04 腹が減っては
車掌も乗客も、誰もいない。わたしたち以外、誰も。
そんなことがあるのだろうか? 人気でなかなか乗車券を手に入れられない、この国際寝台列車で?
「……とりあえず、フィンも一緒に食事をしましょうか。列車が停まる前に」
「ご主人様、どうしてそんなに落ち着いているんです?」
「驚いてるわよ? でも、列車が走っている間に出来ることなんてそうないでしょう? だったら出来る数少ないことをしましょう」
「それが食事ですか?」
「食事と睡眠は人間にとって必要不可欠! このスープ、美味しいわよ」
フィンは何やら気が抜けたように「ご主人様らしくて安心しました」と笑った。
食事をしている間にスタッフが現れるかもしれないと思っていたけれど、結局食べ終わっても誰も食堂車には現れなかった。
フィンの言った通り、わたしたち以外は誰もいないのかもしれない。少なくとも、食堂車、二等車、三等車には誰も。
「ご主人様。これからどういたしましょう?」
「そうねぇ。次の駅で停まるのを待てば良いんじゃないかしら。降りて、デッセンまで戻る。実家に帰る目的は変わらないわ」
「でも……この列車、停まるんでしょうか?」
首を傾げるフィンに、わたしも口を閉じる。わたしたちしかいないので、お互いが黙ると列車の中は静まり返り、ガタゴトと走る音しか聞こえなくなる。
わたしたちが目覚めてから一時間経過している。食堂車の壁に乗り換え案内と時刻表が掲示してあったのでさっき確認すると、すでに次の駅に到着する時刻が過ぎていた。
でも、列車が遅れているという可能性も否定できない。
「停まるでしょう、汽車だもの。車掌が――」
「車掌がいないかもしれないのに?」
「……怖いこと言わないで。じゃあどうやってこの列車が走ってるって言うの?」
制御する者がいないまま走っているなんて、想像するだけでゾッとする。
「きっと他の乗客は普通に降りたのよ。お客さんがいないからスタッフも別の車両に移動してるのかも。わたしたちが寝過ごして存在を忘れられちゃったのね」
自分でも無理のある説明だなと思いながら、それでも話さずにはいられなかった。そうじゃやないと、いまのこの異常な状況に飲みこまれて日常に戻れなくなりそうで怖いのだ。
それに、無理はあるが完全にないとも言い切れない。
国境をこの汽車に乗ったまま越えられるのは一等車までなので、もしかしたら国境手前で乗客と従業員だけを降ろし、二等車と三等車を切り離し忘れたのかもしれない。
ただし、その場合わたしたちは丸一日以上眠りこけていたことになるので、本当に無理があるけれど。
「じゃあ……一等車に行ってみましょうか?」
「えっ? でも、あちらに入れるのは一等車の乗客だけよ」
列車の後方にある一等車と特等車は、それぞれそこに宿泊する乗客しか入ることは出来ない。
この二等食堂車の隣は食料や備品が詰まれた荷物車という名の倉庫で、その奥が一等車の食堂、一等車、特等車、最後がまた荷物車という車両編成となっている。安全のために前方車両の人間は後方車両には移動出来ないのだ。
「もし止める人間がいるなら、それに越したことはありません。いまどの辺りなのか聞けますし」
「それは……その通りね。わかった。じゃあ、一緒に行きましょう」
「いえ、ご主人様はここで――」
「フィン。一等車に向かうのに、危険なことはないでしょう? それにあなただけだと何か言われるかもしれない。わたしが一緒なら、注意くらいで済むはずよ」
フィンは渋っていたけれど、わたしたちは一緒に移動することにした。別々の場所にいるときに駅に着いても困るので、行動はともにしたほうが良いと説得したのが効いたようだ。
しかし隣の車両へいざ、というとき、フィンが「フギャッ」という声とともに盛大に転んだ。
どうやら持っていた自分のトランクに足を引っかけたらしい。その拍子に傍のカウンターに置かれていたボトルやグラスが落ち、派手な音を立てて割れた。
「うわわわわ! も、申し訳ありません!」
「大丈夫、フィン? 怪我はない? あなたは本当によく転ぶわねぇ」
フィンは元気は有り余るほどあるが、運動はあまり得意ではないようで、足は遅いしよく転び、反射神経も鈍いらしく小さな怪我をしょっちゅうしている。
嫁ぎ先で過ごした三年間、何度彼の手当てをしただろう。そういうところも可愛らしいと、伯爵家では人気だったみたいだけれど。
「ぼくは大丈夫ですが……どうしましょう。たくさん割ってしまいました」
「そうねぇ。でも叱りに来る人はいないようね。駅に着いたら弁償しましょう。そこまで高価なものではないはずよ。……あら、これは」
割れたグラスの破片をとりあえず端にまとめておこうと拾っていると、グラスとは違う重みのある大きな破片があった。鳥の形の置物だったようで、羽の辺りから綺麗に二つに割れてしまっている。
「重くて冷たい……水晶かしらね」
「た、高いのでしょうか? ぼく、少しなら貯えが……」
「そんなこと気にしないの。さ、これでいいわ。行きましょう」
置物と割れていないボトルはカウンターの上に戻し、グラスの破片はすべて端に寄せて、わたしたちはようやく隣の車両への扉に手をかけた。




