EP 17
紅黒の龍、英雄の激怒
地下空間に、デーモンロードの耳を劈くような罵声が響き渡る。
「下等生物どもが! 我が神聖なる儀式の邪魔をした罪、万死に値するぞ! その魂、永遠に苦痛の炎の中でのたうち回らせてくれるわ!!」
唾を飛ばし、膨大な魔力を周囲に撒き散らしながら喚き散らす異形の怪物。
だが、太郎にとって、そんな安い三流悪役の台詞はどうでも良かった。
太郎は弓を下ろしたまま、デーモンロードから視線を外し、鉄格子の奥をじっと見つめていた。
そこには、ボロボロの衣服を纏い、痩せこけたエルフの若者たちがいる。
美しいはずの頬には無惨に殴られた痕、細い腕には重い鎖で擦れた赤黒い傷、そして目には、深い絶望と恐怖の色がこびりついている。
理不尽に攫われ、自由を奪われ、ただ儀式のために消費される家畜のように扱われた彼らの痛み。
そして、彼らの帰りを待つ、あの平和で暖かい里の家族たちの悲しみ。
(…………)
太郎の心臓が、ドクンと冷たく脈打った。
かつて魔神王と戦った時は「みんなを守るため」という使命感からの戦いだった。
だが今は違う。
これは純粋な「怒り」だ。
平和に暮らしていた人々の日常を土足で踏みにじり、それを愉悦とし、さらなる犠牲を産もうとする絶対悪への、底知れぬ憎悪。
「無視をするなァァァ!!」
デーモンロードが激昂し、両手の間に巨大な闇の球体を生成した。
空間が歪むほどの、高密度の破壊エネルギーだ。
「許さないぞ! 貴様ら! 塵一つ残さず消し去ってやる!!」
「……許さない、か」
太郎がポツリと、氷のように冷たい声で呟いた。
ゆっくりと『雷霆』を構える。
主の異常な心拍と魔力に呼応するように、伝説の弓がギリギリと悲鳴のような軋みを上げた。
『……警告……主の感情値、限界突破……セーフティー、強制解除』
雷霆の神聖な装飾が変形し、普段の清浄な青白い光ではなく、禍々しいほどの赤黒いスパークを放ち始める。
つがえられた矢に、太郎の激情が濁流となって注ぎ込まれる。
矢は赤熱し、やがてドス黒いオーラを纏って紅黒に輝き始めた。
「死ねぇぇぇぇぇッ!!」
デーモンロードが腕を振り抜く。
巨大な闇のエネルギー波が、全てを飲み込む濁流となって太郎とヒブネに迫る。
ヒブネが絶望の悲鳴を上げかけた、その時。
「許さないのは……こっちだッ!!」
太郎の咆哮と共に、弦が放たれた。
ズガァァァァァァァンッ!!
放たれた矢は、もはや矢の形をしていなかった。
それは、主の怒りを具現化した、巨大な紅黒い龍へと姿を変えた。
その顎は、悪を完全に食らい尽くす絶望の形。
紅黒の龍は、迫りくる闇のエネルギー波に正面から突っ込んだ。
衝突の衝撃すら起きなかった。
龍はデーモンロードの渾身の魔法ごと、その巨大な口で飲み込み、咀嚼し、さらに魔力を増幅させて加速した。
「な、なにッ……!?」
デーモンロードが、今日一番の大きさで目を見開く。
自らの最強の攻撃が一瞬で食い破られ、目の前に紅黒い絶望が迫っている。
防ぐことも、逃げることも不可能。
「バ、バカナァァァァァァ!!」
紅黒の龍はデーモンロードの巨体を頭から一呑みに貫き、その背後にある地下空間の分厚い岩盤ごと深く穿った。
一瞬、完全な静寂が訪れる。
そして――。
ドゴォォォォォォォォォォォンッッ!!!
地下要塞全体、いや、地上の街までを激しく揺るがす大爆発が起きた。
デーモンロードの体は細胞の一片すら残らず完全に消滅し、業火の爆炎の中に消えた。
あまりの威力に天井の岩盤が崩れかけ、パラパラと瓦礫が落ちてくる。
爆風と土煙がゆっくりと収まると、そこには深く抉れた黒焦げのクレーターと、弓を下ろして静かに息を吐く太郎の姿だけがあった。
圧倒的な暴力。
慈悲なき鉄槌。
それが、普段は温厚なパパを本気で怒らせてはいけない男、佐藤太郎の真の力だった。
「た、太郎様……」
腰を抜かしていたヒブネが、震える声で彼を見る。
太郎はゆっくりと振り返り、いつもの優しく、少し間抜けな笑顔に戻って言った。
「お待たせ、ヒブネ。さぁ、皆を助けて、早く家に帰ろう。陽奈と月丸が起きる前にね」




