理想の嫁とのスローライフ
レースカーテン越しに、眩しい朝の光が差し込んでいた。
キングサイズのベッドの上で、ケイスケは天井を見上げていた。頭は妙に冴え渡り、全身を深い満足感が包んでいる。いわゆる賢者タイムだ。
昨夜の狂乱が嘘のようだった。
ふと横を見ると、白浜ミツキの面影を残した勝気そうな美少女が、薄いシーツを胸元まで引き上げて静かにこちらを見つめていた。
(……っ)
と目線を逸らす。
そして冴えた頭に、ひとつの実用的な懸念が浮かんだ。
(……名前だよな)
ルミナスは、姿が変わってもルミナスだ。だが、いま目の前にいるのは、どこからどう見ても、日本人の超絶美少女だった。
(外で「ルミナス」って呼ぶの、さすがに違和感すごいよな……。昨日は、周りに聞こえないよう、小声で呼んでたけど……妙なキラキラネームだと思われるぞ)
ケイスケは、真剣な顔で唸りながら考え始めた。
(ルミ……いや、違うな。ルミ子? いやいや、急に昭和のレトロ感が出すぎだろ)
あれこれ考えている間、彼女は何も言わず、ただじっと、ケイスケの顔を見つめていた。
澄んだ瞳の輝きを見た瞬間、パズルのピースが、ぴたりとはまった。
(瑠璃……ルリだ)
青い宝石の、瑠璃色。
白浜ミツキに似た日本人風の美人だが、なぜか瞳の色だけ蒼いのだ。
(尾形ルリ……うん、語呂もいい。どこかの良家のお嬢様っぽさもあるし、悪くないな)
しっくりくる名前に、ひとりで頷いて、ケイスケは視線を隣へ向けた。
「なぁ、ルミナス。実体のお前は、外では『尾形ルリ』でどうだ。それと、俺の『嫁』って設定にしたいんだが」
言ってから、少し顔が熱くなる。
彼女の目が、ほんのわずか見開かれた。
そして、シーツ越しにそっと身体を寄せてきた。
「ありがとうございます、マスター」
続けて、ルミナスが淡々と口を開いた。
「マスター。ひとつご提案がございます」
「ん?」
「人格はいかがいたしましょうか? 尾形ルリとして、独立した人格を持たせ、ルミナスとは思考も記憶もすべて分割することも可能ですが?」
ケイスケは、ぽかんと口を開けた。
「……つまり、実在する1人の人間として振る舞うって事か?」
「ご希望であれば、歴史を持った1人の人間となる事も可能です。さらに、マスターとの馴れ初めなどの記憶を作成し、より自然な夫婦となることも可能です」
(……歴史を持った1人の人間。馴れ初めの記憶つきの、夫婦……)
ケイスケは、天井を見上げて考え込んだ。
ルリが、本当に自分を選んで結婚した記憶を持つ、ひとりの人間になる。生意気で勝気で、それでいて、自分だけを好きでいてくれる理想の嫁。
(……正直、心が動く)
四十二年間、非モテだった男だ。
誰かに理由もなく好かれるなどという都合のいい話は、夢の中でさえなかった。
だから、都合よく自分に解決可能な困難を抱えた美少女が、それこそ空から降って来ないか妄想したことは、1度や2度じゃなかった。
(ただ、なんと言うかそれは……)
ズルじゃないか、と思う。
いや、ズルでもいいのか。
ここまで来て、今さら何を綺麗ごと言っているんだ。
(とは言え……)
もうひとつ、気になることがあった。
「なぁ。分割したら、ルミナスはどうなるんだ」
「ルミナスは、これまでどおり船におります。ルリの思考には、こちらから干渉いたしません。ただし、マスターの安全に関わる場合は、その限りではございません」
(……つまり、ルミナスは、ルリの中身を知らなくなる)
頭の中で、ずっと世話を焼いてくれた、あの淡々とした声を思い出す。
独立した人格のルリが生まれたら、目の前の彼女は、もうルミナスではなくなる。
(それは……ちょっと、寂しいな)
ケイスケは、身体を起こして頭を掻いた。
「……いや、分けなくていい」
「よろしいのですか」
「今のまま、ルミナスがルリを演じてくれ。いや、ルミナスとルリは同じだ。場面に応じて、俺が呼び方を変えるだけだ。俺は、頭の中でずっと世話を焼いてくれた、あのお前のままがいい」
言ってから、耳まで熱くなる。
ルミナスは、しばらく黙っていた。それから、ほんのわずか目を伏せた。残念そうにも、嬉しそうにも見える、複雑な表情だった。
「……承知いたしました」
「馴れ初めも、いらない。そういうのは、ふたりでこれから作ればいい」
「ふたりで、ですね」
「あ、ああ」
彼女は、少し考えるように首を傾げて、それから口の端を上げた。
「では、外での呼び方はいかがいたしましょう。『あなた』でしょうか。それとも『ケイスケ』のほうが、お好みでしょうか」
「そ、それもケースバイケースで頼む」
とは言え、42歳まで独身だったケイスケは、基本的に1人、自由気ままが好きなのだ。
たまには街を美女を連れて歩きたい願望もあるし、エロい事は勿論したい。
しかし、基本は身軽が好きなのだ。
ただ、家で誰かが待っていてくれると言うのは、これまた良い。
ルミナスとは実質常に一緒にいるものの、実体である尾形ルリには、基本的に家で留守番してもらうようにした。
嫁を得てからここしばらくのケイスケは、宇宙船で送り迎えされることなく、自分の足で歩き、電車やタクシー、そして時には自分で高級車を運転して、優雅に外出を楽しんでいた。
今まで行けなかったところや、行けなかった時間帯に、自由気ままに無双のスローライフを満喫した。
そして毎日、我が家に帰宅する。
当たり前と言えば当たり前だが、ケイスケの帰ってくるタイミングをルリは完璧に把握しているため、帰宅と同時に食事も風呂も、すべて用意が出来ている。
「おかえりなさいませ、あなた」
理想の女性が、自分を迎えてくれる。
「ただいま」
「お食事にしますか。それとも、お風呂になさいますか」
「食事にするよ、今日はなに?」
「はい。本日は良いスズキが出ておりましたので、スズキを中心とした和食にしてみました」
毎日似たようなやり取りなのに、ルリは飽きた様子もなく、口の端だけで笑う。
「そりゃ楽しみだ」
うちに帰ると、家族が出迎えてくれ、温かい食事が用意されている。
自由気ままを愛してはいる。
ただ、両親すら知らないケイスケにとっては、今が一番人生で幸せな時間なのかもしれない。




