道具も置かれていた。やはり、ここがゲームの世界だから細かい所は現実と違うのだろう。

 愛華は何か使える物がないか辺りを探す。


「ぬいぐるみ達はあまり賢くないようですけれど、それでもいつ入って来るか分かりませんわ。せめて、身を守れるような物が必要ですわね」

「そう、ですね」

「?耕野さん、顔色があまりよくなくてよ。大丈夫?」

「そ、そうですか?大丈夫ですよ」

「……そう。あ〜それにしても疲れましたわね。ワタクシもう歩けませんわ。あそこのマットレスにでも座って休みましょう。ね?」


 そう言いながらマットレスに座る。愛華は自然に言ったつもりだろうが、体力のない耕野を気遣っての行為だと流石に分かってしまう。耕野も申し訳なさそうに愛華の隣に座る。

 しばらく無言の時間が続く。先に沈黙に耐えかねたのは愛華だった。


「み、皆はうまくやっているかしら?心配だわ」

「静斗達はあれでも凄いからきっと大丈夫ですよ」

「そうね、そうですわね、うん」


 それ以上会話が続かず、結局無言になってしまう。少しして耕野が口を開く。


「ぼく、お姉様には感謝しているんです」

「へ?」

「ほら、ぼくっていじめられていたじゃないですか。まあ、七外ふたなレベルじゃないですけど」


 耕野は愛華の方を見ずに続ける。


「お姉様も知っている通り、ぼくは別に女の子になりたいわけじゃないんです。ただ可愛い物が好きなだけ。ピンクのスカート、ふわふわのフリル。そんな可愛い物を身に付けて可愛いぼくでいたいんです」


 愛華に話しかけているというよりも、ポツポツと独り言を呟いているようだ。


「周りの奴らに迷惑をかけるつもりもありません。トイレだって着替えだって男子用の物を使っていましたし。……でも駄目だった。ぼくを見る人は『男のくせに気持ち悪い』って侮蔑の目を向けてくる。ぼくの耳に届く言葉は『心は女の子なんだよ!可哀想でしょ』っていう憐れみと嘲笑のこもった声ばかり。皆、皆、みんな大っ嫌い。でも、そんなぼくをお姉様が救ってくれた。ぼくをぼくのまま受け入れてくれたのはお姉様が初めてだったんです」


 その時、遠くからガシャンというガラスが割れる音が聞こえてきた。扉……というよりも扉の窓が割れたようだ。

 ぬいぐるみ達の『どこ』『許さない』という声が聞こえてくる。愛華は焦って立ち上がった。


「ま、まずいですわ。どうにか対処を──」

「大丈夫です、お姉様」


 愛華とは違い、耕野は落ち着いた様子で立ち上がる。そして扉に近付き、ドアノブに手をかけた。


「ここに入った時点で考えていたんです。もしこうなったら──ぼくが囮になろうって」

「は!?」

「お姉様が言っていた通り、アイツらの狙いはぼくですから。お姉様はここにいてください」

「何を言っていますの!貴方死にますわよ!怖くないの!?」

「わあ、ふふ。気付いてなかったんですか」


 耕野はニコリと笑う。恐怖なんか微塵も感じていないような、幸せそうな笑みを。


「あのね、大好きなお姉様。ぼくはお姉様の為なら、恐怖も迷いもなく死ぬことができるんですよ」


 そう言って、耕野は倉庫から出て行く……なんてことを愛華が許すわけがなかった。

 耕野が扉を開ける前に、愛華は耕野の隣に移動していた。瞬間移動したのかと疑う程の速さだ。

 愛華は耕野の手の甲を上からぎゅっと覆う。


「お、お姉様?」

「耕野」

「え!?は、はい?」

「そっんなこと……許すわけねぇだろーが!!ですわ!」

「ええ!?」


 愛華は耕野の手を握り、ドアノブから離す。そしてぐいっと自身に引き寄せた。


「勝手に自己完結して、満足して、自分が死んだら解決って?大切な人を守れるならいいって?ふざけんじゃねぇですわよ!アタシの……ワタクシの気持ちを考えなさい!大切な人が死ぬことがどれだけ辛いことか!」

「お、お姉様……ぼくのこと、大切って……」


 耕野は涙で瞳を潤ませる。


「あ、えっと、ごめん、なさい。ぼくなんてお姉様からしたら取るに足らない存在なんだって思ってて……」

「はあ!?そんなわけないでしょう」

「だってお姉様は皆に優しいから……勘違いしちゃ駄目だって……ぐすっ……」


 ぼろぼろと泣く耕野の頭を愛華は優しく撫でる。それに安心したのか、耕野は更に泣き出してしまう。

 数分して耕野が泣き止んだあたりで、倉庫の扉に物がぶつかる音が聞こえてきた。ぬいぐるみ達だろう。


「わわ!と、とりあえず扉を何かで塞ぎましょう!それで時間稼ぎをしつつ、静斗達が何とかしてくれるのを信じて──」

「いえ、もう隠れるのはやめですわ」


 愛華はこの状況でもゆっくりと優雅に歩き──バットを手に取った。


「何が最善かは分からない。なら、自分のできることをやるだけですわ」

「え……え!?戦うつもりですか!?バットで!?む、無茶ですよ!小さいのがいっぱいいるんですよ!?」

「あら、やる前から弱気ね。大丈夫よ」


(バットが一番使い慣れてるから……ってのは流石に言えねぇな)


 困惑している耕野に、愛華は制服の上着を投げる。


「預かっていてくださいまし」

「え、あ、ぼ、ぼくも戦います」

「ありがとう、でも1人の方がやり易いの。お気持ちだけいただきますわね。耕野さんはここに隠れていて。後、目と耳も塞いでいてちょうだい」

「で、でも……」

「ワタクシからのお願いよ。大丈夫、危なくなったらここに戻るわ。決して無理はしない。貴方をおいていったりしないわ」


 愛華の自信に満ちた発言に、耕野は気付いたら頷いていた。


「良い子」


 そう呟いて倉庫から出る。


 扉を開けると、待っていたかのようにぬいぐるみの1体が飛びかかって来た。愛華はバットを力強く握り、思い切り振りかぶる。


『ぐえ!?』


 短い悲鳴と、重い物がバットに当たる鈍い音。ぬいぐるみは勢いよく飛んで行き──


ゴンッ!


 衝撃音と共に壁にぶつかった。


 ずるずると壁から落ちていくぬいぐるみの頭部は潰れており、布の中から弾け飛んだ綿が辺りに散らばっている。手足はしばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。


『ぎ、ぎゃあああ!!』

『化物!化物!』

『死にたくない!』


 ぬいぐるみ達が一斉に騒ぎ始める。中には逃げ出すぬいぐるみまでいた。その様子を愛華は楽しそうに見る。


「あはは、お前らもそういうこと考えるんだ。ウケる。は〜それにしても周りを気にしないでいいってマジで楽。やっぱりアタシはお嬢様じゃなくて不良やってるのが性に合ってるわ。……よし!じゃあ、お前ら皆殺しな!」


 愛華は笑う。悪人のような邪悪な笑顔で。

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