EP 2
王宮からの使者、執事マルスの涙(と欲望)
「タロウ・カレー」の衝撃は、文字通り一晩にしてアルクス全土を駆け巡った。
今や街の食堂という食堂が、見よう見まねでカレーライスらしきものを提供し始めていた。もちろん、僕が100円ショップのスキルで出した「本物のルー」と「日本の白米」には遠く及ばないが、それでも「辛くて旨い」という新感覚の料理は、瞬く間に人々の舌を虜にしていた。
数日後。冒険者ギルドの併設食堂にて。
ここでも、昼時のメニューは僕が特別に作ったカレー一色になっていた。
「ガハハハ! いやぁ、太郎! このカレーってのは何度食っても本当に旨いな!」
ギルド長のヴォルフが、大盛りのカレーを豪快にかき込んでいる。スプーンが皿に当たるカチャカチャという音が小気味よい。
「このビリビリくるスパイスが、エールの苦味と最高に合う! 汗をかきながらガツガツ食うのがまた堪らねぇ!」
「良かったです、ヴォルフさん。気に入ってもらえて」
僕は苦笑いしながら、自分のコップの水を飲んだ。
ただ自分が食べたかっただけで作った日本の国民食が、まさかここまで異世界でバズるとは思っていなかった。
その時だった。
ガシャン、ガシャン、と重厚な金属音が響き、ギルドの両開きの扉が静かに開かれた。
入ってきたのは、煌びやかな銀の鎧に身を包んだ一団――デルン王国の誇る、王宮騎士団だ。
その中央に、上質な燕尾服を着た初老の男が一人、恭しく立っていた。
「……!」
ギルド内の空気が一瞬で凍りついた。
普段は威勢のいい荒くれ者の冒険者たちも、正規軍のエリート集団、しかも王宮からの直属部隊を前にしては完全に口をつぐんでしまう。
「失礼致します」
燕尾服の男――執事のマルスが進み出た。洗練された所作で、静まり返ったギルド内を見渡す。
「私、デルン王国のバゴール王にお仕えする筆頭執事、マルスと申します。……佐藤太郎様はいらっしゃいますか?」
指名された僕は、飲んでいた水を危うく吹き出しそうになった。
「えっ!? ゲホッ……は、はい、僕ですけど……」
おずおずと手を挙げる僕に、マルスはツカツカと歩み寄り、深々と、それはもう見事な角度で頭を下げた。
「お初にお目にかかります、グリフィンを討ち取られし英雄殿。此度は我が君、バゴール王より直接の勅命を預かって参りました」
「ちょ、勅命!?」
「はい。巷で噂の『カレーライス』なる至高の料理に、王は大変な興味をお持ちなのです。是非とも王宮にて、太郎様直々にカレーライスを作って頂きたく、お迎えに参上した次第です」
マルスの言葉に、ギルド中がどよめいた。
一国の王様が、ただの冒険者である僕のカレーを食べたがっているというのだ。
「ええええ!? 王宮でカレーライスを作れって!?」
僕は椅子から転げ落ちそうになった。
冗談じゃない。相手は一国の王だ。もし「不味い」「口に合わん」なんて言われたら、不敬罪で即刻首が飛ぶかもしれない。
「いやいや、無理ですよ! 僕なんかただの冒険者ですし、滅相もないです! 王様の高貴な口に合うかどうかも分からないし……!」
僕は両手を顔の前でブンブンと振って全力で拒否した。
だが、マルスは食い下がった。いや、その表情は先程までの洗練された執事の顔ではなく、必死すぎて鬼気迫るものがあった。
「どうか、どうかお願い致します! 太郎様!」
マルスはなりふり構わず、僕の両手をガシッと握りしめた。
「王は一度言い出したら絶対に聞かないお方なのです! 『噂のカレーとやらを今すぐ食わせろ! さもなくば……』と、朝からひどくご機嫌斜めでして!」
「さ、さもなくば……?」
「太郎様を連れて帰れないと、私は間違いなくクビになります!」
「えぇ……」
さっきまでの威厳はどこへやら、マルスは完全に涙目になって訴えかけてきた。
「私には、故郷に年老いた母親が居まして……毎月の薬代がかかるのです! それに愛する妻や、まだ小さい子供も居るんです! もし私が失職したら、家族全員が路頭に迷うことに……!」
「そ、そんな事言われても……」
「それに……太郎様に来て貰わないと、お給料がなくなって、私が毎月通っている『キャバクラ』に行けなくなってしまうのです! 私は、私はぁぁッ!!」
「……はい?」
僕の思考がピタッと止まった。
「キャ、キャバクラって……。えっと……か、可愛い娘、居るんですか?」
僕が思わず前のめりになって尋ねると、マルスは涙を流しながらも鼻息を荒くして熱弁した。
「えぇ!! 猫耳族や兎耳族の極上な娘たちが居まして! 『ご主人様♡ おかえりなさいニャ♡』と言われれば、日々の執事の疲れも一瞬で吹き飛ぶのです!!」
「ね、猫耳に兎耳……!」
僕の脳内に、男のロマンが爆発的な勢いで広がっていく。
異世界に来てからずっと命がけの戦いばかりだった。そんな夢のようなオアシスが、このアルクスの街にあるなんて……!
「今度、僕にも……紹介して……」
「太郎さん!!」
「太郎殿!!」
背後から、絶対零度のブリザードのような声が二つ重なった。
振り返ると、サリーとライザが般若のような笑顔で僕を見下ろしている。サリーの杖の先で火の粉がパチパチと弾け、ライザは無言で剣の柄に手をかけていた。
「!? い、いや! 違う違う! 違うんだ! 今のは異世界の風俗事情という文化的な調査の一環であって……!」
僕が冷や汗を滝のように流して弁明していると、横からヴォルフが僕の肩をガシッと抱き寄せ、小声で耳打ちした。
「(太郎、良いじゃないか。受けなさい)」
「(えっ? でも、もし王様を怒らせたら……)」
「(相手は王族だ。A級冒険者といえど、国の中枢とのパイプはあって絶対に損はない。……それに、上手くやればマルスからその『キャバクラ』とやらの特別優待チケットも引き出せるかもしれんぞ)」
ヴォルフは隻眼を細め、打算的かつスケベな笑みを浮かべた。
お前も行きたいんかい。
「うぅ……分かりましたよ。い、行きますよ! 作ればいいんでしょ、作れば!」
僕がやけくそ気味にそう言った瞬間。
マルスの顔がパァァッと、まるで後光が差したかのように明るくなった。
「おぉ! ありがとうございます、太郎様! 貴方様は本当に、噂通りの慈悲深い英雄だ!」
マルスは僕の手をブンブンと上下に振った。
「では、善は急げです! 既に外に馬車を用意しておりますので、直ちに王宮へ! 帰還の暁には、私が責任を持って『夜のアルクス』をご案内致しましょう!」
「えっ、今から!? いや、案内は嬉しいけど心の準備が!」
「さぁさぁ、こちらへ! 騎士団、英雄殿を丁重にご案内しろ!」
「太郎さん? 帰ってきたら、少しお話がありますからね?」
「太郎殿。騎士として、貴方の不純な思想は一度叩き直す必要がありそうですね」
「ひぃぃっ! ごめんなさい!」
怒気を孕んだ二人のヒロインと、キャバクラを救われて歓喜する執事。
そして、王家の紋章が入った豪華な馬車へと押し込まれる僕。
「行ってらっしゃーい! 王様のお土産と、例の店の情報、期待してるぞー!」
ヴォルフの能天気な声と、冒険者たちの笑い声に見送られながら。
僕たち「チーム・タロウ」は、カレーライスの材料(と、男の煩悩)を抱えたまま、デルン王国の心臓部――王宮へと向かうことになったのだった。




