都市伝説で有名なあの異世界を覗いてみよう
深海でブループと出会う。規格外のロマンを堪能したケイスケは、その夜、南フランスの地中海を一望できる超高級レストランのテラス席で、静かにディナーを楽しんでいた。
漆黒の海に、月光が一筋の道を描いている。グラスの中では、ヴィンテージのワインがゆったりと揺れた。極上のフィレステーキを口に運びながら、ケイスケは声に出さずにルミナスへ話しかける。
『なぁルミナス。さっきの位相がずれた世界の話だけどさ……都市伝説に出てくる異世界ってのも、やっぱりそれなのか?』
『お答えいたします。都市伝説のほとんどは創作です。ですが、別の位相に一時的に迷い込むことは、あり得ます』
(へぇ、そりゃほとんどが創作とはいえ、あるにはあるのか……)
ケイスケは、納得しつつグラスを傾けた。
そしてふと、有名すぎる話が頭に浮かぶ。
『きさらぎ駅とかは、さすがに作り話だよな』
電車に乗っていたら、知らない無人駅に着いてしまう。ネットの掲示板から広まった、あまりにも有名な話だ。
『きさらぎ駅は存在します』
思わず、ナイフを持つ手が止まった。給仕の視線を感じて、何食わぬ顔でワインを口に含み、心の中で問い詰める。
『マ、マジで……? 実在するのか?』
『はい。そしてあれは、人為的に構築された空間構造体です』
『人工的に作られた異世界……!? 誰が、何のために、そんなもん作ったんだよ』
『目的は、日本列島全体を覆う超大規模な「結界」の強度を維持するための祭壇です。そこに迷い込んだ人間は、結界を維持する霊的エネルギー……言い換えれば、生贄として消費されます』
『生贄……!? 急にオカルトが生々しくなってきたな……』
絶句するケイスケに、ルミナスは淡々と説明を続けた。
『日本は、サイバーの守りこそ脆弱でしたが、風水や陰陽道、神道の流れをくむ「霊的な防衛技術」では、世界最強クラスの国家です。古代から幾重にも張り巡らされた結界があるからこそ、この国は致命的な侵略を免れ、現代まで存続してきました』
(マジかよ……。しかし、そういわれてみれば、何となく納得せざるを得ないよな)
小さな島国でありながら、強国とある程度対等に渡りあっており、世界でもトップクラスに長い歴史を持つのだ。何らかの理由がなければ説明が付かない。
『きさらぎ駅は、その結界を補強する、いわば不可視の外部サーバーのようなものです』
(外部サーバー、ね……)
プログラマーとしては、妙に腑に落ちる例えだった。
『私でしたら、位相を操作し、結界をすり抜けきさらぎ駅をご案内することも可能ですが……ご覧になりますか?』
夜の海を見つめながら、ケイスケの口元がニヤリと上がった。異世界と呼ばれる場所への好奇心が、抑えられるはずもない。
そして、
『もちろん安全なんだよな?』
『もちろんです』
ホラー系の都市伝説でも代表的なきさらぎ駅を、安全にお散歩。
まさに俺TUEEE系のスローライフの極み。
『もちろん、行くに決まってんだろ』
そういうと、高級ステーキを急いで平らげた。
食事を終えたケイスケは、すぐに宇宙船へ戻った。
位相をずらした船が、結界をすり抜ける。ルミナスの『到着しました』を合図に、ケイスケは光に包まれて、地上へ降ろされた。
気づくと、小さなホームの上に立っていた。
無人だった。
傾いた屋根の待合所。ひび割れたコンクリート。切れかけの蛍光灯が、ジジ……と音を立てている。色あせた駅名標には、「きさらぎ」の四文字。
(本当にあるのか……)
ホームの外は、闇だった。人家の灯りがひとつもない。月も星もない空の下に、田んぼとあぜ道だけが、どこまでも広がっている。虫の声すら聞こえなかった。
電車は来ない。錆びたレールは、闇の向こうへ消えている。
ここにいても仕方がない。ケイスケは駅を出て、細い一本道を歩き出した。
しばらく歩いたころ。
シャン、シャン。
遠くで、鈴が鳴った。
耳を澄ますと、笛と太鼓の音も混じっている。場違いな祭囃子が、闇の向こうから、少しずつ近づいてくる。
(例の2ちゃんの書き込みそのままじゃないか……)
背中に、冷たいものが走った。
『ほ、本当に大丈夫なんだよな? ルミナス先生』
不安が、声に出ていた。頭の中でも、声が震えている。
『問題ありません。マスターに危害を加えることは、地球上のどのような手段を用いても不可能です』
淡々とした答えに、ケイスケは小さく息を吐いた。
そのとき。
闇の中に、ぼう、と提灯の火が浮かんだ。ひとつ、またひとつ。火の下に、白い影が並んでいる。
神職を思わせる白い装束。その顔には、どれも能面のような白い仮面。十名ほどの一団が、音もなく、ケイスケの前で足を止めた。
祭囃子が、ぴたりとやんだ。
先頭の一人が、一歩前に出る。感情のない仮面が、まっすぐケイスケを見ていた。
「ドクターK様、いえ、尾形ケイスケ様ですね」
予想だにしなかった言葉に、ケイスケは目を見開いて固まった。
社会を裏から救ったコードネームと、己の本名。人為的に作られた異世界の、結界を守る側のはずの怪しげな祭司たちが、なぜ自分の正体を知っているのか――。
困惑するケイスケに、先頭の能面が、静かに両手を合わせた。
「この度は、我が国の情報網……サイバー空間の脆弱性を補強し、外敵の侵入を退けてくださったこと、心より深く感謝申し上げます。ドクターK様」
能面の奥から聞こえてきたのは、予想に反して、鈴の音のように透き通った、美しい女性の声だった。
ケイスケが呆然としていると、彼女はすっと姿勢を正した。能面越しでも分かるほど、強い意志を込めて、言葉を続ける。
「……ですが、誠に申し訳ございません。今すぐ、ここからお引き取り願えませんでしょうか」
言うやいなや、能面の女性は、すっと顔を上げた。
視線の先は、ケイスケの頭上。姿を消して滞空しているはずの、宇宙船ルミナスがいる漆黒の虚空を、彼女は正確に見上げていた。
(見えてるのか……?)
そして、唇を微かに動かし、聞いたこともない呪文のような言葉を、ぶつぶつと呟き始めた。
古語とも祝詞ともつかない。不気味で厳かな響きが、静まり返った異世界に染み渡っていく。
直後、頭の中に、ルミナスの声が入ってきた。
『マスター。彼女は、「我々が留まることで、結界の維持に深刻な支障が出るため、速やかに立ち去ってほしい」とのことです。……いかがいたしましょうか?』
ケイスケは、ぐっと言葉に詰まった。
どうやら、遠足気分で来て良いところではなかったようだ。
「……すみません。お邪魔しました」
ケイスケは、軽く頭を下げた。能面の女性も、深く一礼を返す。
体がふわりと光に包まれた。ケイスケは、そのまま宇宙船へと吸い上げられていく。
能面の一団は、最後まで、頭を下げたまま動かなかった。




