第24話:元・天才美食王、涙の竈(かまど)修行
こんにちは、小橋零です。
隣国ガストロニア王国から乗り込んできた傲慢な天才美食王リュシアンヌでしたが、我が自慢の『黄金こまち』で作った塩むすびを一口食べた瞬間、秒速で精神が崩壊し、そのまま「弟子にしてくれ!」と泣きついてきました。現在はゼクシードと一緒に裏庭の神田の管理と皿洗いに勤しんでいます。美食のプライドを粉々に砕かれた男が、おにぎりの道でどう変わっていくのか――。第二章第24話、開幕です!
朝の四時半。『おにぎり処・零』の裏庭には、まだ薄っすらとした夜の帳が残っていた。
竈の前で、一人の男が真剣なまなざしで薪くべの作業に没頭していた。純白のフリルがついた高級コックコートはすっかり煤で汚れ、あのトレードマークだった派手な銀髪はボサボサに乱れている。かつての天才美食王リュシアンヌ・ド・ラ・ヴァルその人だった。
「くっ……! 火加減が強すぎると米の表面が驚いてしまう……かといって弱すぎると、あの『黄金こまち』の芯にある甘みが十分に引き出されない……!」
リュシアンヌは汗だくになりながら、パチパチと爆ぜる薪の炎を睨みつけていた。
少し離れたところで、元・次元の魔神ゼクシードが、スマートにティーカップを傾けながら優雅に声をかけた。
「おや、リュシアンヌ君。今朝の火入れの調子はどうだい? あまり根を詰めすぎると、また夕方の仕込みの時に腕が痙攣するぞ」
「ぜ、ゼクシード先輩! 私はまだ修行の身です! あの日の塩むすび……あの衝撃の味を再現できないうちは、私はただの『食材の無駄遣い野郎』なのです……!」
リュシアンヌは悔しそうに拳を握りしめた。
あの勝負の日、零の握ったただの塩むすびに完敗して以来、彼の美食に対する価値観は180度ひっくり返っていた。高い魔獣の肉や何日も煮込んだトリュフソースなどなくても、たった一粒の米と一粒の塩だけで、人間の魂をここまで揺さぶることができる。その真実に気づいてしまったからには、もう元の傲慢な美食王には戻れなかったのである。
そこに、裏口の引き戸がガラッと開き、手ぬぐいを頭に巻いた零がヒョコッと顔を出した。
「お、二人とも朝早くから精が出るじゃねえか。おっ、リュシアンヌ、今朝の薪の組み方、なかなか筋がいいじゃないか」
零に声をかけられたリュシアンヌは、ビクッと背筋を伸ばし、顔を真っ赤に染めながら深々と頭を下げた。
「お、おはようございます、零師匠……! まだまだ私の火加減など、師匠の足元にも及びませんが……!」
「いや、褒めてるんだよ。料理ってのはな、高級な素材をいじくり回すことじゃなくて、素材が一番『美味しいよ』って言ってくれる瞬間を引き出してやる作業だからさ。お前もようやくそれが分かってきたみたいだな」
零がフッと優しく笑うと、リュシアンヌは胸が熱くなり、思わず目に涙を浮かべた。
(なんて深いお言葉なのだ……! これが……真の料理人の背中……!)
感動に浸るリュシアンヌを尻目に、零は竈の大釜の蓋をスッと開け、今朝の炊き上がり具合をチェックした。
プワァァァッと、辺りに極上の『黄金こまち』の甘い香りが広がる。一粒一粒がピンと立ち、朝の光を浴びてキラキラと輝いていた。
「よし、完璧な仕上がりだ。これなら今日の朝の営業も大繁盛間違いなしだな」
零がそう呟いた瞬間、店の表のほうから、なにやら聞き覚えのあるドタバタとした足音と、切羽詰まった声が聞こえてきた。
「お、おい! 早くしろ! 今日の『宇宙神代米』の枠が売り切れたら、私の今週の魔力代謝が完全に終わってしまうんだよ!」
「なっ、私のほうが先に並んでいたはずだぞ、閣下!」
ガラッ! と勢いよく開いた扉から飛び込んできたのは、近衛騎士団長のガルドと、例の宰相の二人だった。彼らは朝の訓練もそこそこに、すっかりこの店の常連……いや、依存症患者のようになっていた。
「おや、朝一番の患者……じゃなくてお客様のご到着か」
零が苦笑いを浮かべると、ガルドはゼフィランサスのような勢いでカウンターに張り付き、息を切らせて叫んだ。
「零殿! 頼む、今日の朝はいつもの塩むすびのほかに、先日仕込んだというあの『宇宙神代米』のやつを……! 私の剣気が、あの米のエネルギーを欲して震えているのだ!」
「はいはい、分かったよ。席に座って待ってな」
零は慣れた手つきでお盆を用意し、竈の前に立った。
隣で見ていたリュシアンヌが、ごくりと喉を鳴らして零の手元を凝視する。
「師匠……! 今日の『宇宙神代米』の握り、私にも一つ、その極意を見せていただくことはできますか……?」
「おう、いいぜ。見てろよ、リュシアンヌ」
零は手のひらを水で湿らせ、炊きたての神代米をふわりとすくい取った。
その手さばきは無駄な力が一切入っておらず、まるで水面をなでるかのように滑らかで、かつ絶対的な自信に満ち溢れていた。一回、二回、三回――。米粒同士が最高の状態で呼吸し合う瞬間を見極め、絶妙な塩をパラリと散らす。
コトン。
カウンターの上に置かれた宇宙塩むすびは、朝の光を受けて神々しいまでの輝きを放っていた。
それをガルドが両手で厳かに受け取り、震える手で口に運ぶ。
「――くぅぅぅ……! これだ……これなのだ……! 私の今週の疲労が、宇宙の彼方へと浄化されていく……!」
その様子を、リュシアンヌは食い入るように見つめ、自分の手のひらをそっと見つめ直した。
(いつか……いつか私も、師匠のような『魂を揺さぶるおにぎり』を自分の手で握ってみせる……!)
元・天才美食王の涙ぐような竈修行は、今日も元気に続いていくのだった。
第二章の裏舞台で、確かな絆と美味さが交差する『おにぎり処・零』の朝は、今日も最高に平和で輝いていた。
第24話をお読みいただきありがとうございます!
かつての傲慢な美食王リュシアンヌが、すっかり零の人柄と料理の奥深さに惚れ込み、真面目な弟子として竈修行に励む姿を描いてみました。最強主人公の周りで人間(と元魔神)たちがどんどん成長していくこのシュールな温かさ、気に入っていただけたら幸いです。次回もお楽しみに!




