第二章 黄金のスパイスと、天空の飛竜防衛戦
黄金の香り、カレーライス伝説の始まり
ルルカ村での激闘から数日後。
A級冒険者となり、金貨100枚という莫大な富を手に入れた僕たち「チーム・タロウ」は、アルクスの街で束の間の休息を満喫していた。
懐も温かく、宿屋の食事にも困らない。
しかし、そんな満たされた日々の中で、僕の心にはある一つの強烈な「飢え」が燻り始めていた。
(……食べたい)
異世界の肉入りシチューや、香ばしく焼かれたパンも確かに美味しい。だが、現代日本で育った僕のDNAに深く刻み込まれた、あの複雑なスパイスの刺激と、ふっくらと炊き上がった白米の甘みが、無性に恋しくなってしまったのだ。
(……カレーライスが、食べたいッ!!)
一度そう思ってしまうと、もう思考が止まらない。口の中が完全に「カレーの口」になってしまった。
僕は居ても立っても居られず、宿泊している『銀の月亭』の厨房へと直談判に向かった。
「おばちゃん! お願いがあるんだ! 厨房を貸して欲しい!」
「あん? 厨房を? うちは素人には貸さないよ……と言いたいところだけど、村を救った英雄さんの頼みじゃあ無下に断れないねぇ。昼の仕込みが始まるまでの間なら、勝手に使いな」
女将さんは渋々ながらも、厨房の隅を使わせてくれた。
エプロンを借りて厨房に立った僕は、周囲に誰もいないのを確認し、手早く準備を始めた。
空中のウィンドウを開き、『食品・生鮮』カテゴリから必要なものを次々と取り出していく。
今やポイント(P)の残高に怯える必要はない。魔狼やグリフィンの素材を換金したポイントが、文字通り腐るほどあるのだから。
【 無洗米(コシヒカリ・5kg):2000P 】
【 カレールー(中辛・10皿分):200P 】
【 真空パック野菜セット(じゃがいも・人参・玉ねぎ):300P 】
【 高級豚バラ肉ブロック:500P 】
「カ……レーライス? って何ですか?」
物珍しそうについてきたサリーが、僕が取り出した野菜や肉を不思議そうに眺めている。
「滅茶苦茶美味しい食べ物さ。僕の故郷の『国民食』と言ってもいい。まぁ見ててよ」
僕はまず、女将さんに借りた土鍋を使ってお米を炊き始めた。
この世界にも米のような穀物は存在するが、パサパサとした長粒種がほとんどだ。僕が出したのは、粘りと強い甘みを持つ最高級のジャポニカ米である。
研がずに済む無洗米を水に浸し、火にかける。
その間に、具材を一口大に切り、大きな鍋で炒め始めた。
ジュワァァァ……!
豚バラ肉の極上の脂が溶け出し、玉ねぎの甘い香りが厨房に立つ。
水を入れ、煮込むこと20分。具材が十分に柔らかくなったところで火を止め、例の「茶色い塊」をパキッと割って投入する。
「えっ、泥……?」
ルーが溶けていく様を見て、サリーが引いたような声を出す。だが、僕はニヤリと笑って木べらで鍋をかき混ぜた。
とろみがつき、再び弱火で煮込み始めた、その時だった。
ブワァァァン!!
強烈なスパイスの香りが、爆発的に厨房内へ広がった。
クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモン……。何十種類もの香辛料が複雑に絡み合ったその刺激臭は、この世界の単調な料理には絶対に存在しない「魔性の香り」だ。
「な、何これぇ!? 鼻がピリピリするけど……すっごく良い匂い! お腹が勝手に鳴っちゃう!」
「これがカレーの匂いさ」
同時に、土鍋からも湯気が上がり、炊きたてのコシヒカリの甘く優しい香りが漂い始める。
「よし、完成だ!」
僕は大きめの深皿に真っ白なご飯をよそい、その横にたっぷりとカレーをかけた。
白と茶色の美しいコントラスト。湯気と共に立ち上る黄金の香り。
「では、頂きます!」
「い、いただきます!」
食堂のテーブルに並べ、スプーンを持って構える三人。
サリーとライザは、その未知の食べ物に恐る恐る一口目を口に運んだ。
パクッ。
「…………!!」
二人の目が、カッ! と見開かれた。
「んん~~ッ!! 美味しすぎるぅぅ!!」
サリーが両手で頬を押さえて悶絶した。
「辛い! 辛いけど……甘い!? 野菜とお肉の旨味が信じられないくらい濃厚で、この『白いお米』のモチモチした食感と合わさると……飲み込んだ後、またすぐ食べたくなるの!」
「本当に美味しい! 信じられませんわ……!」
ライザもスプーンを動かす手が全く止まらない。普段の冷静な騎士の面影は消え去っていた。
「口の中が熱いのに、次の一口を求める本能が抑えきれません! この刺激、身体中の細胞が爆発的に活性化するような……まるで食べる魔法薬ですわ!」
「う~ん、この味だよ……。やっぱりカレーは最高だ」
僕も久しぶりの故郷の味に涙ぐみながら、自分の分を夢中でかき込んだ。
日本の食品メーカーが心血を注いだカレールーは、異世界の住人の舌をも、たった一撃で陥落させたのだ。
――その時だった。
「おい! なんだこの匂いは!!」
「たまらん! 腹が減って死にそうだ! メニューにあるなら俺にもくれ!」
ドヤドヤと、宿屋の二階から宿泊客や、匂いに釣られた外の通行人、果てはパトロール中の衛兵までもが食堂になだれ込んできたのだ。
彼らの目は血走り、犬のように鼻をヒクヒクさせている。
「あぁ、え~っと……匂いが漏れちゃいましたね。お鍋いっぱい作ったんで、良かったら皆さんにもお裾分けしますよ」
僕が大鍋を指差すと、客たちは猛獣のように群がった。
驚いた女将さんが慌てて皿を用意し、次々とカレーが振る舞われていく。
「うめぇぇぇぇ!! なんだこの食い物は!!」
「辛ぇ! でも止まらねぇ!」
「肉の脂とスパイスが最高だ! 酒だ! エールを持ってこい!」
食堂は阿鼻叫喚、いや、歓喜の渦に包まれた。
汗をかきながら無心でカレーを貪る冒険者たち。
お代わりを要求してカウンターを叩く商人。
必死に僕からレシピを聞き出そうとする女将さん。
たった一杯の料理が、アルクスの人々の胃袋を鷲掴みにした瞬間だった。
後に「アルクスの名物」として語り継がれることになる『タロウ・カレー』の伝説は、こうして爆発的な熱狂と共に幕を開けたのである。




