理想の美少女とのスローライフ
バターの焦げる、香ばしい匂い。
その匂いに引き寄せられるように、ケイスケは目を覚ました。窓の外は、すっかり明るい。
(……朝飯の匂い? 誰が……)
そこまで考えて、昨夜のことを思い出した。頬が、じわりと熱くなる。ベッドを出て、寝ぼけ眼のまま、リビングへ向かった。
キッチンに、白浜ミツキの姿をしたルミナスが立っていた。
白いエプロンをつけて、フライパンを振っている。
(裸エプロン!?)
いや違う。
エプロンの下に、丈の短いシャツを着ている。
あまりに長く美しい脚が惜しげもなく晒されていたため、勘違いしてしまった。
(……朝から、心臓に悪い)
「おはようございます、マスター。朝食が出来ております」
彼女は、淡々とそう言って、こちらを振り返った。昨夜の悪戯っぽさは、どこにもない。いつもの、有能なルミナス的な雰囲気だ。
ダイニングテーブルには、トーストと、ふわふわのスクランブルエッグ。カリカリのベーコンに、淹れたてのコーヒー。
(……理想の美少女と、差し向かいで朝食か)
どうやら食事も取れるらしい。
白浜ミツキ似の美少女が、優雅にトーストを口に運んでいる。
たまらない。これは、たまらない。
コーヒーを一口飲んで、ふと、思った。
(次は、この子と、街を歩きたいな)
しかし、すぐに、大きな問題に気づく。
(いや、無理か。白浜ミツキだぞ。超有名人と歩いたら……)
「流石に大変なことになるか……」
渋谷の大型ビジョンにも映る顔だ。並んで歩けば、あっという間に、人だかりだろう。
「マスター。認識阻害を使えば、問題ございません」
ルミナスの声が、静かに響いた。
ケイスケは、思わず笑った。
「ルミナス先生が間違えるなんて珍しいな」
「……といいますと?」
「見せびらかすから、いいんじゃないか」
彼女は、ほんの一瞬、動きを止めた。
それから、小さく頷いた。
「でしたら、これでいかがでしょうか?」
彼女の輪郭が、かすかに揺らいだ。
ほんの数秒だった。座っていても分かるほど、背が伸びていく。肩に届くほどの黒髪が、するすると長くなり、左右で束ねられた、ロングのツインテールになった。
立ち上がった彼女は、すらりと長身だった。
ケイスケの好きな要素は、そのままだ。勝気な瞳。自信満々に結ばれた唇。けれど、身長は、170cmほどまで伸びている。手足が長く、モデルのような体型の美女に変わっていた。
比較的小柄だった白浜ミツキとは、まるで違う。それでも、愛らしさは、そのままだった。
なんというか、白浜ミツキに、背の高い生意気な妹がいたら、こんな感じだろう。
(……良い! すごく、良いっ!!)
ケイスケは、コーヒーカップを持ったまま、しばらく、見惚れていた。
ケイスケは、コーヒーカップを置いて勢いよく立ち上がった。
「よし。今日は銀座に行くぞ」
「銀座、でございますか」
「デートだ。その姿のお披露目も兼ねてな」
言ってから、僅かに顔が熱くなる。
「かしこまりました。段取りを整えます」
そこからは早かった。
どこから用意してきたのか、ベッドの上に服が一式、きれいに並べられていた。
ネイビーのジャケットに、白いシャツ。細身のスラックス。靴下まで揃っている。
袖を通してみると、サイズは、ぴったりだった。鏡の中の自分は、どこから見ても、金と余裕のある若い男だ。
(……いいじゃないか)
リビングに戻ると、ルミナスが待っていた。
黒いワンピースだった。タイトな作りで、すらりとした身体の線が、そのまま際立つ。ツインテールの先が、ゆらりと揺れた。
「いかがでしょうか」
顎をわずかに上げて、勝気な瞳が、まっすぐこちらを見据える。
「……いいと思う」
言葉が少なかったのは、語彙が飛んだからだ。ルミナスの口の端が、ほんの少しだけ持ち上がった気がした。
「では、参りましょう。銀座の中央通りの真ん中に」
それから数分後、
ケイスケは銀座のど真ん中、中央通りの歩行者天国を歩いていた。
土曜日の昼前の銀座。
中央通りは、着飾った人々で賑わっていた。
老舗の百貨店。
ブランドの旗艦店。
石畳の歩道に、初夏の日差しが柔らかく降りそそいでいる。
認識阻害を周囲に違和感を与えないよう、徐々に解除する。
空気が、変わった。
すれ違うスーツ姿の男が、二度見する。買い物袋を提げた女性が、隣の友人の腕を、つんつんと突く。
「え、あの子誰だっけ? 芸能人だよね……」
「脚、長っ……」
「すげぇ……銀座すげぇ……」
「こ、これが東京の銀座だっぺか!」
ひそひそとした声が、驚嘆の声が、あちこちから聞こえてくる。
(……これだよ、これ)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。かつてはこの街のショーウィンドウを、横目で通り過ぎるだけだった。
今は、街ごとこちらを見ている。
「マスター。腕を」
「え?」
ルミナスが、すっと腕を絡めてきた。
「見せびらかすのでしたら、この方が効果的かと」
ルミナスの声は、淡々としていた。理屈も完璧だ。
ケイスケは、恐る恐るその腕を受け入れた。
(……主導権、握られてないか? これ)
ヒールを履いているため、少しだけルミナスの方が背が高い。
引かれるように、歩き出す。
ルミナスは、背筋をぴんと伸ばして、顎を上げたまま、少しも気負わない足取りで歩いていく。
コツコツとヒールを鳴らし、ツインテールが歩くたびに小気味よく揺れる。
横断歩道の手前で、後ろから声をかけられた。
「失礼いたします」
振り返ると、黒いスーツの男が深々と頭を下げていた。
「お忙しいところ誠に申し訳ございません」
男の視線は、ルミナスではなくケイスケに向けられていた。
「……何でしょうか」
「私、こういう者でして。もしよろしければ、お連れ様に、お話だけでもさせて頂ければと」
差し出された名刺には、有名な芸能事務所の名前があった。
「興味がございません」
ルミナスの返事は、一秒もかからなかった。
男は、名刺を差し出した姿勢のまま、固まった。それから、さらに深く頭を下げて、静かに去っていった。
(くく。取り付く島もない)
そのとき、ケイスケは、横断歩道の向こうで、スマホを構える人影に気がついた。ひとりではない。ふたり、三人。
「……ルミナス。あれ、SNSに上がったらまずいんじゃ」
小声で言うと、ルミナスは視線を動かさずに答えた。
「撮影されるだけでしたら、マスターにとって、脅威ではございません。ご指示がありましたら、処理いたしますが」
「……いや、いい。見せびらかしに来たんだしな」
「かしこまりました」
昼食は、路地の奥の天ぷらのカウンターだった。
白木のカウンターの向こうで、大将が静かに油の音を立てている。目の前に、揚げたての海老が置かれた。
「熱いうちに、どうぞ」
ケイスケは、塩をつけて、口に運んだ。
衣がさくりと割れて、甘い身が舌の上でほどける。
(……うまい)
隣を見ると、ルミナスが、優雅に箸を運んでいた。ひとくち食べて、ほんの一瞬、目を見開く。それから、何事もなかったように、表情を戻した。
(今の、うまいと思ったんだよな……)
指摘はしなかった。カウンターの向こうの大将が、ちらりとこちらを見て微笑んだ。
「素敵なお連れ様ですね」
「ええ、まぁ」
平静を装いながら、ケイスケは、内心でニヤリとした。
昼食のあとは、買い物だった。
ブランドの旗艦店に入ると、店員が恭しく迎えた。ケイスケが、ルミナスに何か買おうと言うと、彼女は首を横に振った。
「不要です。必要なものは、すべて自分で構築できますので」
「それとこれとは意味が違うさ。さて、どんなのが似合うかな」
店内を歩いて、ケイスケの目が、ふと、ひとつのアクセサリーで止まった。
黒いベルベットの、リボンのヘアゴムだった。ルミナスのツインテールに、似合いそうだ。
「これ、どうだ」
ルミナスは、それをじっと見つめた。そして静かに受け取った。
「……ありがとうございます、マスター」
その場で、ヘアゴムを付け替える。左右のツインテールの根元に、黒いリボンが揺れた。
顔は、いつもの淡々としたままだった。けれど、視線が、ほんの少しだけ、逸れていた。
(……いま、照れた、んだよな)
これも、指摘しなかった。
会計を終え、店を出る。
日が傾き始めた頃、ルミナスの手配で予約されていた、銀座の高級ホテルに入った。
名前すらうろ覚えなほど、庶民だったケイスケには、縁のなかったはずの高級ホテルだ。
(こういうランクのホテルだと、レストランで食事するだけでも、受付が要るのか?)
カウンターで手続きを行うルミナスを待ちながら、そんなことを考える。
「マスター」
手続きを終えたルミナスが、悪戯っぽく声をひそめた。
「今夜も、楽しみましょうね」
彼女の手には、カードキーが握られている。
一枚だけだ。
(……ってことは)
どうやら、お泊まりらしい。
心臓が跳ねる。
ルミナスは、涼しい顔で先にエレベーターへ向かっていく。
とはいえ、まずは食事のようだ。
最上階のレストランは、ガラス張りの壁の向こうに銀座の夜景が宝石のように広がっていた。
窓際の席に、ふたりで座る。
コース料理が次々に運ばれてくる。
ふたりはシャンパンのグラスを傾けた。
ルミナスは涼しい顔のまま、一杯目を静かに飲み干した。頬の色は、少しも変わらない。
「……今日は、楽しかったな」
「マスターが、楽しんでおられるのでしたら、何よりです」
「ルミナスは?」
問いかけたあと、少し間があった。
「……未知のデータが、多数ございました」
「それだけか?」
「それと」
ルミナスは、グラスの縁を、指でなぞった。
「マスターの反応を観察するのは、興味深かったです」
淡々とした声だったが、ケイスケはシャンパンをむせそうになった。
「そりゃよかった」
と苦笑いを返す。
窓の外の夜景が綺麗だ。
そして食後……ルミナスがカードキーで扉を開ける。
ケイスケは、一歩入って立ち止まる。
(おう……これがラグジュアリーってやつか……)
高級感、という言葉をそのまま形にしたような部屋だった。
ゆとりのあるリビングにはセンスの良い家具の数々。開放感のある空間と、大きな窓、そしてそこからの東京の夜景。
広さは今の自宅に及ばない。そしてそもそも自分は宇宙船のマスターだ。
しかし、人生初の高級ホテルのスイートルームには、やはり感動させられる。
部屋の中に踏み入れる。
奥には、寝室の扉が見える。キングサイズのベッドがひとつ。
(……ひとつ、か)
立ち尽くすケイスケの腕に、ルミナスが、そっとしがみついてきた。
柔らかな感触が、腕に押し当てられる。
「夜は、これからですよ」
耳元で囁く声は、いつもの淡々とした調子ではなかった。悪戯っぽくて、少しだけ、甘い。
ケイスケは、ごくりと喉を鳴らした。




