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『結婚式の夜に夫の愛人の妊娠を告げられましたが、すでに準備は整っております』  作者: 白昼夢
第二章 檻の中の猛獣、牙を剥く

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閑話:泥の底から見上げた空(イザベラ視点)

閑話:泥の底から見上げた空(イザベラ視点)



〜エドワードの葬儀から数ヶ月後〜




「……嘘よ。あんなの、全部嘘に決まってるわ」



冷たい雨が降る夜、イザベル・ブレイは場末の宿の一室で、震える手で膨らみ始めた腹をさすっていた。


かつてのハミルトン子爵家での生活、エドワードの寵愛を受け、その子を産むことで手に入るはずだった輝かしい未来。そのすべては、あの日、冷徹な三男坊の手によって粉々に砕け散った。



「セドリック……あの薄気味悪い男……!」



イザベルは、今でも耳の奥で、セドリックが囁いたあの声を思い出しては吐き気に襲われる。



――「兄上の隣に、お前の席も用意しよう」



あの時、彼女は必死で叫んだはずだ。

自分のお腹にはエドワードの子がいるのだと。ハミルトン家の血を引く子を殺すつもりかと。

だが、セドリックは眉一つ動かさなかった。それどころか、ゴミを見るような冷ややかな目でこう言い放ったのだ。



『それがどうした? アメリア様を傷つけたその事実に比べれば、その腹の中にあるものの価値など、石ころ以下だ』



屋敷を追放される際、セドリックから渡されたのは、わずかばかりの金と、彼女の過去の悪行を記した封書。そして、「慈悲」という名の呪いだった。



『その子は産むがいい。だが、一度でも「ハミルトン」の名を騙ってみろ。その時は、親子揃って兄上のいる場所へ送ってやる』



それは、生きながらにして死を宣告されたのと同じだった。


エドワードという後ろ盾を失い、伯爵家からも見捨てられたイザベルにとって、この腹の子はもはや「希望」ではなく、セドリックにいつ殺されるかわからない「時限爆弾」でしかなかった。



「……アメリア様。あなたは、本当にそれでいいの?」



イザベルは、ふと思い出す。

あの日、セドリックに抱き寄せられていたアメリアの姿を。


夫の愛人が自分の子を宿していると知っても、彼女は眉一つ動かさなかった。むしろ、あの毒蛇のような男が作り出す歪んだ静寂を、吸い込むように受け入れていた。



「……狂ってる。あの屋敷にいるのは、人間じゃないわ」



ガタガタと窓が鳴る。

ただの風の音だと分かっていても、イザベルは飛び起きて背後を振り返る。


暗闇のどこかに、あの灰色の瞳をした男が立っているのではないか。アメリアの視界から「不純物」を排除するために、音もなく近づいてきているのではないか。


イザベルは、鏡に映る自分の顔を見た。

かつて自慢だった美貌は、恐怖と困窮によって見る影もなくやつれている。


彼女は知っていた。セドリックは、自分を殺すことさえ「無駄」だと判断したのだ。

ただ、アメリアの視界から自分を消し、この呪われた子と共に、誰にも知られず泥を啜って生きていくことを強いた。それが彼にとっての慈悲であり、最大の拷問なのだ。


    

    

    *



「……ああ、寒い」



イザベルは、膨らんだ腹を抱えて薄い毛布に包まった。


胎動を感じるたびに、愛おしさよりも先に、あの男――セドリックの無機質な殺意が蘇る。



(……でも、あの男だって万能じゃないわ)


ふと、イザベルは自分を慰めるように考えた。


屋敷を追い出されてから数週間。監視の影はなく、セドリックからの接触も一切ない。

あのアメリアに夢中で、自分のことなどもう忘れてしまったのではないか。

そうでなくては困る。この子が産まれれば、いつかこれを盾に、どこかの貴族へ取り入ることだってできるかもしれない――。

そんな微かな希望を抱いた、その時だった。



「気分はどうだい、お嬢さん」



宿の主人が、湯気の立つスープの盆を持って部屋に入ってきた。

いつもは無愛想な男だが、今日は妙に愛想が良い。



「……別に。置いていって」



「そう言うな。あんた、体も冷え切ってるだろう。これは特別だ。精のつく薬草をたっぷり混ぜておいたからね。産まれてくる子供のためにも、飲んでおきな」



差し出されたスープからは、香ばしい、けれど嗅ぎ慣れない甘い香りが漂っていた。

空腹に耐えかねていたイザベルは、疑うこともなくその匙を口に運んだ。

温かい液体が喉を通り、冷え切った内臓をじわりと温めていく。



「……美味しいわね。これ、何の薬草?」



「さあ、俺も詳しくは知らねえ。ただ……『冬眠』の前には欠かせないものだって、風の噂で聞いたぜ」



主人の言葉に、イザベルは微かな違和感を覚えた。

冬眠? 今はまだ、そんな季節では――。



その瞬間、指先から感覚が消えた。



「……っ、あ……」



匙が指から滑り落ち、床で乾いた音を立てる。

舌が痺れ、声が出ない。それどころか、肺が空気を吸い込むことを拒否し始めた。

痛みはない。ただ、恐ろしいほどの速さで、自分の意識が遠のいていく。

朦朧とする視界の中で、宿の主人が自分の腹部に手を当てたのが分かった。



「安心しな、お嬢さん。……あんたの命はここで終わりだが、その腹の中にあるものは助けてやる。それが『あの方』の温情だ」



主人の声が、どこか遠い場所から響く。



「……『アメリア様がもしこの子の死を知れば、きっと悲しまれる。彼女の慈愛を裏切るような真似はしたくない』……あの方はそう仰ったよ。だから、この子は俺が責任を持って、遠い国の農家にでも預けてやる。……ハミルトンの名も、あんたのことも、何もかも忘れて、ただの人間としてな」



イザベルは必死に手を伸ばしたが、指一本動かせない。

自分は消され、子供だけが「汚れ」を拭い去られた状態で、自分の知らない世界へと連れ去られる。

母親(自分)という存在さえ、セドリックの手によって歴史から消し去られるのだ。


胎動が、最後の一振りを残して静まり返る。


それは死ではなく、強制的な眠りの始まりだった。



「さあ、眠りな。明日には、身重の女が一人、寒さと栄養失調でひっそりと息を引き取っていた……それだけで終わる話だ。……『あの方』が、そう決めたんだからな」





意識が途切れる直前、彼女の脳裏に浮かんだのは、あの屋敷の庭に咲き誇る、真っ白な百合の花だった。

一滴の泥も、一筋の汚れも許さない、完璧な聖域。

自分という「汚れ」だけを丁寧に取り除き、無垢な子供という「素材」だけを残す。

それは殺意よりもなお冷酷で、あまりにも自分勝手な「聖母アメリア」への献身だった。



翌朝、その宿屋の一室で見つかったのは、眠るように冷たくなった一人の女の遺体だった。

女はひどく衰弱していたが、その腹部にあったはずの膨らみは……いや、村の誰もが、そんな女の姿など最初から覚えてはいなかった。

セドリックが整えた「美しい世界」には、もはやイザベルの席など、どこにも残っていなかったのだ。



(番外編:イザベル視点 完)









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― 新着の感想 ―
セドリックたちは確かにヤバイけど。イザベラ、貴女自分はマトモだと思ってるの?婿入り予定のエドワードの愛人やってる時点で世間からはそう思われないわよ、、、と親か友人なら言ってやりたいけど、言ってくれる人…
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