05 車掌?
当然と言うべきか、連結部分に続く扉を開けても、注意してくるスタッフは誰もいない。扉の向こうにも人影はなかった。
いくつかの部屋に分かれた荷物車を足早に抜けて、一等車に向かう。当然と言うのも何だけれど、出入り口を見張る者はなく、あっさりと一等食堂車に入れてしまった。
「やっぱり、誰もいないわね……」
この時間なら、まだ食事をしている客が何人かいてもおかしくない。ところが乗客どころか従業員ひとりおらず、テーブルの上は美しくセッティングされたままだ。
二等車より潤沢に資金が投入された一等車食堂は、まるでホテルのレストランのように煌びやかだ。統一された意匠の照明に、艶やかなベルベッドの椅子、生き生きとした生花が飾られ、足音を消す柔らかで緻密な柄の絨毯が敷き詰められている。
空の厨房には二等車の食堂と同じように、出来立ての料理が準備されていた。
「こんなことなら、こっちで食事をすれば良かったかしら?」
「ご主人様……バレたら叱られるどころの話じゃありませんよ」
さすがにあきれた目をするフィンに、わたしは「冗談に決まってるじゃない」と笑った。本当は半分以上本気で言ったのだけれど、ここは主人としての威厳を保たなければ。
わたしたちは食堂車も後にし、一等寝台車へと移った。やはりその側廊下にも人影はなく、すべての扉が閉じられている。
「……あのう! 誰かいませんかー!」
「ご主人様⁉」
突然大声で叫ぶわたしに、フィンが飛び上がる。通常なら一等車で叫ぶなんてとんでもないことだけれど、いまはどう考えたって異常事態だ。こうしたほうが早い。
それに同じマナー違反なら、知らない乗客の扉を開けるより、こうして叫んだほうがまだマシな気がする。
「誰もいないんですかー⁉」
車両の真ん中あたりで叫んでみたけれど、どの部屋の扉も開く様子はまるでなかった。恐ろしいほどに静まり返っている。
「……仕方ないわね。開けてみましょう」
「ぼ、ぼくが開けます! ご主人様は離れていてください!」
まるで何か化け物でも飛び出してくるかのように警戒するフィン。小さな体で必死にわたしを守ろうとする姿に、胸がいっぱいになる。
「いいえ。ここは主人としても、大人としても、わたしが開けるべきだわ」
「いけません! 危険そうなことはぼくがやります!」
「じゃあ、もう一緒に開けちゃいましょう。失礼します!」
わたしが目の前の部屋の扉をノックすると、慌ててフィンがノブに手をかける。その上からわたしも握り、せーので扉を開いた。
予想していた通り、中に人はいない。それどころか荷物もなく、寝台のリネンはピンと張られ部屋に乱れは一切なかった。元から、誰も乗っていなかったかのように。
念のため他の部屋も覗いてみたが、どこも同じ状態だった。
「いよいよ変ね。一等車は予約を取るのが難しいくらい人気なのに、誰も乗っていないなんて」
「最初から変ですよ! みんなどこに消えちゃったんですかぁ」
怯えるフィンの言葉に、ある出来事が脳裏に浮かんだ。
メーベル夫人や他の乗客たちが読んでいた新聞。そこに書かれていた見出し。
『国際寝台列車の中から忽然と姿を消した王子様!』『王子様は一体どこに消えたのか⁉』というあれだ。
まさか、他の乗客たちも隣国の王子と同じように消えてしまったということだろうか。
「でも、王子様はひとりで、いなくなる理由もいくつか想像できるけど、こんな大人数が一気にいなくなるなんてありえる? しかも王族どころか平民もたくさんいるのに」
「ご主人様? 何かわかったんですか?」
「わかったというか、わかったところでという感じなんだけど……」
はっきり答えることが出来ず、手で口元を覆った。
この状況では、汽車を運転する車掌も消えているんじゃないだろうか。だとしたら、この列車は停まらない。いや、止まれない。燃料が尽きるまで走り続けるだろう。
列車の運転などわからないけれど、スピードを落とさなければ通れない場所もあるのではないだろうか。もし脱線でもしたら――。
ゾッとして、どうにか列車を停める方法はないか考え始めたとき、背後でキィっと音がした。
列車の走行音にかき消されてしまいそうな小さな音だったけれど、それは確かに扉が開く音で。
思わず振り返ると、車両の端にある部屋から人が出てくるところだった。専属車掌の青い制服を着て帽子を被っている。
何だ、ちゃんと人がいるじゃない! そう安心しかけたわたしの目に、奇妙なものが映った。
専属車掌の制服を着たその人は、異様に背が高く、腕が長かった。立っているのに、両手を床に引きずるほどに。膝の関節が逆方向に曲がっている。
人じゃない! そう理解した瞬間、それはこちらを向いた。
真っ黒な顔のようなものの中に、大きな一つ目がある。それがギョロギョロ! と動くと同時に、突然こちらに突進してきた。
考えるより先に体が動いていた。わたしはフィンを抱えて、脱兎のごとく逆方向に逃げ出した。




