第5話:サバイバル・キル
銀狼族には、十歳で行われる「成人の儀」がある。だが、その数年前から仔狼たちの間には、暗黙の序列争いが始まる。
「おい、牙無し。今日はお前に特別な『教育』をしてやる」
広場の隅、バランがニヤついた顔で俺を見下ろしていた。背後には、彼に媚を売る数匹の仔狼たちが、獲物を囲むハイエナのように立っている。
「……教育、ですか?」
俺は拾い集めていた骨屑の手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
バランの狙いは明白だ。先日のアイアン・ボアの一件。公式にはガザックの手柄となったが、現場にいたバランは気づいている。自分の窮地を救ったのが、ゴミのように扱っていた「牙無し」だったことに。
それは彼にとって、死よりも屈辱的な事実だった。
「集落の北にある『嘆きの谷』まで遠征に行く。お前は荷物持ちだ。……まさか、逃げるなんて言わないよな?」
嘆きの谷。そこは成体の戦士でも一人では近づかない、迷宮の「未開域」だ。
毒素を含んだ霧が立ち込め、凶悪な食人植物や、地中に潜む暗殺者がうごめく地獄。
(……排除作戦か。それとも、不慮の事故を装った暗殺か)
俺の脳内では瞬時にリスクを計算される。
拒否は可能だ。だが、それではバランの敵意はさらに陰湿になり、いずれミーナにも被害が及ぶかもしれない。
「了解しました。……訓練の一環として、お供します」
俺の冷淡な返答に、バランは一瞬だけ気圧されたような顔をしたが、すぐに鼻を鳴らして笑った。
「決まりだ。精々、泣いて逃げ出すなよ」
「嘆きの谷」のAO(作戦エリア)に入った瞬間、空気が重くなった。
ねっとりと肌にまとわりつく高湿度の霧。視界は10メートル先も見えない。
バランたちは、自慢の嗅覚と聴覚を頼りに、傲慢な足取りで進んでいく。
(……素人め。音を立てすぎだ。風下を意識していない。これでは『食べてください』と言っているようなものだ)
俺は背嚢(自作の背負い籠)を背負い、フェンを影に潜ませながら、最後尾を歩いた。
俺の手には、杖に見せかけた一本の硬木がある。その中には、黒曜石の鋭利な刃が仕込まれている。
「おい、牙無し! 遅いぞ、さっさと歩け!」
バランが苛立ち紛れに声を荒らげた、その時だった。
――ピチャリ。
頭上から、粘り気のある液体がバランの肩に落ちた。
「……あ? なんだこれ」
バランが不快そうにそれを見上げた瞬間、俺の視界の中で、周囲の「背景」が歪んだ。
(……コンタクト! 上方12時!)
「全員、伏せろッ!!」
俺の怒声が響くのと同時に、霧の中から巨大な「影」が音もなく降りてきた。
それは、岩肌に擬態していた「大鎌蜘蛛」だった。体長3メートル。鋼鉄をも両断する鎌状の前肢を持つ、森林の処刑人。
「ギチギチギチッ!!」
「なっ……!? があぁっ!!」
反応が遅れたバランの取り巻きの一人が、一瞬で蜘蛛の糸に絡め取られ、頭上へと吊り上げられた。
バランは恐怖で硬直している。牙を剥くことすら忘れ、ただ震えていた。
「バラン、動くな! 右へ跳べ!」
俺の指示に、バランは反射的に従った。そのコンマ数秒後、彼がいた場所を蜘蛛の鋭い鎌が叩き割り、土煙が舞った。
「ひっ、ひぃいっ!! た、助けてくれ!!」
リーダーとしての威厳は消え失せ、バランは無様に地面を這いずった。
蜘蛛は、最大の獲物であるバランに狙いを定め、再び鎌を振り上げる。
(……やむを得ん。予定より早いが、実戦テストだ)
俺は背嚢から、スライムの粘液で密封した小さな「土器」を取り出した。
中には、俺が独学で精製した「刺激臭の強いキノコの胞子」と「高濃度の唐辛子成分」を凝縮した粉末が詰まっている。
(特殊部隊式・閃光刺激弾代用品。……喰らえ)
俺は土器を蜘蛛の顔面(複眼)に向けて全力で投擲した。
パリンッ! という硬い音とともに、真っ赤な粉末が蜘蛛を包み込む。
「ギジャァァァァァァァッ!!?」
人間を遥かに凌駕する感覚器官を持つ魔物にとって、それは脳を直接焼かれるような激痛だったろう。
狂乱し、のたうち回る蜘蛛。
「フェン、吊られた奴を下ろせ! バラン、腰を上げろ! 殺されたいのか!?」
俺の声は、もはや「5歳の子供」のものではなかった。
戦場を支配する、指揮官の響き。
俺は杖の中から黒曜石の剣を引き抜くと、蜘蛛の懐へと滑り込んだ。
巨大な相手に対するCQB(近接戦闘)。狙うは脚の関節、その柔らかい節の部分だ。
(……一撃離脱。ヒット・アンド・ウェイ)
俺の動きは、銀狼族の「力任せ」とは対極にあった。
踊るようなステップで蜘蛛の死角を回り、鋭利な刃で次々と関節を斬り裂いていく。
「……トドメだ」
最後の一撃は、蜘蛛の脳天。
黒曜石の刃が、魔物の頭蓋を貫き、神経系を完全に破壊した。
巨体が崩れ落ち、嘆きの谷に再び静寂が戻る。
数分後。
救出された仔狼が震えながら呼吸を整える中、バランは地面に座り込んだまま、俺を見上げていた。
返り血を浴び、無機質な瞳で武器の手入れをする俺。
その姿は、彼が知っている「牙無し」でもなければ、憧れている「銀狼の戦士」でもなかった。
それは、理解を越えた「死の専門家」の姿だった。
「……バラン」
俺が名を呼ぶと、バランの肩がビクッと跳ねた。
「今日のことは、誰にも言うな。……お前が逃げ出したことも。俺がこいつを殺したこともな」
俺は黒曜石の剣を杖の中に納め、冷たく言い放った。
「お前は『勇敢な未来の族長』として、仲間を連れて帰還するんだ。……分かったか?」
「……あ、ああ……」
バランの瞳に宿っていたのは、ライバルへの憎しみではない。
得体の知れない「怪物」に対する、絶対的な恐怖だった。
俺はフェンを呼び寄せ、再び最後尾へと回った。
バランが俺に逆らうことは、もう二度とないだろう。
俺は集落の中に、逆らえない「影の協力者」を手に入れたのだ。
(……サバイバル・ミッション、コンプリート。……さあ、帰ってミーナの飯を食べるとしよう)
俺は泥にまみれた顔を拭い、再び「ひ弱な赤子」の仮面を被った。
地底の闇に、小さな元帥の勝利の余韻が消えていった。
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