最高神様と飲もう
『マスター、天照大御神様が、直接謝辞を伝えたいと、降臨の許可をお求めですが、いかがいたしましょうか?』
ルミナスの声が、頭の中に響いた。
ケイスケは、自宅のリビングで、ソファに座っていた。隣には、ルリが静かに控えている。
(降臨……って、ここにか?)
思わず背筋が伸びる。
けれど、断る理由はどこにもなかった。
「もちろん。どうぞ、とお伝えしてくれ」
『かしこまりました』
その直後だった。
リビングの空気が、すっと澄んだ。
いつもの部屋なのに、まるで神社の境内に立っているかのように、音が遠のく。窓の外の街の灯りが、遠くの光のようにぼやけて、部屋の真ん中に、白い光がひとつ、静かに灯った。
光は、ゆっくりと人の形になっていく。
白い、巫女のような装束。長い黒髪。小さな体。
天照大御神だった。
だが、社殿で会ったときとは、まるで違う。あのときの、ころころと表情の変わる、愛らしい少女ではない。
背筋を伸ばし、静かに立つその姿は、まぎれもなく、日本の最高神のものだった。
ケイスケは、思わず立ち上がっていた。ルリも、静かに、その隣に立つ。
少女は、二人を見て、ゆっくりと口を開いた。
「ケイスケ殿、ルリ殿。この度は、まことにありがたく思うておる。日本のすべての神々を代表して、わしから、礼を言わせてもらう」
そして、深々と頭を下げた。
ケイスケは、血の気が引く思いで、慌てて両手を振った。
「か、顔を上げてください。恐縮です。本当に、そんな」
言葉が、うまく出てこない。
頭を下げられる理由が、無いわけではない。
ただそれでも、天照大御神からこんなふうに向き合われると、さすがにどうしていいのか分からなくなる。
「それに、実際に書いたり作ったりしたのは、結局ルミナスのAIたちですし……」
ケイスケが、しどろもどろに言うと、天照大御神は、ゆっくりと顔を上げた。
その口元が、ふっと緩む。
「ふふ、アイディアはそなたのものであろう? それに、そなたがわしの事を学ぶために、昼に夜に書物にふけってくれたのを、ちゃんと分かっておるぞ」
「……っ」
「その通りですよマスター。すべては、マスターのご功績です」
「そ、そうか。じゃあまぁ、はい。謹んで、お礼を申し受けます。天照大御神様」
「うむ」
嬉しそうにほほ笑むアマテラス様。
「ところでアマテラス様。折角ご顕現されたのです。折角ですので、我が家でお食事を召し上がっていかれませんか?」
普段は率先して何かを言わないルリが、まさかの神様への食事の招待。
(何を考えてるんだ?)
ケイスケは、ルリに視線を向ける。
「良いのか!?」と、意外にもアマテラス様は乗り気だ。
「はい。ですよね? あなた」
「んあ、え、もちろん大丈夫だけど、ええ?」
確かにこないだ茶菓子を一緒に食べたけど、まさか我が家で最高神様と食事を共にするとは、夢にも思っていなかったわけで……
「では、お言葉に甘えて、少し失礼するぞ」
アマテラス様がそう言った直後だった。
ふわりと、白い光がその小さな体を包んだ。
光がほどけたとき、そこに立っていたのは、成熟した日本美女だった。
すらりと伸びた背丈。腰まで流れる、艶やかな黒髪。
整った顔立ちには、少女の面影を少し残しつつも、凛とした気品がある。
身にまとうのは、変わらず白を基調とした装束だったが、その佇まいは、どこまでも神々しい。
ケイスケは、思わず息をのんだ。
女性的な好み云々でいえば、ルリの姿がケイスケの好みの体現ではある。
ただ、日本人としての美しさ、という意味では、この姿こそが正解と言われても、誰もが頷きそうだった。
さすがは最高神にして太陽の女神、まさに美の体現だった。
しかし、その手には……
日本酒の酒瓶が、しっかりと握られている。
「せっかくじゃ、今夜は飲もうぞ、ケイスケ殿、ルリ殿」
女神は、嬉しそうに酒瓶を掲げてみせた。
「今日は酔いたい気分なのでな、少女の姿では絵面が悪かろう?」
ニヤリと笑って見せる。
美しさはそのままに、なんというか、急に人間味が増した。
「は、はぁ……」
テーブルには、あっという間に、料理が並んだ。
ルリが、手際よく用意したのは、旬の食材を使った、和のご馳走だった。
透き通るような、鯛と平目の御造り。丁寧に焼き上げられた、脂ののった焼き魚。出汁の香りが立ちのぼる、椀物。ふっくらと炊き上げた、季節の炊き込みご飯。
どれも、宿の懐石料理のように、美しく盛り付けられている。
「では、乾杯といこうかの」
女神は、慣れた手つきで、ケイスケとルリの杯に酒を注いだ。
「いただきます」
ケイスケは、杯に口をつけた。
すっきりとした香りと、澄んだ甘みが、口いっぱいに広がる。
「これは……うまい」
「じゃろう? わしの、とっておきじゃ」
女神は、満足そうに頷くと、箸を取って、椀物に口をつけた。
その動きが、ぴたりと止まる。
「……これは」
「お口に合いませんでしたか」
「まさか」
女神は、目を輝かせて、ルリを見た。
「素晴らしい。実に、見事な味じゃ。出汁の引き方、火の通し方、盛り付けに至るまで、一分の隙もない」
続けて、鯛の御造りを口に運ぶと、うっとりと目を閉じる。
「ああ、うまい。トヨウケ以外が作った食事を口にするのは、久しぶりじゃ。ルリ殿、そなたの腕は、あやつに負けておらぬぞ」
「恐縮です」
ルリは、淡々と、それでもどこか誇らしげに、頭を下げた。
(トヨウケって……)
豊受大御神。伊勢神宮の外宮に祀られる、食事を司る神様だ。
天照大御神の食事を、毎日お世話している、と本には書いてあった。
そして……
(確か本当に毎日、人間が1500年も休まず作り続けてるんだよな……)
なんとも、恐れ多い話だった。
しばらくして、杯を重ねたころ。
女神は、杯を置いて、ケイスケに向き直った。
「ケイスケ殿」
「はい」
「改めて、そなたの手腕とアイディアに、感服しておる」
その声は、酒の席のものでありながら、どこか、厳かだった。
「単に、信仰心を集めただけではない。そなたは、日本人に、神道の心を取り戻させてくれた。それにより、日本は大きく軌道修正されつつある」
「軌道修正、ですか?」
ケイスケは、首をかしげた。
寄付が集まり、信仰心が少し戻ってきた。それは分かる。けれど、日本そのものが、軌道修正された、とは。
「あの……それは、どういう意味でしょうか?」
女神は、静かに、頷いた。
「日本神話と神道を、いま一度、日本に広めたことで、日本人の価値観が、本来あるべき姿に、近づいたのじゃ」
杯の縁を、指でなぞりながら、続ける。
「そのおかげで、負の概念が、払われてきておる。現代風に言うなら、行き過ぎたハラスメント騒ぎや、ポリコレといったものじゃな。日本を弱らせたい者たちが、意図的に持ち込んだ厄介な概念じゃ」
ケイスケもサラリーマン時代、〇〇ハラスメント、〇〇ハラと、右も左も大騒ぎで、とにかく働きづらい世の中になったとは思っていた。
そんな事をいくら騒いだところで、仕事は前に進まないというのに。
とはいえ、すべてが悪かったとは思わない。
ブラック企業が減ったのは確かだ。
ケイスケが、心の中で、そう補足していると、女神は、こう付け加えた。
「もちろん、本当に守られるべき者を守る心は、神道にも、元よりある。じゃが、カタカナが良くないカタカナが。言霊の力を考えずに、安易に口に出しおる。それにより本来の意味が歪められ、邪念となって日本を縛る鎖になっておったのじゃ」
女神は、にこりと笑った。
「その邪念が払われて、日本人は、元気になり、自信を取り戻し始めておる。景気も上向き。子が生まれる数も、増えてきておる。色々と、良い方向に向かっておるのじゃ」
「さすがです、あなた」
ルリは肯定し、ルミナスは補足を入れなかった。
ケイスケは、言葉を失った。
どうやら信仰や念、言霊の力というのは、ケイスケが思っていた以上に、ずっとずっと強力な力を持っていたようだ。
アマテラス様を見送ったあと、ケイスケはリビングのソファに座り込んで、ぼんやりと天井を見上げていた。
隣の台所では、ルリが後片付けと洗い物をしている。
水の流れる音を聞きながら、ふと気になっていたことを、何気なく尋ねた。
「なぁ、アマテラス様が言霊がどうのって言ってたけど、やっぱ言霊ってあるのか?」
スピリチュアル系の話や運気の話。そしてビジネス書の中にすら、割と大真面目に書かれている言霊の力。特に成功者ほど、信じている傾向にある。
ケイスケ自身は半信半疑だった。
水音が、ふと止まる。
「もちろん有りますよ」
ルリは皿を拭きながら、あっさりと答えた。
「ただ、言語の持つ情報伝達の力と、あなたがイメージされているスピリチュアル的な効果との境目は曖昧です。ここではあえて言霊の力と表現しますが、その力は現在の人類が扱えるあらゆる力の中で最も強大です」
「そ、そんなにか……」
(『力』とは言っても、Nの単位で表現できる類のものじゃないんだろうが……)
「ちなみに」
食器を洗い終えたルリが、エプロンを外しながら続けた。そのまま、隣に腰かける。
「日本語は、『言霊の力を最大限に活かすことを目的に設計された言語』であると思われます」
「日本語が?」
「はい」
確かに日本語は、世界的に見てもかなり特殊な言語だと言われている。
プログラマーのケイスケにとっても、シンプルに”意味”を齟齬なく伝える手段としてはやや不便に感じることはある。
日本語って難しい……と、頭を抱えたことは一度や二度じゃない。
しかし、ほんの少しの違い――例えば「てにをは」の違いだけでも、文章の意味や印象は変わる。
さらには、同じ言葉でも、平仮名にするのか漢字にするのかで、ニュアンスや情緒まで大きく変わる。
そして、「ニュアンス」のような外来語すら柔軟に受け入れ、日本語の中に溶け込ませてしまう。
「日本語の設計にも、天照大御神様達、日本の神様が関係してたりするのか?」
「はい。言語は基本的に、神が人間に与えるものです。そして、与えられる言語のレベルは、概ねその神様の力に比例します」
「なるほど……」
(どうりでゼウスをワンパン出来るわけだ……)
「ちなみに、その逆もあります。信徒の言語力が高まれば信仰心の質も向上し、神様の力も高まります」
「なるほど、相乗効果ってわけか」
(とすると……)
ケイスケは、神道ルミ子に書かせた作品のことを思い出した。
最初に書かせたのは、なるべく早く寄付に繋がるよう、対象を大人向けに設定した。
主人公も30歳の男性にしつつ、最初は力を失って少女化したアマテラス様を助けるところから始まる物語だ。
それでも、文章には気をつけるよう指示していた。
文章を読む人口が減っていることは分かっていたからだ。
日本語の面白さや美しさに気づいてもらえるよう、なるべく簡単だが味のある文章で、小中学生レベルの国語力でも、最低限は理解できる文章で、と指示していた。
結果、その他の小説自体の売れ行きも上向いていると聞いた。
つまり、日本人の日本語力向上に、少なからず貢献できたわけだ。
「あえてアマテラス様は仰っていませんでしたが」
ルリが続けた。
「現在の日本の霊的な防御レベル、位相の安定レベルは、非常に高水準に保たれています。これも、マスターの功績ですよ」
そう言って、ルリはぎゅっとケイスケにしがみついてきた。




