エピローグ:影の王座、あるいは完成された檻(セドリック視点)
エピローグ:影の王座、あるいは完成された檻
ハミルトン子爵邸の執務室。
かつてはエドワードが座り、贅を尽くした酒を煽りながら、アメリア様をいかに屈服させるかという下劣な空想に耽っていた、あの椅子。
私は今、そこに座り、アメリア様が眠る寝室の灯りを窓越しに眺めている。
世間というものは、実に都合の良い物語を好む。
今や社交界において、この屋敷は「悲劇の聖域」として語り継がれているらしい。
若く美しい未亡人が、亡き夫への貞節を守るあまり心を病み、外界との接触をすべて断った。
そして献身的な義弟が、その孤独を支え続けている。
バルト兄上が王都でそのように噂を流してくれたおかげで、私の「王国」は、誰にも邪魔されることなく完成を見た。
(……ああ、滑稽なことだ。誰も真実など見てはいない)
私はペンを置き、かつて愚かなエドワードが犯したあの横領と不貞の証拠が詰まった帳簿の残骸を暖炉に投げ込んだ。
炎が青白く燃え上がり、忌まわしい過去を灰へと変えていく。
エドワードは、最期まで自分が「支配者」だと信じていた。
だが、彼はただの「舞台装置」に過ぎなかった。
私がアメリア様をこの手で救い、彼女にとって唯一の救いとなるための、残酷な小道具。
あの日、地下倉庫の沈黙を切り裂いたエドワードの断末魔を、私は今でも心地よい夜想曲のように思い出す。
それは、私の最愛の人に泥を塗り、その尊厳を傷つけた者が支払うべき、あまりに安価な対価だった。
バルト兄上のことも、時折思い出す。
彼は確かに優秀な「統治者」であったが、あまりに秩序という名の法を信じすぎていた。
まさか私が、一族の名誉や領地の安寧など、アメリア様の指先一本の輝きに比べれば塵芥に等しいと考えているとは、夢にも思わなかっただろう。
彼にとって領地は統治すべき資産だが、私にとってのアメリア様は、この世界の法であり、神そのものだ。神を守るために、神殿の外にある世界を焼き払うことに、何の躊躇いがあるというのか。
そして、イザベル。
あの女は最後まで、自分がなぜ消されるのか理解していなかった。
アメリア様の視界に、自分以外の「血の繋がり」という不純物を残そうとした罪。
彼女が身籠っていた子供は、今頃、遠い北の国の農家で土にまみれて育っているはずだ。
ハミルトンの名も、自らの出生の呪いも知らず、ただの「無名な人間」として。
それが、アメリア様の清らかな世界に泥を投げつけようとした者へ、私が出せる最大限の、そして最後の慈悲だった。
「……セドリック?」
寝室から、柔らかな、とろけるような声が届く。
私はすぐに椅子を立ち、影のように彼女の元へ駆け寄った。
アメリア様はシルクのシーツの上で、月光に透けるほど白い肌を晒し、少しだけ乱れた髪を零して微笑んでいた。
その首元には、私が選んだ真珠のチョーカーが、皮膚の一部であるかのように馴染んでいる。
それは私にとって、彼女が私の所有物であることを示す唯一の証。
そして彼女にとって、この残酷な世界から遮断され、守られているという、静かな共犯の証だ。
「アメリア様。……目が覚めてしまいましたか」
「ええ。あなたが隣にいないと、空気までが冷たくて、恐ろしいの」
彼女がわたくしの腕に縋り、その柔らかな体温を預けてくる。
その言葉一つで、私の胸は狂おしいほどの悦びと、同時に深い罪悪感に満たされる。
彼女は、知っているはずだ。
私がエドワードをどのような奈落へ落としたのか。
イザベルがもう二度と目の前に現れないことを。
アメリア様は決して、ただ守られるだけの無垢な小鳥ではない。
すべてを察し、私の手の汚れを理解した上で、この「幸福な監禁」という名の果実を、自ら悦んで口にしているのだ。
「愛しています、アメリア様。……明日も、その次も……この門が開くことは二度とありません。ここでは、あなたの望むものだけが真実となるのです」
私は彼女の手を取り、薬指に嵌められたサファイア――私の瞳の色と同じ輝き――に口づけをした。
彼女は優しく私の髪を撫で、満足そうに瞳を閉じる。
私は満足だ。
かつて「いないもの」と蔑まれ、陰に潜んでいた伯爵家の役立たずの三男は、今、自らが作り上げた完璧な箱庭の中で、唯一の神を愛でている。
外の世界が戦火に包まれようと、ハミルトンの名が歴史から消え去ろうと、知ったことではない。
この閉ざされた静寂の中で、彼女の鼓動を聴き、その視界を私一人で埋め尽くすこと。
それだけが、私の生きてきた意味であり、地獄まで持っていく唯一の戦利品なのだから。
(完)
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