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銀狼(シルバーファング) 〜牙なき仔狼の異世界戦記〜  作者: beens
第1章:牙なき潜伏者

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第5話:サバイバル・キル

 銀狼族には、十歳で行われる「成人の儀」がある。だが、その数年前から仔狼たちの間には、暗黙の序列争いが始まる。

「おい、牙無し。今日はお前に特別な『教育』をしてやる」

広場の隅、バランがニヤついた顔で俺を見下ろしていた。背後には、彼に媚を売る数匹の仔狼たちが、獲物を囲むハイエナのように立っている。

「……教育、ですか?」

俺は拾い集めていた骨屑の手を止め、ゆっくりと顔を上げた。

バランの狙いは明白だ。先日のアイアン・ボアの一件。公式にはガザックの手柄となったが、現場にいたバランは気づいている。自分の窮地を救ったのが、ゴミのように扱っていた「牙無し」だったことに。

それは彼にとって、死よりも屈辱的な事実だった。

「集落の北にある『嘆きの谷』まで遠征サバイバルに行く。お前は荷物持ちだ。……まさか、逃げるなんて言わないよな?」

嘆きの谷。そこは成体の戦士でも一人では近づかない、迷宮の「未開域アンマップ」だ。

毒素を含んだ霧が立ち込め、凶悪な食人植物や、地中に潜む暗殺者がうごめく地獄。

(……排除作戦か。それとも、不慮の事故を装った暗殺か)

俺の脳内では瞬時にリスクを計算される。

拒否は可能だ。だが、それではバランの敵意はさらに陰湿になり、いずれミーナにも被害が及ぶかもしれない。

「了解しました。……訓練の一環として、お供します」

俺の冷淡な返答に、バランは一瞬だけ気圧されたような顔をしたが、すぐに鼻を鳴らして笑った。

「決まりだ。精々、泣いて逃げ出すなよ」

「嘆きの谷」のAO(作戦エリア)に入った瞬間、空気が重くなった。

 ねっとりと肌にまとわりつく高湿度の霧。視界は10メートル先も見えない。

バランたちは、自慢の嗅覚と聴覚を頼りに、傲慢な足取りで進んでいく。

(……素人め。音を立てすぎだ。風下を意識していない。これでは『食べてください』と言っているようなものだ)

俺は背嚢(自作の背負い籠)を背負い、フェンを影に潜ませながら、最後尾を歩いた。

俺の手には、杖に見せかけた一本の硬木がある。その中には、黒曜石の鋭利な刃が仕込まれている。

「おい、牙無し! 遅いぞ、さっさと歩け!」

バランが苛立ち紛れに声を荒らげた、その時だった。

――ピチャリ。

頭上から、粘り気のある液体がバランの肩に落ちた。

「……あ? なんだこれ」

バランが不快そうにそれを見上げた瞬間、俺の視界の中で、周囲の「背景」が歪んだ。

(……コンタクト! 上方12時!)

「全員、伏せろッ!!」

俺の怒声が響くのと同時に、霧の中から巨大な「影」が音もなく降りてきた。

それは、岩肌に擬態していた「大鎌蜘蛛シザー・スパイダー」だった。体長3メートル。鋼鉄をも両断する鎌状の前肢を持つ、森林の処刑人。

「ギチギチギチッ!!」

「なっ……!? があぁっ!!」

反応が遅れたバランの取り巻きの一人が、一瞬で蜘蛛の糸に絡め取られ、頭上へと吊り上げられた。

バランは恐怖で硬直している。牙を剥くことすら忘れ、ただ震えていた。

「バラン、動くな! 右へ跳べ!」

俺の指示に、バランは反射的に従った。そのコンマ数秒後、彼がいた場所を蜘蛛の鋭い鎌が叩き割り、土煙が舞った。

「ひっ、ひぃいっ!! た、助けてくれ!!」

リーダーとしての威厳は消え失せ、バランは無様に地面を這いずった。

蜘蛛は、最大の獲物であるバランに狙いを定め、再び鎌を振り上げる。

(……やむを得ん。予定より早いが、実戦テストだ)

俺は背嚢から、スライムの粘液で密封した小さな「土器」を取り出した。

中には、俺が独学で精製した「刺激臭の強いキノコの胞子」と「高濃度の唐辛子成分」を凝縮した粉末が詰まっている。

(特殊部隊式・閃光刺激弾スタングレネード代用品。……喰らえ)

俺は土器を蜘蛛の顔面(複眼)に向けて全力で投擲した。

パリンッ! という硬い音とともに、真っ赤な粉末が蜘蛛を包み込む。

「ギジャァァァァァァァッ!!?」

人間を遥かに凌駕する感覚器官を持つ魔物にとって、それは脳を直接焼かれるような激痛だったろう。

狂乱し、のたうち回る蜘蛛。

「フェン、吊られた奴を下ろせ! バラン、腰を上げろ! 殺されたいのか!?」

俺の声は、もはや「5歳の子供」のものではなかった。

戦場を支配する、指揮官コマンダーの響き。

俺は杖の中から黒曜石の剣を引き抜くと、蜘蛛の懐へと滑り込んだ。

巨大な相手に対するCQB(近接戦闘)。狙うは脚の関節、その柔らかい節の部分だ。

(……一撃離脱。ヒット・アンド・ウェイ)

俺の動きは、銀狼族の「力任せ」とは対極にあった。

踊るようなステップで蜘蛛の死角を回り、鋭利な刃で次々と関節を斬り裂いていく。

「……トドメだ」

最後の一撃は、蜘蛛の脳天。

黒曜石の刃が、魔物の頭蓋を貫き、神経系を完全に破壊した。

巨体が崩れ落ち、嘆きの谷に再び静寂が戻る。


数分後。

救出された仔狼が震えながら呼吸を整える中、バランは地面に座り込んだまま、俺を見上げていた。

返り血を浴び、無機質な瞳で武器の手入れをする俺。

その姿は、彼が知っている「牙無し」でもなければ、憧れている「銀狼の戦士」でもなかった。

それは、理解を越えた「死の専門家」の姿だった。

「……バラン」

俺が名を呼ぶと、バランの肩がビクッと跳ねた。

「今日のことは、誰にも言うな。……お前が逃げ出したことも。俺がこいつを殺したこともな」

俺は黒曜石の剣を杖の中に納め、冷たく言い放った。

「お前は『勇敢な未来の族長』として、仲間を連れて帰還するんだ。……分かったか?」

「……あ、ああ……」

バランの瞳に宿っていたのは、ライバルへの憎しみではない。

得体の知れない「怪物」に対する、絶対的な恐怖だった。

俺はフェンを呼び寄せ、再び最後尾へと回った。

バランが俺に逆らうことは、もう二度とないだろう。

俺は集落の中に、逆らえない「影の協力者」を手に入れたのだ。

(……サバイバル・ミッション、コンプリート。……さあ、帰ってミーナの飯を食べるとしよう)

俺は泥にまみれた顔を拭い、再び「ひ弱な赤子」の仮面を被った。

地底の闇に、小さな元帥の勝利の余韻が消えていった。

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