新たなる事実
目の前の少女……ミアの口から告げられた出会い頭の一言。
それに大きな衝撃と困惑を受けたが、おいおいと泣き出してしまったミアの姿に、二の句を継げずに立ち尽くした。
しかし、時間の経過と共に湧き上がるのは別の感情だ。
玄関先とはいえ、往来で少女を泣かせているこの絵面はマズイのではないか、という焦燥が突き上げてきた。
『と、とりあえず……お家に入ろっか』
何とかそう言葉を絞り出すと、泣きじゃくっていたミアは言葉を発することなく、返答の代わりにコクリと頷くのであった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
「あ、お茶淹れますねぇ!」
大泣きしてばつが悪いのか、家の中に入り少し落ち着きを取り戻したミアが、そう言いながら駆けるように台所に向かっていく。
その後ろ姿に微苦笑を浮かべながら、『ミア』という存在に思いを馳せる。
『アビスゲートオンライン』では、ゲーム開始時にプレイヤー一人一人に持ち家が与えられる。
それは前述した通りだが、それ以外にもサポートAIが一体ずつ与えられる。
それが、今しがたまで自分の胸で大泣きしていた『ミア』だ。
プレイヤーはゲーム開始直後のチュートリアルとして『斡旋所』と呼ばれる場所に向かい、そこで自らのパートナーとなるサポートAIを選ぶのだ。
サポートAIは街中に居るNPCよりも高度な思考が組み込まれており、沢山接することでより人間に近い挙動になっていく。
細部まで無駄にこだわり尽くされた『アビスゲートオンライン』では、家にも清潔度という数値が設定されており、定期的に掃除をしなければならない。
空腹度というものも設定されており、食事も必要になる。
そう言った生活部分を担ってくれるのが、サポートAIなのだ。
会話の中で好みを言えば、それに合わせた家内のレイアウトや食事も提供してくれるようになる。
ちなみに給料制で、給料を払わないと暇を乞われてしまう。ノーモアブラック企業。
ともあれ、十五年絶え間なくプレイを続けた私のサポートAIは非常に成長しており、かなり『人間っぽい』存在だった。それでも───
(どれだけ人間ぽくても、サポートAIが泣く事なんて無かった……やっぱりこの世界の人達はプログラムなんかじゃない。感情がある人間なんだ……)
改めて『アビスゲートオンライン』との決定的な違いを実感すると共に、先程大泣きしていたミアの姿を瞼の裏に思い浮かべていると、目を赤く腫らした彼女が紅茶とお茶受けを目の前に運んできてくれた。
私の好みに合わせた、微糖の紅茶だ。
私の事を認識しているのだから当たり前ではあるが、嗜好を理解している辺り、やはり彼女の記憶は引き継がれているようだ。
そうしてお茶を運んだミアが、テーブルを挟んで私の向かい正面に座る。
そこはいつもミアが座る定位置であった。
感慨に押し黙っていると、ミアの方から口を開き、先程と同じ質問を問いかけてくる。
「それでご主人様は、今まで何処に行ってたんですかぁ……?」
ミアにそう尋ねられるが、なにせ自分でも何が何やら分かっていないため、直ぐに言葉が出て来ない。
とはいえ答えない訳にもいかないので、あるがままを話す事にした。
『それが、私にもサッパリなんだ。気が付いたらいきなりドミネス高原にいて……何も分からないし、取り敢えず家に帰ろうって思って』
情けない話ではあるが、これが自分の今持っている情報の全てである。
その内容に疑問を持ったミアが、更に質問を重ねてくる。
「気が付いたらって……ご主人様が突然居なくなってから十五年も経ってるのに、その間の記憶が全くないって事ですかぁ?」
困惑した表情でミアが先程の衝撃的な発言を再度口にしたことで、一度棚に上げた疑問を下ろす流れとなった。
『うん……何も記憶がない。寝て起きたら十五年経過したよって突然言われて、正直寝耳に水って感じ。だから逆に、何があったのかをミアに聞きたいんだ』
「そう……なんですね───わかりましたぁ。じゃあとりあえず、順を追ってお話ししますねぇ」
ミアはそういうと少し考えこんだ後、伝えるべき内容と順番を精査したのか、ゆっくりと言葉を発した。
「まずご主人様がいなくなったあの日ですけど……大変な事が幾つも、それもいっぺんに起こったんですよぉ」
『大変な事?』
「はい。まず一つめは、全ての冒険者さんが記憶喪失になったんですぅ」
ここでミアがいう冒険者とは、プレイヤーの事のはずだ。
であれば、全てのプレイヤーが突然記憶喪失になったという事だが……そんなことがあり得るのだろうか。
余りの内容に思わず「記憶喪失?」とオウム返ししてしまった私に対し、ミアは言葉を続ける。
「はい、記憶喪失ですぅ。自分の事も何もかも、記憶が無くなってしまったみたいなんですぅ」
『それはちょっと、俄かには信じがたいけど……』
呆然としながらそんな事を口にすると、追い打ちを掛けるように衝撃的な発言がさらに続く。
「本当ですよぉ、しかも、冒険者さん達の事を誰も覚えていないんですよぉ。冒険者さんのパートナーも含めてぇ」
(冒険者さんのパートナー……つまり、サポートAIだった人達まで、自分たちの主人を忘れてしまったという事か)
続けざまの情報を何とか咀嚼しようと、私は確認するかのように言葉を漏らした。
『えっとつまり、冒険者達本人は記憶喪失になって、周りの人達は冒険者の事を誰も覚えていなかったって事……?』
「そうですぅ。なので突然大量の身元不明者が生えてきたみたいになって、大混乱でしたぁ。でも冒険者ギルドに冒険者さんの登録名簿は残っていて、それで名前の確認は出来たみたいですぅ」
街中に突然身元不明の人が大量発生するという、パニック間違いなしの事態を想像する。
だが、その発言によって生まれた疑問をそのままミアにぶつける。
『でも、ミアは私の事覚えてるよね?』
「はい、それは私もとっても不思議でしたぁ。ご主人様が有名人だから……って事は無いですよねぇ?」
『それは、ちょっと違うんじゃないかなぁ』
苦笑しながらそう返すと、ミアは不思議そうに首を傾げた。
ミアの理屈はともかく、何故か自分は世界から姿を消し、十五年経過した今になって姿を現したらしい。
そして他の冒険者は記憶喪失で、周囲の人は冒険者個人としての認識を失っている。
奇々怪々な事この上ない話である。
混乱を深める私に、ミアは畳み掛けるように特大の爆弾を落とした。
「あと、冒険者さんにあった『祝福』が無くなっちゃったんですよぉ」
『「祝福」が無くなった?……それって、もしかして!』
「はい。以前は女神様の奇跡があったから、もし命を落としても蘇る事が出来たんですけど……そのお力が失われてしまって、もう生き返る事は出来なくなっちゃったんですぅ」
淡々と語るミアの言葉に、冷たい刃で心臓をなぞられたような感覚を覚えた。
この世界の冒険者――プレイヤーは、別名『女神の使徒』とも呼ばれている。
女神に選ばれ、特別な『祝福』――リスポーンの能力を与えられた存在。そう認識されているのだ。
倒れても何度でも蘇る、不滅の軍勢。
だからこそ我々プレイヤーは、死を恐れることなく、未開の地を切り拓く英雄にも、あるいは人に仇なす悪役にすらなることができた。
誰もが思い思いのロールに没入し、自由気ままにこの世界を謳歌していたのだ。
そうした無数の軌跡が結果的に世界の治安や経済を回し、私たちは文字通り『使徒』として、大いなる敬意を集めていたはずだった。
しかし──。
『それは、冒険者の力が失われたってこと?』
「いえ、失われたのは『記憶』と『祝福』だけですぅ。冒険者の皆さんが持っていた力は、失われていませんでしたぁ。でも、それが悲劇を生んだんですぅ……」
ミアの口からこぼれ落ちたのは、あまりに痛ましい、無知と行き違いが招いた悲劇の顛末だった。
ギルドにとって――否、この世界にとって、冒険者という『労働力』が失われるのは重大な損失となった。
凶悪なモンスターを狩ることで貴重な素材を市場に流すだけでなく、討伐そのものが治安の維持に繋がる。
クエストという形で様々な依頼を請け負っていた冒険者たちは、正に世界の心臓部だったのだ。
このままではすべてが立ち行かなくなる。
そう考えた彼らは、記憶を失った冒険者に再び戦場に立ってもらおうと依頼を出し、再び世界の流れを動かそうとしたのだ。
この世界において、冒険者が『女神の使徒』であり、『祝福』という奇跡を持つことは、子供でさえ知っている当たり前の理である。
たとえ彼らが記憶を失っていようと、冒険者は死なない。不滅の存在であるという絶対的な信頼があった。
それを微塵も疑わなかったからこそ、世界はかつての常識のままに危険な討伐を頼んだのだ。
対して、記憶喪失に陥った冒険者たちは、自身の過去の一切を失っていた。
だが、肉体に染み付いたレベルや戦闘能力自体は、以前と何一つ変わらずに残っている。
見知らぬ世界に放り出された彼らは、今日を生き延びるための食い扶持を必要としていた。
同時に、自分たちのルーツを確かめるべく必死で情報収集を行うのは必然の行動だった。
その過程で、彼らは周囲から、自分たちが『女神の使徒』であり、『祝福』という不滅の力を持っているという話に行き着く。
己の過去を知らぬ彼らは、世界が語るその常識を事実だと信じるほかなかった。
そして日々の糧を得るため、あるいは自身の存在証明のために剣を握り、ある者は一人で、ある者はパーティーを組み、それぞれの依頼へと踏み出していったのだ。
『結果、多くの者が帰らなかった……か』
かつての常識のままに冒険者を頼った世界と、己の不滅を信じて死地に赴いた冒険者。
その残酷な齟齬は、取り返しのつかない大量の犠牲を生み――命を落とした彼らが、ホームポイントに帰還することは二度となかった。
『祝福』を失った今、この世界でも死は絶対の終わりを意味しているのだ。
幾つもの衝撃的な事実を重ねて告げられた所で、夕刻を告げる鐘の音が街中に響き渡った。
その音を聞き、ミアが勢いよく椅子から立ち上がる。
「あぁ大変、もうこんな時間! 折角ご主人様が帰って来たのに夕餉の準備が何も出来てないですぅ……急いで支度しますね!」
そう言ったミアは慌ただしく、止める間もなく台所へ駆けていく。
正直まだ聞きたいことはたくさんあったが、それは夕食の時でも良いだろう。
情報過多な脳内に糖分を届けようと、お茶請けのクッキーに手を伸ばし頬張ると、口内にミルクの味が広がる。どうやらミルククッキーのようだ。
『美味しい……』
二つ目のクッキーも平らげ、三つ目に手を伸ばしかけた所で、ピタリとその動きを止める。
ミアがご飯を作ってくれているのだから、余り間食はしないほうが良いだろうと考えたのだ。
そうして伸ばしかけた手は代わりを求め、紅茶のカップに辿り着く。
少し微温くなった紅茶を口に含みながら、パタパタと元気に響く足音を遠くに聞く。
それは葉月にとって、今日初めて訪れた穏やかな時間であった。
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