EP 2
新大陸の洗礼と、銀槍のエルフ
ボートでの数日間の航海の末、僕たちは無事にサバラー大陸の港町「ガル」へと上陸した。
ここは、マンルシア大陸の洗練された街並みとは違い、むせ返るような潮の香りと、荒々しい熱気に満ちた「冒険者の街」だった。
街を歩くのは、筋肉隆々の戦士たちや、鋭い牙を持つ獣人など、いかにも血の気の多そうな荒くれ者ばかりだ。
「お、おい……。本当に名前を書くだけでいいのかな」
僕たちは早速、冒険者ギルドへと足を運んだ。
僕は緊張で手を震わせながら、登録用紙をカウンターへ提出した。もしここで「貴様、さてはマンルシアの太郎国王だな!」と顔バレしたら、その瞬間に僕の逃亡スローライフは終了してしまう。
「はいはい、佐藤太郎さんですね。職業は……『商人兼見習い冒険者』と。はい、登録完了だ。この大陸じゃ死なないように頑張んなよ、おっさん」
ギルドの受付係である傷顔の強面のお兄さんは、事務的にスタンプをバンッと押し、一番下のランクを示す『鉄のプレート』を僕に投げ渡した。
「……っ!!」
僕は鉄のプレートを両手で握りしめ、心の中で渾身のガッツポーズを決めた。
バレてない! 僕の顔を知らない!
国王でも、英雄でもない。僕は今、ただの無名のおっさんだ!!
「良かった……。ここなら大丈夫だ。僕はただの『佐藤太郎』だ!」
「本当に良かったですぅ。これでやっと、静かな冒険ができますわね」
サリーもほっと胸を撫で下ろし、ライザも優しく微笑んでいる。
「さて、記念すべき最初の依頼は何にしましょうか? まずは手頃な『薬草採取』あたりで、その辺の森をピクニック気分で散策しますか?」
ライザが依頼掲示板を見上げようとした、その時だった。
「よぉよぉ。ここらじゃ見かけない顔だな?」
ドカッ、と僕の肩が強引に突き飛ばされた。
振り返ると、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべた3人組の柄の悪い冒険者が立っていた。
「へへっ、すげぇ別嬪なねぇちゃん達だなぁ! 露出も多くて最高だぜ。こんな貧相なおっさんと一緒じゃ勿体ないだろ?」
「そんな男と一緒に居ないでよぉ……。こっちで俺達と美味い酒を飲もうぜ? 悪いようにはしねぇからよ」
彼らは僕を完全に無視し、サリーとライザの肩に馴れ馴れしく手を伸ばしてきた。
新入りに対する、典型的な絡み方だ。
しかし――彼らは、相手が悪すぎた。
「…………あら?」
サリーのこめかみに、ピキリと青筋が浮かんだ。
ライザの右手が、スッと腰の長剣の柄に伸びる。
(ぶっ殺していいですか、太郎様? 首と胴体をサクッと分けますわ)
(チリ一つ残さず、ギルドごと消し炭にしますわよ?)
二人の背後から、一般人には見えないが、僕にはハッキリと見えるドス黒い『闘気』と『魔力』が立ち昇っていた。
まずい。ここで彼女たちがキレたら、ギルドどころか街の半分が消滅し、新大陸に着いて5分でまた「伝説」を作ってしまう!
「ま、待って! 二人とも落ち着いて! 目立つのは嫌だ! 穏便に、穏便に!」
僕が滝のような冷や汗を流し、必死に妻たちの絶対的な暴力をなだめようとした、その時だった。
「――そこの方々、少しよろしいでしょうか?」
ギルドの喧騒を切り裂くような、凛とした涼やかな声が響いた。
人だかりを割って入ってきたのは、銀色の長髪をポニーテールに束ねた、美しいエルフの女性だった。
背中には、彼女の身の丈ほどの長さがある、装飾の施された白銀の槍を背負っている。
「そちらの方が困って居るようですが?」
「あぁん!? なんだ? てめぇは!」
絡んでいた男の一人が凄む。
「……無益な争いは好みません。ここは冒険者ギルドです。どうか、お引き取り願えないでしょうか」
「うるせぇ! エルフの女だと思って舐めてんじゃねぇぞ! やっちまえ!」
男たちが激昂し、短剣を抜いてエルフの女性に飛びかかった。
僕が「危ない!」と叫ぼうとした瞬間。
ヒュンッ!!
鋭い風を切る音がした。
エルフの女性が、背中の槍を瞬時に抜き放ち、一閃させたのだ。
それは刃で斬りつけるのではなく、石突き(柄の端)による正確無比な『打撃』だった。
「ぐはっ!?」
「うげぇッ!」
「は、速ぇ……!」
三人の男たちは、一瞬にして鳩尾や顎を打ち抜かれ、白目を剥いて床に転がっていた。
あまりにも鮮やかな槍さばきに、ギルド内が静まり返る。
「く、くそぉ! 覚えてろよ!」
男たちはフラフラと立ち上がると、捨て台詞を吐いて転がるように逃げ出していった。
「ふぅ……全く。野蛮な方々ですね」
エルフの女性は、ふわりと銀の髪を払うと、槍を背中に戻して僕たちに向き直った。
「大丈夫でしたか? お怪我はありませんか?」
僕は心底安堵した。怪我がなくてよかったのは、逃げていった男たちと、この街の平和の方だが。
「ありがとうございます! 助かりました。僕は太郎です。こっちは家内のサリーとライザです」
「私はヒブネと言います。武者修行をしている、流れの槍使いです」
ヒブネは真面目そうな顔で、礼儀正しく一礼した。
「いやぁ、本当に凄い槍さばきでした。おかげで大惨事(街の消滅)にならずに済みましたよ」
僕は深々と頭を下げ、提案した。
「良かったら、お礼にお酒を交わしませんか? 美味しいおつまみもご馳走しますよ」
「お礼など……。でも、そうですね。ちょうど喉も渇きましたし」
ヒブネは少し迷ったが、僕の無害そうな(平凡な)笑顔を見て、小さく頷いた。
「えぇ、是非。ご一緒させてください」
こうして、元・国王一行は、新大陸で最初のアテンド役となる義理堅いエルフ・ヒブネと杯を交わすことになった。
彼女の常識が、僕の『100均おつまみ』によって木端微塵に砕け散るのは、この直後のことである。




