第二章 一流への道 14-泥沼からセレナーデを 前編
プラチナブロンドの髪を首元でそろえた三十代後半の女は、たまたま通りかかったNoir |L'aubeから漂う良い匂いに足を止めた。
「良い匂いね。何か食べて行こうかしら」
……この人物こそ、あの男の過去を握る重要な人物だった。
*
カランカランと入店のベルが鳴って、
「いらっしゃいま……」
と言いかけたダルクの言葉が途切れた。
その女性はダルクの姿を見て、思わず手に持っていた鞄を落とす。その表情は信じられないとでも言いたげな驚いた顔。
ダルクがその女性の落としてしまった鞄を拾い、少しぎこちない表情をした。
「……久しぶりだな。元気でやってるか」
「ええ、なんとか」
鞄を受けとる彼女はそれよりも聞きたいことがあるようで、ダルクの服の腰元をぎゅっと握った。
「あの、あの子は……?」
「あいつも元気でやってるよ」
その言葉を聞いた女性は一層大きく詰め寄る。
「生きているのね……!? あの子に会わせてちょうだい、ダルク」
「それはあいつに聞かないとなんとも言えないよ」
「そんな……」
ダルクはその女性をなだめるように優しく肩を叩いた。
そしてトレインに声をかける。
「トレイン、この方を席に案内してくれ」
「え? あ、あぁ。わかったよ」
トレインがその女性を席に案内するとき、偶然にもスヴァンが小窓からその光景を見てしまった。
「な……」
思わず持っていたターナーを落とす。
しかし、落としたにも関わらずスヴァンは呆然と立ちすくむだけだった。
「どうした、落としたぞ」
アルバーノの言葉にハッとしたスヴァンはぎこちない動作でターナーを拾ってそのターナーをシンクで洗い出すが、なぜかスポンジの代わりに手に取ったのは傍にあったジャガイモだった。
「それはスポンジじゃないよー?」
シューレの言葉にスヴァンは手を止めて「え? あ、あぁ」と言って今度は近くのキュウリをとった。
「それはキュウリー」
アルバーノとシューレはスヴァンの行動を見て、不思議そうに顔を見合わせた。
トレインが厨房に戻ってきた後もスヴァンの妙な行動は続いた。
「おい、待て! それは砂糖だろうが!」
スヴァンは持っていた容器に書いている「砂糖」の文字を見て、元の場所に戻す。
「おい。お前はもう休め。使い物にならん」
アルバーノにそう言われて数秒ほどその場で立ちすくんだスヴァンは、リビングへ続く階段を降りて行く。
「いったいどうしたんだい?」
「なんかスヴァンが急に変になったんだよー。落としたターナーをジャガイモで洗おうとしたり……」
「……、そうかい」
トレインは今しがた席に案内した女性の方を見つめながら、返事をした。
***
その女性は帰り際にダルクに声をかけた。
「とても美味しかったわ。また来るから、どうかあの子に会えないか聞いてちょうだい」
「いいが……あまり期待するなよ、シャロン」
「わかっているけど、諦めがつかないの。それじゃあね」
店から去っていくシャロンと呼ばれた女性を見つめるダルクと、そんなダルクを見つめるトレイン。
やがて店を閉める時間になり、最後の客を見送ったトレインはダルクと二人になる時間を探し始める。
「それじゃあ、僕もあがるねー」
そう言ってシューレがリビングへ戻り、トレインとダルクだけがホールに残った。
「ダルク、ちょっと話があるんだけど、いいかい?」
「あぁ、どうした?」
ダルクはいつも通りの様子で会計機を触っていたが、
「今日、途中からスヴァンの様子がおかしくなったんだ」
トレインの言葉を聞いた途端、手が止まった。
「……僕の直感ではお店に来た女性とスヴァンに関係があると見たんだけど、どうかな? 何か知ってるんだろう、ダルク」
ダルクはしばらく何かを考えていたが、口を開く。
「……あの女はシャロンと言ってな、スヴァンの元恋人なんだ」
ダルクの言葉にトレインは素直に驚いた。
「!? スヴァンに恋人がいたなんて聞いたことないよ! そりゃあ動揺するよね」
「ただ、普通の終わり方をしていないんだ。例えるなら、泥沼だ」
「泥沼って……、あぁ、あれかい? スヴァンが二股をして……とか、そういう?」
トレインの茶化しに、ダルクは真面目な面持ちで首を横に振る。
「長い話になるが、聞くか?」
ダルクの申し出にトレインは真面目な表情でうなずいた。
*
スヴァンは自室でベッドに横になり、自分が生まれ育ったプエルトリコでの出来事を思い出していた。




