EP 22
王の苦悩と、騎士たちの白い歯作戦
「頭皮戦線」の歴史的勝利により、城内の男性職員のフサフサ率が劇的に向上し、活気に満ち溢れていたある日のこと。
国王太郎は、執務室のソファで再び、人知れず新たな悩みを抱えていた。
「太郎様、こちらの決裁書類ですが、隣国との関税について……」
宰相マルスが、熱心に書類の説明をしてくれている。
彼の頭髪は以前より若々しく、フワリと立ち上がりツヤツヤだ。表情にも自信が満ち溢れている。
しかし、彼が身を乗り出して熱弁を振るうたびに、太郎は必死に呼吸を止める特訓を強いられていた。
(……く、臭いッ!)
太郎は心の中で絶叫した。
マルスの口から、ドブの泥と腐った玉ねぎをコトコト煮込んだような、強烈なニオイが漂ってくるのだ。
連日の激務による疲労、眠気覚ましのブラックコーヒー、甘いお菓子の間食、そしてストレス。それらが胃腸を荒らし、歯周病菌がマルスの口内で悪魔の狂宴を開いているに違いない。
(しかし……如何に王と言えど、「君、息がドブ臭いね?」なんて真正面から言えるわけが無い!)
ハゲの指摘がパワハラなら、口臭の指摘はスメルハラスメントだ。
国のために粉骨砕身働くマルスの、繊細な心を折るわけにはいかない。
(どうしたものか……。まずは基本中の基本、歯磨きだよな……)
この世界にも「歯を綺麗にする」という習慣はあるが、食後に木の枝を噛んだり、粗塩を指ですり込んだりする程度で、殺菌力や消臭力は皆無に等しい。
太郎は意を決した。
「マルス、ちょっといいかな?」
「はっ! 何か書類に不備がございましたか!?」
マルスがハァハァと荒い息を吐きながら顔を近づけてくる。
太郎はさり気なく背もたれに仰け反りつつ、空中にウィンドウを開いた。
「いや、いつも身を粉にして頑張ってくれている君に、健康管理の一環としてプレゼントだ」
太郎が取り出したのは、100円ショップの衛生用品コーナーに陳列されている『薬用歯磨き粉』と、『極細毛歯ブラシ』のセットだ。
「そ、それは?」
「最新の魔道具さ。中に入っているペーストには、CPC(塩化セチルピリジニウム)やIPMP、それにフッ素が高濃度で配合されているんだ」
「しーぴー……? ふっそ……?」
マルスが目を白黒させる。
「要するに、口の中の悪いバイ菌を全滅させて、歯を丈夫にする魔法の薬だよ。これをあげようと思ってね。毛先の細いブラシに乗せて、歯と歯茎の間を優しく磨くんだ」
「は、はぁ。それは大変嬉しい事ですが……何故急に?」
マルスは不思議そうだ。まさか自分の息が殺人級の兵器になっているとは夢にも思っていない。
「ん? 日頃から君に世話になってるからね。虫歯や歯周病になって倒れられたら、僕がまた書類仕事をやらないといけなくなるだろう? その予防だよ」
「おお……! 太郎様……私の健康まで、そこまで深く気遣ってくださるとは……!」
マルスは感動し、目頭を押さえた。
「ありがとうございます! 早速、毎食後に必ず使わせていただきます!」
マルスは歯磨きセットを大事そうに胸に抱え、執務室を出て行った。
去り際に「失礼します!」と一礼した時も、強烈な臭気の風が吹いたが、これが最後だと思えば耐えられた。
「うん……これで平和になる筈だ」
太郎は慌てて窓を全開にし、新鮮な空気を深く吸い込んだ。
――それから数週間後。
城の廊下や食堂で、騎士たちが再びヒソヒソと熱を帯びた噂話をしていた。
「おい、気づいたか? マルス様の息」
「あぁ! 以前は近づくだけで鼻が曲がりそうだったのに、今は……」
「なんていうか、爽やかなミントとハーブの香りがするよな!?」
「会議で隣に座っても、まるで高原の爽やかな風が吹いているようだったぞ!」
その劇的な変化に、一番敏感に反応したのは、やはり家庭を持つ既婚者や、恋人のいる騎士たちだった。
「いいなぁ……。俺なんて昨日、嫁さんから『息が臭いから寝室では向こう向いて寝て』って言われたんだぞ……」
「俺もだ。愛娘に『パパのお口、お魚さんの腐った匂いがする! 近寄らないで!』って泣かれた。死にたい」
「何でも、太郎様から賜った品に秘密が有るとか……」
育毛トニックの時と全く同じパターンである。
騎士たちは、家庭内での人権を取り戻すため、藁にもすがる思いで立ち上がった。
ある日の午後、太郎が中庭で昼寝をしようとしていると、ドカドカと重武装した男たちが押し寄せてきた。
「太郎様ァァァ!!」
「うわっ!? 今度はなんだ!?」
騎士たちは一斉に土下座した。
そして、涙ながらに口を大きく開けた(当然、息が臭い)。
「私達にも! どうか、マルス様のような『口臭が爽やかな風になる魔法の薬』をお恵みください!!」
「切実なんです! 妻との夜のキスが、ここ数年ずっと拒否されているのです!」
「娘に嫌われたくありません! どうか慈悲を!!」
青空の下に充満する、おっさん達の悲しき口臭。
太郎は鼻をつまみながらも、彼らの悲痛な叫びに深く頷いた。
「そうか……君達はそんなに悩んでいたのか……」
男の悩みは、いつの時代も、どの世界でも変わらない。
髪の毛と、ニオイ。この二つさえ解決すれば、男は自信を取り戻し、家庭は円満になるのだ。
「分かった! 僕は君達の味方だ! キスでもハグでも、愛する家族と存分に出来るようにしてやる!」
太郎は高らかに宣言し、スキルを発動。
『薬用歯磨き粉』×1000本
『歯ブラシ(かため・ふつう・やわらかめ)』×1000本 購入。
「好みの硬さのブラシを持っていけぇぇぇ!!」
「「「太郎様ああああああ!!!」」」
歓喜の雄叫びと共に、騎士たちは歯磨き粉の山に群がった。
こうして、太郎国で「歯磨き粉の大量配布」が始まった。
翌日から、城内の水場や井戸の周りでは、朝昼晩と一列に並んで「シャカシャカシャカ……」と真剣な顔で歯を磨く屈強な騎士たちの姿が、城の新たな名物となった。
太郎国の騎士団は、「世界一髪がフサフサで、世界一息が爽やかな騎士団」として、その名を諸外国に轟かせることになる。
彼らの家庭円満率が爆上がりし、士気がかつてないほど高まったのは言うまでもない。
しかし、この「歯磨き革命」が、妻であるサリーとライザの鋭い美意識に火をつけ、太郎が新たなピンチに陥ることになるとは、まだ誰も予想していなかったのである。




