7.沈黙の婚約、あるいは檻の中の祝杯
7.沈黙の婚約、あるいは檻の中の祝杯
バルトが去った後の屋敷は、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
あれほど騒がしかったエドワードの取り巻きも、本家からの監査の目も、セドリックという巨大な影によってすべて一掃された。
使用人たちも、セドリックが「選別」した者たちに入れ替わっている。彼らは皆、影のように静かで、わたくしと目が合えば深く頭を垂れるが、その口から余計な言葉が漏れることは二度となかった。
「アメリア様。……少し、お疲れのようですね」
夕闇が部屋を浸食し始めた頃、セドリックが音もなく現れた。
その声は、かつての忠実な従者のそれよりもずっと甘く、微熱を帯びた蜜のようにわたくしの耳を打つ。
彼は寝室の長椅子に横たわるわたくしの傍らに跪いた。その手つきは、風に触れれば散ってしまう大輪の薔薇を扱うかのように慎重で、もどかしいほどに丁寧だった。
「……ええ。少し、夢を見ていたようですわ。昔、実家の庭で本を読んでいた頃の……」
わたくしの言葉に、セドリックの指先がわずかに強張る。
彼は、わたくしの過去さえも羨んでいるのだ。自分と出会う前のわたくし、自分以外の何かに心を躍らせていたわたくしを。
「私のいる現実よりも、幸福な夢でしたか?」
その問いに含まれた、子供のような切実な怯え。
彼は、わたくしの生活のすべてを支配しているようでいて、その実、わたくしの心が自分以外の何かに向くことを、死ぬほど恐れている。わたくしがふとした拍子に、この「檻」の不自由さに気づき、自分を嫌いになるのではないかと、その身を震わせているのだ。
セドリックはわたくしの細い指先を一本ずつ、祈るような仕草で口づけを落としていく。
かつての「主への敬意」は消え失せ、そこにあるのは、飢えた獣が自らの唯一の神を見出したかのような、剥き出しの求愛だった。
「アメリア様。……本当は、あなたをこの屋敷の奥底に隠してしまいたい。誰の目にも触れさせず、あなたの呼吸、あなたの視線、そのすべてを私だけのものにしておきたいのです。……そうすれば、私はもう、何も怖くはないのに」
彼の手が、わたくしの首元の真珠に触れる。
その瞳は、暗い情念の淵で揺れていた。
「けれど……同時に、私はあなたのその気高さを愛している。知性に溢れ、毅然とバルト兄上を退けたあの時のあなたの輝きを、この暗い檻の中で枯らしてはならないことも分かっているのです。……私は、どうすればいい?」
セドリックは、自らが生み出した矛盾に苛まれていた。
わたくしを独占したいという「支配欲」と、わたくしに自分らしく、美しくあってほしいという「献身」。その二つの感情が、この冷徹な怪物を内側から引き裂いている。
「アメリア様。あなたがもし、鳥籠の外へ行きたいと願うなら、私は世界を焼き払ってでもあなたの道を作りましょう。あなたが望むままの『自由』を、血に染まった手で差し出しましょう。けれど……」
彼は言葉を詰まらせ、わたくしの膝に顔を埋めた。
「その先で、あなたが私を忘れて笑うのだとしたら。……私は、生きてはいけない」
その背中は、あまりにも孤独で、あまりにも危うく見えた。
わたくしを支配しているはずの男が、その実、わたくしという存在に魂の首輪を繋がれている。
わたくしは、思わず彼の柔らかな髪に指を差し入れ、ゆっくりと梳いた。
「セドリック。……わたくしは、今、とても自由だわ」
「……自由、ですか?」
顔を上げた彼の瞳は、縋るような光を放っている。
「ええ。エドワード様の暴力に怯えることも、伯爵家の顔色を窺うこともない。あなたがわたくしのために整えてくれたこの静寂の中で、わたくしは初めて、自分の意思で呼吸をしていると感じているのよ。……わたくしを自由にしたのは、あなたよ、セドリック」
それは、毒を含んだ甘い嘘でもあり、救いようのない真実でもあった。
セドリックの執着は確かに重い檻だが、その檻こそが、わたくしを醜悪な外界から守る、世界で最も贅沢な聖域なのだ。
セドリックの瞳に、じんわりと熱い光が浮かぶ。
彼はわたくしの幸福だけを願い、そのために自分の欲望さえも御そうと苦しんでいた。
「……あなたが幸せであれば、それでいい。私のエゴがあなたを苦しめているのであれば、いつでもこの喉を掻き切って詫びましょう。……ですが、あなたがここにいてくださるなら。私は一生をかけて、あなたを世界で一番幸福な女性にしてみせます」
彼はわたくしの手を両手で包み込み、新たな指輪を薬指へと滑らせた。
ハミルトン家の意匠ではない。
彼自身の瞳の色によく似た、深く澄んだサファイアが、月の光を受けて青白く輝く。
「アメリア様。これからは、二人で新しい歴史を書きましょう。……あなたを傷つけるものは、私がすべて消し去ります。たとえ、それが私自身の醜い独占欲であったとしても」
窓の外では、夜の雨が音もなく降り続いていた。
倉庫から聞こえたあの叫びも、バルトの冷ややかな嘲笑も、今はもう、深い霧の向こう側だ。
わたくしは彼を引き寄せ、その冷たい頬に自分のそれを重ねた。
溺愛という名の檻。
セドリックという名の怪物。
わたくしは、その檻の鍵を自らの手で深い海の底へ投げ捨て、彼が差し出す至上の安らぎの中に、静かに沈んでいくことを選んだのだった。
(第2章 第7話 完)




