遠い日の思い出
「…ご…ゅ……さ…、ご……ん……ま!」
声が聞こえる。聞き慣れたような、それでいてとても懐かしいような…
「ご主人さま!、起きてくださいなぁ」
ミアの呼び掛ける声にハッと目を開け周囲を見渡す。そこには見慣れた…或いは地球での自室よりも見慣れたホームの姿が飛び込んできた。どうやら椅子に座ったまま眠ってしまっていたらしい。
「えっと…ごめんね、眠っていたみたい。どれくらい寝てた…?」
「10分位ですよ~、お疲れだったんですねぇ。───起こすのはかわいそうかと思ったんですけど…ご主人様ってば服はボロボロだし髪もボサボサなので、ご飯の前にお風呂に入って着替えて貰った方がいいと思ってぇ。ご飯の支度が終わるまでまだ少し時間が掛かるのでぇ」
そういわれた事で、自分が今どれほど悲惨な格好をして居たのかを思い出す。
「確かにこの格好のままじゃちょっとよろしくないね…それじゃあご飯の前にお風呂入ってこようかな。あ…ミア、工房って直ぐに使える状態になってる?」
「はい~、お手入れは毎日してますから、そのまま使えるはずですぅ」
「毎日って事は15年も……ん……じゃあ工房で用事を済ませてからお風呂に入るね。ありがとう、ミア」
ミアの一言に申し訳ない気持ちが生まれるが、こういう時は謝罪よりも感謝を伝えるべきだろうと思い言葉に付け加える。その言葉にミアはニッカリと笑いながらこう返す。
「お給金は貰ってるんだから、ご主人様がいつ帰ってきても良いようにお手入れしておくのは当たり前ですよぉ、お食事はあと30分位で出来ますからねぇ」
その言葉で、過去に給料を都度都度渡すのが面倒で上限金額までいっぺんに払っていた事を思い出した。因みに地球時間で99年分に相当する金額が一度に渡せる限度額だった。
そんな過去の事を思い出しながら椅子から立ち上がり、敷地内の離れに在る工房へと足を向ける。工房まで到着しその扉を開けると、そこには『アビスゲートオンライン』の時と変わらぬ姿の、自らレイアウトした工房の姿があった。
多くのMMOのご多分に漏れず、『アビスゲートオンライン』においても生産系のスキルは存在し、それを生業にした冒険者が一定数存在していた。生産を行う主な理由としては店で買える装備やアイテムよりも生産系のスキルを上げて作った物の方が高性能であり、自分で使用したり他の冒険者に販売して利益を得る事が可能であるからだ。
ならば何故一定数の人達しか生産をやらないのかと言えば、そういった作業を好まない層が居るというのも理由としてはあるだろうが…単純に苦行なのだ。スキル上げが。
スキル上限は100で、アイテムを作成し、成功した時に『ランダム』でスキルが0.1上がる。そしてその『ランダム』で上がる確率が大問題なのである。
レベル上げが文字通り死ぬほど大変な『アビスゲートオンライン』である。生産スキル上げも生優しいものであろうはずがなく…多くのプレイヤーが途中で嘆き、挫折し、心砕かれる。そうした結果、「冒険してお金稼いで買った方が早くね…?」という結論に至るのだ。
勿論最高級の装備ともなれば途轍もない値段で取引される為、苦労に見合った物を作り出せるようになる。
故に何らかの生産スキルを極めた冒険者は『職人』と呼ばれ、『アビスゲートオンライン』の経済を支配していると言っても過言ではない存在であった。ただし、そこにたどり着ける程の根気と時間が在る人がどれほどいるか…という話ではあるが。
またスキルを上げる恩恵の一つとして、スキルの数値が一定以上になると装備に特殊な性能を付与するしたり、自分なりのレシピを作り出す事が出来るようになる。つまりオリジナルアイテムが作れるようになるのである。その特異性も『職人』が重宝される理由の一つであった。
一点物というだけのことはあって装備には独創的な性能が付与されていることが多く、力だけが大きく向上する代わりに他のステータスが下がる、或いは火属性が完全に防げる代わりに他の属性に弱くなるなどピーキーな性能を付与する事も可能であった。
そう、例えば…『自分のレベルを下げる』アイテムも理論上は作れるのだ。
勿論アイテムを作る為には素材が必要である。今の自分は身に着けていた装備やアイテム、所持金を全てロストした一文無しの素寒貧である。
故に工房に来ても素材が無ければどうしようもないのだが…ある一つの可能性に掛けてここに来たのだ。
自分が直接所持していた物は全て無くなってしまったが、ホームが在るなら工房内の素材もまだ残っているのではないか…と。
そうして工房内の素材があれば『自分のレベルを下げる』アイテムを作る事が出来るのではないかとも。
「あった…あった!」
賭けの結果は勝利に終わり、思わず歓喜の声をあげる。
「余ってた素材を取り合えずでバンバン入れてただけだけども、思ったより素材が揃ってる…これなら!」
装備に特殊な効果を付与するにあたり、相応の効果を求める場合はそれに見合った格を持つ素材が求められる。今回付与する効果は言ってしまえば自らにデバフ効果を掛ける装備なのでそこまで高ランクの素材は必要ないのだが…どうせ作るのであればしっかりとした物を作りたい。
現状今までの情報を纏めて考えるに、この世界は自身の知る『アビスゲートオンライン』とほぼ同じ…しかし、ゲームではなく現実に存在する世界であると考えられる。それを証明するように『祝福』という名のリスポーンシステムが消滅している事はミアの話から分かっている。『祝福』が無い以上、冒険中にモンスターに敗北すればその瞬間に死が確定するのだ。
であれば、自らレベルを下げる事は自殺行為ではあるのだが…今自分が手にしている力を全く扱いきれないのも事実である。
通常の日常動作に関しては、地球での自分の体を動かす感覚、『アビスゲートオンライン』でアバターを動かす時の感覚、今のこの体を動かす感覚、全てにおいて大きな差は感じない。
問題はふとした時に力を込めてしまった時である。身体に力を込めるという行為が能力を発揮するトリガーになっているのか、その際には加減が出来ずとんでもない事態を引き起こす事になる。
それは数時間前、大羊に風穴を開けた事や音の壁をぶち破り且つ雲を突き抜けた事実がこれ以上ない程に物語っていた。
『アビスゲートオンライン』の時のレベルは290で、ステータスの数値は300に届くかどうかというものだった。今のレベルと比べれば格段に低いが、それでもその身体能力は凄まじく、素手で鉄を握り潰したり、弾丸の様に走る事も可能であった。
ただ、そういった現実からかけ離れた超人的な身体能力を使いこなせるのには理由があり、レベルアップに必要な経験値が膨大な数字である事で戦闘などを通じて徐々に感覚が慣れていき、自然と使いこなせるようになるのである。システムの補助も勿論あるが。
しかし今はその超人的な身体能力すら比較にならない程向上している。幾らレベルが上がれば動体視力や反射神経、思考速度等も上がるとはいえ、力の加減までは勝手に身につかない。
ならば制御できるように練習すればいいのではないかと言われるかもしれないが、今のパワーでは感覚を身に着ける前にペンペン草も生えない死の大地が出来上がるだろう。
故にどれだけリスクがあっても、現状自身のレベルを下げる事は必須なのである。
「レベルを下げるという敢えてデバフ効果を着ける事で生じるエネルギーを、何かしらのバフ効果に変換すると…となるとやっぱり、即死とか石化とか、喰らった瞬間終わりの効果に耐性を付けるのが無難かな」
防具のイメージは粗方出来た。あとの問題は素材が足りるか…そう考え、素材箱をガチャガチャとあさり続ける。
ちなみにだが、アイテムの作成には2つの方法がある。
システムに任せて素材をセットしオートで作成する方法と、素材の加工から何から全て0から作り上げるマニュアル方式だ。
システムに任せてオートで作成すると、品物の性能自体は安定するがクオリティの高い物は出来ないという特徴がある。
逆に自力でのマニュアル作成では、なんと布製品なら裁縫をしたり、鍛冶であれば自ら槌を揮って作成するのだ。そうする事で性能が劇的に上昇するのである。
勿論ある程度システム上のサポートはある。あるにはあるが、オートよりも当然時間は掛かるし、裁縫やアクセサリー作り等はいくらシステム上のサポートがあると言っても本人の素養に大きく左右される。
裁縫とか私にはまったく向いてなかったし。
なので、マニュアル式はその技能で生計を建てている職人の、その中の更に一部の人しか行わない方法なのだ。
かくいう葉月も生産系のスキルの数字自体は現状の最高値であるが…全て資金に物を言わせたオート作成でのスキル上げの結果であり、マニュアルでの作成は全くできない。
マニュアル式の特注品が欲しい時は素材と報酬を渡して知り合いの職人に作って貰っていたので、それで不便をする事はなかったし、せいぜい自作するものなど消耗品であるポーションや薬品類位しか無かったのだ。
なので今回も作成自体はオートだが、設計図だけは自分で作らねばならない。まずは工房内にある機械に完成時に付与したい効果を打ち込む。そうする事で求められる素材が提示されるのでそれを元に更に細かい効果や数値の調整を行う。そうした作業を経て完成予想図と必要素材が確定し設計図は完成した。
また、大幅にレベルを下げる事で生まれたデバフエネルギーは想像以上で、それを変換したバフエネルギーは状態異常耐性をほぼ最大値まで付与出来るという事が分かった。
「これで即死とか石化とかの問答無用の運ゲーは避けられるか…よし、さっそく作ってしまおう!」
先に延ばす理由も無いため、さっそくアイテムの作成に取り掛かる。オート作成は時間が短く済むため、1時間もあれば完成するだろう。
そうして必要アイテムを素材箱から取り出し揃えている内に、重大な事に気が付く…素材が足りないのである。鉱石の種類の一つに炎や水等の特性を宿した魔性石と呼ばれる素材があり、その魔性石の中でさらに上位の石と下位の石があるのだが…
「下位の石が無い…」
下位の石は低レベル用の装備位にしか使わない為に素材箱に在庫がなかったのだ。下位の魔性石は街中にある店で買える素材である為、買おうと思えば買えるのだが…
「お金も無い…」
そう、一文無しなのである。
因みにゲームだと個人で持てる資金の上限は9999999999…約100億である。そして自分は資金もカンストしていた。つまり100億の億万長者から一気に一文無しになったという事である。
お金は装備等自身を強化する為の手段でしかなかったため、失ったとしてもそこまで気にするものではないのだが…流石に額が額である。少しヘコタレそうな気持ちにはなった。
一応大羊の素材をマジックバックに入れて持ってきたので、これを買い取って貰えばいくらか工面は出来るだろうが…何の処理もしていない状態である為、今すぐという訳にはいかないだろう。
何とか店売り出来そうな素材を探していると、素材箱からピジョンブラッド…所謂ルビーが幾つか出てきた。
この世界で宝石がどれほどの価値があるのかは分からないが、それでもそれなりの値段で売却可能であろう。少なくとも下位の魔性石を買う資金くらいにはなるはずだ。
今の時間ならばまだ店も開いているはずだし、早速…そう思ったが、ミアには一声掛けてから出かける事にした。
台所に向かうと、夕飯の準備をしていたミアが私に気が付きに声を掛けてくる。
「あれ、ご主人様、まだお風呂に入ってなかったんですかぁ」
「うん、どうしても工房で済ませておきたい用事があって…それでちょっと素材が足りなかったから、買い物に行ってくるね。お店も近いし15分位で戻るから!」
そう告げると、一瞬ミアの瞳に不安げな感情が乗ったのを感じる。
「…わかりましたぁ。ご飯もそれ位で出来ると思いますからぁ…ちゃんと帰ってきてくださいね?」
そのミアの言葉に申し訳ない気持ちになりながらも「ちゃんと帰ってくるから」と伝え、そのまま家を出る。
15年が経過したという実感は全く実感は無いが…それでもいつ帰るとも分からぬままに15年も待たせた事実は存在するのだ。出かけたまま再び居なくなってしまうのではと心配になる気持ちは十分に理解出来た。
そう…いつも通りに帰って来ると、居なくなるなんて思いもしなかった相手がいつまで戻らないという事がどれほど辛いのかは自分自身が一番良く知っているからだ。
笑顔で出掛けていった両親が二度と帰らなかったあの日の事を少しだけ思い出し、うっすらと涙をうかべたまま夕暮れに染まり始めた道を一人歩み始めるのだった。
この度は私奴の作品をお読み頂き誠に有難う御座います。
本作をお読み頂いた上で少しでも面白い、続きが読みたいと思って頂けましたなら
・ブックマークへの追加
・画面下の「☆☆☆☆☆」からポイント評価
等をして応援して頂けると、作者の力になり励みになります。
何卒宜しくお願い致します!オナシャス!