月面を見に行こう
その夜、ケイスケはリビングのソファで、ぼんやりと天井を見上げていた。
巨大生物。ピラミッドの謎。恐竜。
と来れば、次はいよいよ……
(宇宙人、だよな……)
いや、しかし……
ふと横を見ると、ルリが、紅茶を淹れていた。
ある意味、宇宙人のような存在であるルリに訊くのは、変な質問だよな、と感じつつも、ケイスケは尋ねた。
「なぁ、ルリ。宇宙人は、今も居たりするのか?」
位相を安定させるためのピラミッドの作成に、宇宙人のアドバイスがあったとは聞いたが、今もそういった交流はあるのだろうか?
「地球以外から来た知的生命体、という意味なら、今もかなりの数が存在しています」
「お、やっぱり居るんだ」
「ただ、禁止はしませんが、コンタクトを取ることは、おすすめしません」
「まぁ、そりゃそうだよな。ちなみに、聞いていい理由はある?」
「はい。説明可能な範囲でお答えします」
ルリは、カップを置いて、ケイスケを見た。
「まず、私の存在が知られてしまいます。ケイスケからすると、私もそれ以外の宇宙人も、同じように超常的な存在に思われるでしょう。ですが、私が観測できる地球外生命体にとっても、私は超常的な存在です。わかりやすく言うなら、レベチです」
(レベチ、って言い方、どこで覚えたんだ)
「ですので、地球を取り巻く環境に、大きな影響を与える可能性があります」
「なるほどな」
「ちなみに、地球外生命体の多くや、先日のきさらぎ駅関係のような方々も、詳細は掴めていないものの、超常的な存在が現れたことは把握しています。結構、パニックを起こしています」
「……パニック?」
「はい。ですが、私の方から、敵対の意思がないこと、そして、我がマスターにも、今のところ攻撃の意思がない旨を、お伝えしてあります」
ケイスケは、口を開けたまま、固まった。
「……お前って、やっぱとんでもなく凄かったんだな」
「ふふ、恐れ入ります」
宇宙船のマスターはマスターでも、その中で更に例外的な上澄みだったことを知らされ、複雑な気分になるケイスケ。
「ご安心ください。ケイスケの、日常には、影響ありません」
ルリは、澄ました顔で、紅茶を、ひと口飲んだ。
まぁ良いか。
つまりは、他の宇宙人が出てきても、ルミナスが居れば安心ってことだしな。
俺のスローライフが、より完璧に保証されたってことにしよう!
ふと、窓の外に目をやると、夜空に月が浮かんでいた。
(宇宙人が今もいるなら、月はどうなんだ?)
ケイスケは、ポンと手を叩いた。
そうだ、月だ。
「月の裏側には、宇宙人の基地がある」「中は空洞で、巨大な人工構造物だ」「月がなければ地球に生命は存在していない」
などなど……
数々の都市伝説が詰め込まれた、男のロマンの原点だ。
「なぁ、ルリ。月にはやっぱり、宇宙人の基地があったりするのか?」
ルリは、少しだけ首を傾げて、微笑んだ。
「はい。月には、宇宙人の施設が、確かにあります」
「やっぱりか!」
「ただし、彼らは当然のように位相をずらしています。ですから人類が月に到達しても、コンタクトは不可能です。仮に月に降り立ったとしても、彼らの施設は見つかりません」
「なるほどな。位相が違えば、そこにあっても、見えないわけか」
いつもの、位相の話だ。
納得しかけたケイスケに、ルリは、続けた。
「ですが、日本の陰陽師などは、そういった存在の一部と、今もコンタクトを取れているようです」
「……ん?」
ケイスケは思わず聞き返した。
「陰陽師って、あの陰陽師か?」
「はい」
「日本の陰陽師が、月の宇宙人と、コンタクトを……?」
ルリは澄ました顔で頷いた。
最先端の科学でも、宇宙船でもなく、日本の歴史の、裏側にいる人々が。
(……マジかよ)
ロマンが、思わぬ方向から、殴ってきた。
宇宙船は、夜の空をまっすぐに上昇した。
メインルームの壁が、ふっと透けて外の景色が広がる。
雲が流れ、星が増え、やがて大地が丸みを帯びていく。
「……うわ」
思わず、声が漏れた。
青く輝く、地球。
暗黒の宇宙に、ぽつんと浮かぶ、その姿。薄い大気の層が、淡い光の縁取りになっている。
画像や映像では、何度も見たはずの景色だ。だが、自分の目で直接見る地球は、まったく別物だった。
(美しい……)
ケイスケは、しばらく言葉もなく見入っていた。
そして、ふと気づく。
(……待てよ。俺、宇宙船を手に入れて、もう何ヶ月も経つのに、なんで、今まで宇宙に来ようと思わなかったんだ?)
深海には潜った。きさらぎ駅にも、行った。それなのに、宇宙という、いちばん分かりやすい行き先を、丸ごと飛ばしていた。
興味関心の偏り具合が、我ながらひどい。
(俺、変人だな。それとも……)
ケイスケは、苦笑した。
(やっぱ、心のどこかで怖かったのかも知れないな……)
『月まで、あと数分です』
頭の中に、ルミナスの声が響く。
(数分、か)
月ですら、ものの数分でたどり着いてしまう。それが、この宇宙船だ。
そしておそらく、これでも短距離を移動するために、徐行しているのだろう。
やがて視界の先に、月が大きく迫ってきた。
地球から見上げる、あの小さなお月様ではない。
灰色の大地が、視界いっぱいに広がっていく。無数のクレーターが、くっきりと刻まれ、影が、深い。
「……でっかいな……」
ケイスケは息をのんで、その景色を見つめた。
宇宙船は、ゆっくりと降下して、月の表面に、静かに降り立った。
『到着いたしました、マスター』
そこは、まさに、何もない荒野だった。
灰色の大地。クレーターで凸凹した平原がどこまでも続いている。頭上の、真っ黒な空には、青い地球が、ぽつんと浮かんでいた。
「……本当に、何もないな」
『はい。この状態では、そう見えます。位相をずらします』
その瞬間。
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
そして、ケイスケは、目を疑った。
「……は?」
灰色の大地の上に、巨大なドームがそびえ立っていた。
SFでよく見る、あれだ。月面に築かれた、半透明の、ドーム型のコロニー。
(あったのか……!)
『では中に入ってみましょう』
「入って大丈夫なのか?」
『ご安心ください。気づかれることは、ありません』
宇宙船は、ドームの壁に近づき、そのまま、するりと、内側へ抜けた。
そして。
そこには、予想外の光景が、広がっていた。
なんと言うか、そう、江戸の街っぽかった。
土の道の両側に、黒い瓦屋根の、木造の建物が、ずらりと並んでいる。軒先には、赤い提灯が、ぶら下がっていた。
ただ、何もかもが、大きい。
建物はもちろん、暖簾も、看板も、格子戸も、すべてがひと回り以上、大きい。
空は、夕暮れのような、橙色に染まっている。
(ドームの中で、夕方を、再現してるのか?)
その橙色の光の中を、道行く人影が、ゆっくりと歩いていく。
大きな体。がっしりとした肩。背丈は、三メートルほどは、あるだろう。ケイスケの、倍近い。
巨人。
いや、違う。
頭に、二本の角が、生えている。
鬼だった。
「……鬼?」
思わず、声が、裏返った。
「え、待て。宇宙人の正体が、鬼!?」
『はい。日本人が鬼と呼ぶ存在は宇宙人です。あくまでその一種ですが』
ルミナスの声は、いつもどおり、落ち着いている。
(鬼が、宇宙人……)
頭が、追いつかない。だが、目の前の光景は、現実だ。
三メートルほどの巨体が、大きな着物をまとって、のっしのっしと、道を歩いている。荷を担いでいる者。店先で、何かを、選んでいる者。どこからか、笑い声も聞こえてくる。
赤黒い肌の者、青黒い肌の者、男も女も、そして子供もいて……
(……普通に、暮らしてるんだな)
そして、ケイスケは、あることに気づいた。
鬼のインパクトに、気を取られていたが、普通の人間もいる。
それも、時代劇に出てきそうな、日本人だ。着物姿の男が、鬼の隣で平然と立ち話をしている。
「……なぁ。あれは、地球人なのか? それとも、宇宙人?」
『定義が難しいですね』
ルミナスは、少しだけ、間を置いた。
『種の起源は、マスターと同じ、地球の日本出身です。しかし、彼らは、ここで生まれ、ここで育っています』
「ここで生まれ育った? ってことは、いつから、ここに」
『江戸時代の後期です。それまで、鬼たちは、地球の別位相で暮らしていました。ですが、その大半が、地球から撤退することになりました。その際、希望する一部の日本人を連れて、月にコロニーを築いたのです』
「それで、この街は、江戸の町並みなのか」
『はい。江戸の町を、再現したものです。それから、約二百年。彼らは、ここで、平和に暮らしています』
「二百年……」
(七、八世代は、ここで生きてきたってことか)
ケイスケは、あらためて、街を見下ろした。
橙色の光の下、鬼と人が並んで歩いている。子供たちが、その足元を走り回る。
とても凶暴なイメージのある鬼の街とは思えない、平和でのどかな光景だった。
軒先では、赤黒い肌の鬼が、七輪で魚を焼いている。細い煙が、ゆらゆらと、橙色の空へ昇っていく。
宇宙船はおろか、車ですら、見当たらない。おそらく、東京よりも広いであろう、広大なコロニーであるにもかかわらず、線路のようなものも、見当たらなかった。
どう見ても、ハイテクな宇宙人の街には、見えない。
「なぁ。こう見えて、当然、凄い科学力を持ってるんだよな? なのに、なんで、こんなアナログな生活をしてるんだ?」
『もちろん、彼らの科学技術は、地球のそれを、はるかに上回っています。地球と月程度の距離であれば、1時間と掛からず、移動可能です』
「1時間……」
『彼らは、物質的な豊かさを、追い求める種族ではありません。この文化形態が、最も居心地が良いのでしょう。地球人が考えるような、分かりやすいハイテクを求めて進歩するフェーズを、彼らは、とうに通過しています』
(なるほど。便利さを、極めた結果が、これなのか)
ケイスケは、七輪の魚を、ひっくり返す鬼を、見つめた。
「……鬼って、なんか、人を襲うイメージがあるんだけど?」
『本来の彼らの種族は、非常に温厚です。積極的に、現地人と干渉しようともしません。地球に住んでいた際も、特段、人間と関わろうとは、していなかったようです。ただ、かなり純粋な種族ですので……』
ルミナスの声が、そこで、少しだけ、濁った。
「なるほど。悪いのは、人間なわけだ……」
『何が善で、何が悪かを、定義する立場に、私は、ありません。ですが、種と種の関係性、という意味において、一方的、かつ、積極的に、鬼の側が、人間の側を害していたわけではありません』
「そっか」
『一方で、その力を、悪用しようとした人間や、悪用に失敗した人間は、いたようです。その結果が、鬼の悪評につながった面は、あるでしょう。それに、あの見た目ですから、恐ろしい、という印象が、先に立ったのだと思います』
「……確かに、見た目は、怖いよな」
ケイスケは、苦笑した。
見た目で、損をしてきたのだろう。そんな鬼が、地球を離れた月の上で、静かに魚を焼いている。




