EP 29
科学と魔法の融合、サリー先生の熱血授業
城下町でガンダフたちドワーフの職人集団が『アルクス・スーパー銭湯』の建設工事に向け、活気ある槌音を響かせていた頃。
僕たちの拠点であるアルクス城の一室では、別の意味で熱く、そして世界を揺るがす「改革」が始まろうとしていた。
リビングの巨大なオーク材のテーブルには、僕が『書籍・実用書』カテゴリから取り出した数冊の本が山積みになっている。
『中高生からやり直す! よくわかる物理・化学』
『フルカラー 人体の仕組み図鑑』
『一家に一冊 家庭の医学』
『一発合格! 危険物取扱者乙種4類テキスト』
サリーは、それらの本(いずれも100P=100円)を鬼気迫る表情で読み漁っていた。
「成る程……。物が燃える『燃焼の三要素』は、可燃物、酸素、点火源……。炎を大きくするには、ただやみくもに魔力を増やすのではなく、この『酸素供給量』をイメージすれば……」
ブツブツと独り言を言いながら、彼女のページをめくる手が止まらない。
「成る程成る程……! 人体の血管の構造はこうなっていて、細胞の修復プロセスは……えっ、白血球ってこんな働きを!?」
「よく読めるなぁ、サリーは。僕には字が細かくて、難しくってさっぱり分からないや」
僕は淹れたてのコーヒー(インスタント)を差し入れながら苦笑した。
これらは現代日本の知識の結晶だ。僕にとっては「学校の授業で習ったけど、テストが終わったら全部忘れたこと」だが、ファンタジー世界の住人である彼女にとっては、まさに「神の叡智」に等しいらしい。
「いえ! 面白い! 面白すぎますわ! 太郎様!」
サリーがバッと顔を上げた。その瞳は、新しいオモチャを与えられた子供のように、あるいは真理に触れた賢者のようにギンギンに輝いている。
「世界の仕組みが分かって、魔法の解像度が段違いに上がります! なぜ火が燃えるのか、なぜ傷が治るのか。その『理屈』を知れば、魔法を行使する際の魔力効率が何倍、いえ何十倍にもなるんです!」
「そ、そうか。あんまり無理しないでね。頑張って」
僕は妻の尋常ではない熱意に圧倒されつつも、応援することにした。
……しかし、それからが凄かった。
サリーは本当に三日三晩、寝食を忘れて没頭したのだ。
「ほら、ご飯だよ」と僕がサンドイッチを作って口に運んであげないと食べないほどの凄まじい集中力で、彼女は現代科学の基礎知識を、その優秀な脳内に叩き込んでいった。
そして四日目の朝。
目の下に少しクマを作りつつも、達成感に満ちた笑顔のサリーが、僕の手をグイッと引いた。
「太郎様! 太郎様! 魔法鍛錬所へ来てください! 見てて下さいね!」
連れてこられたのは、城の裏手にある騎士団の訓練広場だ。
そこには、大剣の打ち込み練習に使われる、頑丈な鉄製の訓練用カカシが設置されていた。
サリーは杖を構えた。
だが、以前のような、ただ膨大な魔力を放出するだけの力任せの構えではない。
風の流れ、大気中の酸素濃度、熱量の収束――その全てを緻密に計算に入れた、洗練された構えだ。
「行きます……」
サリーが詠唱を始める。
「大気に満ちる酸素よ、我が魔力を燃料とし、螺旋を描いて収束せよ! 『フレイム・ストーム』!!」
ボォッ!!
放たれたのは、ただの火の玉ではなかった。
中心に強烈な上昇気流を発生させ、周囲の酸素を強制的に巻き込んで燃え上がる、圧倒的な「炎の竜巻」だ。
ゴーォォォォォォォッ!!
まるで最新鋭のジェットエンジンが火を噴いたような凄まじい轟音と共に、極限まで温度を高められた炎がカカシを包み込む。
直後、鉄の塊であったはずのカカシが、一瞬にして赤熱し、飴細工のようにドロドロに溶け落ちてしまった。
「す、凄いよ! サリー!」
僕は思わず腰を抜かしそうになった。
以前彼女が使っていた魔法より、威力も温度も桁違いだ。しかも、放出された魔力量自体は以前の半分以下に見える。
「やりました……!」
サリーは荒い息を吐きながら、嬉しそうにガッツポーズをした。
「太郎様の本を読んだら、イメージが明確になったんです! 『燃える』という現象の理屈を理解したことで、無駄な魔力消費がなくなり、威力が劇的に跳ね上がりました!」
彼女は興奮冷めやらぬ様子で、僕の胸に飛び込んできた。
「太郎様! このノウハウを、城の魔法兵さんや僧侶兵さんに教えたら、きっと皆もっともっと強くなれます! 血管や神経の位置も知らずにただヒールをかけるより、解剖図の知識があったほうが絶対に傷の治りが早いですから!」
「そ、そうなのか。サリーがそう言うなら間違いないね」
「はい! 直ちにカリキュラムを組みます!」
その日の午後。
アルクス城の中庭で、「サリー先生の特別授業」が幕を開けた。
「いいですか! 皆さん! 炎を出す時に、ただ『熱くなれ!』と念じるだけでは二流です!」
サリーは黒板(これも僕が100均スキルで出した)に、白いチョークで化学式と人体図をカツカツと描き殴っていた。
「そこに『酸素』という、燃える手助けをする空気を送り込むイメージを持つのです! そして回復魔法班! 骨折を治す時は、ただ光を当てるのではなく『骨芽細胞の活性化』を明確に意識してください!」
「さ、さんそ……?」
「こつがさいぼう……?」
最初はポカンとしていた城の魔法兵や僧侶兵たちだったが、サリーの指導通りにイメージを変えて魔法を行使してみると、その効果に全員の顔色が変わった。
「す、すげぇ! ほんの少しの魔力で、大火球が出たぞ!」
「傷の塞がり方が異常に早い! なんだこの的確な回復は! これが『科学』の力か!?」
「そうです! これぞ勇者太郎様がもたらした叡智の結晶! さぁ、次は原子構造について学びますよ!」
鼻息を荒くして教鞭を振るうサリーと、それに熱狂して必死にノート(これも僕が出した)を取る兵士たち。
僕はその様子を少し離れたテラスから眺め、ポツリと呟いた。
「……なんか、アルクスがとんでもない軍事大国になっちゃいそうだなぁ」
100円ショップの学習参考書一冊が、異世界の軍事バランスを根底から崩壊させかねない瞬間だった。
しかし、これで街の防衛力が底上げされるなら、領主としては万々歳だ。
「よし、僕は平和に畑の水やりでもしてこよう」
最強の魔法軍団の誕生を妻に任せ、僕はジョウロを片手に、サツマイモ畑へと向かうのだった。




