EP 12
修羅場のアップルジュース
「はぁ……はぁ……もう、腕が上がらない……」
翌日の昼下がり。
午前中からぶっ通しで行われた弓の特訓により、太郎は草原に大の字になって倒れ込んでいた。
「ふふ、お疲れ様です。でも、昨日より格段に様になってきましたよ」
指導役のライザは、汗一つかいていない涼しい顔で微笑んでいる。さすがはギルド長が太鼓判を押す実力者、基礎体力が桁違いだ。
「少し休憩にしましょう。サリーも、あっちの岩場で魔法の練習に夢中のようですし」
ライザの視線の先では、サリーが杖を振り回しながら「えいっ! そぉい!」と気合を入れているのが見える。どうやら初級攻撃魔法の習得も大詰めのようだ。
「……喉が渇いたな」
太郎は乾ききった喉を潤すため、寝転がったままウィンドウを開いた。
『食品・飲料』カテゴリから、冷たくて甘い飲み物を探す。水筒の水はすっかりぬるくなってしまっているのだ。
「おっ、これなんか最高じゃないか」
【 果汁100%アップルジュース(1L紙パック):100P 】
【 レジャー用 紙コップ(20個入り):100P 】
[購入しますか? YES]
「出ろ……っと」
太郎の横の草むらに、水滴がびっしりとついた四角い紙パックと、ビニールに包まれた紙コップが現れる。
「た、太郎さん? それは一体……? 何やら冷気を放っていますが……」
「ん? ああ、冷たい飲み物だよ。林檎のジュースさ」
太郎は身体を起こし、紙コップにトクトクと黄金色の液体を注いだ。
そして一気に喉に流し込む。
「んぐ、んぐ、んぐ……ぷはぁっ!! 沁みるぅぅぅ!!」
冷たさと、濃縮還元された林檎の濃厚な甘みが、疲労しきった筋肉と脳に一気に染み渡る。まさに命の水だ。
「ライザも飲むかい? 疲れた時は甘いものが一番だよ」
「えっ? は、はい。では、お言葉に甘えて……」
太郎は新しい紙コップにジュースをなみなみと注ぎ、ライザに手渡した。
この世界のアナステシアにも果実を絞った飲み物はある。しかし、品種改良されていない野生の果実は酸味が強烈で、甘くするには超高級品の蜂蜜や砂糖を大量に混ぜる必要がある。ましてや、氷魔法でも使わない限り「キンキンに冷えた状態」で野外で飲むことなど不可能に近い。
ライザは不思議そうな顔で、四角い氷結魔法の箱(紙パック)から注がれた、その黄金の液体に口をつけた。
こくり。
その瞬間。
「――っ!?」
ライザの瞳孔がカッと見開き、肩がビクッと震えた。
彼女は信じられないものを見るような目で紙コップを見つめ、そして、残りのジュースを一気に飲み干したのだ。
「ごくっ、ごくっ……ぷはぁっ!!」
「お、おいしい?」
「美味しい……! 美味しいです!! なんですかこれは!?」
普段のクールで凛々しい女騎士の顔はどこへやら、ライザは目をキラキラと輝かせて太郎に詰め寄った。
「酸味が全くない……果実の蜜の一番甘い部分だけを凝縮したような……それにこの冷たさ! 砂漠でオアシスを見つけたような心地ですわ! もう一杯! もう一杯頂けますか!?」
「あ、うん。はいどうぞ」
トクトクと注がれた二杯目も、ライザは一瞬で飲み干した。
現代の「果汁100%ジュース」が持つ暴力的なまでの糖分と甘味、そして冷たさが、彼女の脳内に凄まじい幸福物質を分泌させたのだ。
「ああ……生き返ります……! 太郎さん、貴方という人は……本当に、次から次へと素晴らしいものを……!」
感動のあまり限界を突破したライザは、感極まって太郎の首に両腕を回し、ガバッ! と強く抱きついてしまった。
「わっ!? ら、ライザさん!?」
突然のハグ。
革鎧越しでも伝わる温かな体温と、柔らかな感触。そして、昨晩100均のシャンプーで洗ったばかりの、フローラルの甘い香りが太郎の鼻腔をくすぐる。
「あ……」
数秒後、我に返ったライザは、自分が「護衛対象の男性に興奮して抱きついている」という事実に気づき、弾かれたように飛び退いた。
「す、すみません!! あまりの美味しさに、嬉しくてつい我を忘れて……!!」
彼女の顔は、先ほど飲んだアップルジュースよりも真っ赤に染まっている。両手で顔を覆い、耳まで真っ赤だ。
「い、いや、いいんだ。喜んでくれて嬉しいっていうか、えっと……すごく良い匂いがしたし……」
「よ、良い匂い!? そそそ、そんな……!」
太郎も顔を赤くして視線を泳がせ、ライザも恥ずかしさでパニックになっている。
気まずくも、甘酸っぱいラブコメのような空気が二人の間に流れた。
――その時だった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛!? 人が居ない間に何イチャイチャしてるのぉぉぉ!?」
背後から、地獄の底から響くような怨嗟の声が聞こえた。
二人がビクッとして振り返ると、分厚い魔導書を抱えたサリーが、般若のような形相で立ち尽くしていた。
「サ、サリー! 違うの! これは誤解で……!」
ライザが慌てて両手を振って否定する。
「誤解だよサリー! ただジュースを飲んでて、ちょっと感動しただけで……!」
「嘘つきぃ!! さっきガッツリ抱き合ってたの見たもん! 私が太郎さんを守るために、必死に難しい攻撃魔法を覚えてきたのにぃぃ!!」
サリーの瞳に涙が浮かび、彼女が握りしめる杖の先端から、パチパチパチッ! と不穏な火花が散り始めた。
「火の神よ……かの浮気者どもを焼き尽くせ……!」
「さ、サリー!? 詠唱!? 詠唱入ってるから!!」
どうやら、岩場での特訓は見事に成功したらしい。
杖の先には、メロンほどの大きさの『火球』が恐ろしい熱を放って生み出されていた。
「もう知らない! 太郎さんの馬鹿ぁぁぁ!!」
「ジュース!! ジュースあげるから!! りんごジュース!!」
火球が放たれる寸前、太郎は電光石火の速さで新しい紙コップに冷たいジュースをなみなみと注ぎ、涙目のサリーの口元にグイッと差し出した。
「の、飲まないもん! そんなもので誤魔化され……」
「いいから一口! ほら!」
強引に口元に当てられ、サリーは反射的にジュースをコクンと飲み込んだ。
「…………あっ」
冷たくて、とろけるほど甘い黄金の液体。
サリーの怒りに満ちた般若の顔が、一瞬にしてぽやぁ〜っとした至福の表情へと溶けていく。
「あま〜い……♡ なにこれ、すっごく美味しい……」
杖の先に浮かんでいた火球が、シュゥゥ……と情けない音を立てて消滅した。
「美味しいでしょ? いっぱいあるから、喧嘩しないでみんなで飲もう。ね?」
「……美味しい。……でも、まだ怒ってるんだからね! 私にもハグしてくれないと許さないんだから!」
紙コップを両手で持ちながら、ぷくっと頬を膨らませて拗ねるサリー。
その横で、「ギルドの威厳が……私の騎士としての誇りが……」と赤面して蹲るライザ。
(……このパーティー、魔物と戦う前に内部崩壊しないだろうな?)
100均のアップルジュースが引き起こした凄まじい修羅場に冷や汗をかきながら、太郎は二人の機嫌取りに奔走するハメになるのだった。




