第3話:最初の実戦(キルゾーン)
その日の午後、ダンジョンの空気が変わった。
俺は広場の隅で、いつものように訓練の後片付けをしていた。
だが、何かがおかしい。
いつもなら絶え間なく聞こえる、下層からの魔物の鳴き声がピタリと止んでいる。風が凪ぎ、湿った空気が肌にまとわりつくような静寂。
(……気圧の変化なし。だが、この「匂い」は……)
鼻を突く、強烈なオゾン臭と、焦げた獣脂の臭い。
隣にいたフェンが、短く「グルゥ」と喉を鳴らし、全身の毛を逆立てた。彼も感じ取っている。
「……来るぞ。伏せろ、フェン」
俺が囁いた次の瞬間だった。
ドォォォォンッ!!
集落を囲む防壁の一部が、爆音とともに内側へ弾け飛んだ。
舞い上がる土煙。飛び散る巨大な岩の破片。
その向こうから現れたのは、銀狼族の戦士たちすら警戒する「重戦車」だった。
「グオォォォォォッ!!」
体長4メートル超。全身が鋼鉄のように硬い剛毛と、岩盤質の甲殻に覆われた巨大な猪――「鉄剛猪」だ。
迷い込んだのか、何かに追われたのか。狂乱状態の怪物は、真っ直ぐに広場の中心部へ突進を開始した。
「敵襲! 若い衆を守れ! 戦士団、前へ!」
族長ガザックの怒号が轟く。成体の戦士たちが即座に迎撃態勢に入る。
だが、ボアの突進速度は速すぎた。
「どけ! 俺がやる!」
その時、功名心に駆られたバランが、制止を聞かずに飛び出した。
「未来の族長」としての力を誇示する絶好の機会だと思ったのだろう。数匹の取り巻きを引き連れ、真正面からボアに挑みかかる。
「馬鹿が……。あれは『動く要塞』だぞ」
俺は冷静に分析した。バランたちの爪では、あの装甲は貫けない。
案の定、バランの体当たりはボアの鼻先で軽くあしらわれた。
バランスを崩し、無様に転がるバラン。その目の前に、ボアの巨大な蹄と、槍のような牙が迫る。
「ひっ……!?」
バランの顔が恐怖で歪む。腰が抜け、動けない。
成体の戦士たちが駆けつけるには、あと数秒足りない。
(……死ぬな)
俺の脳内クロックが加速する。
バランが死んでも俺は困らない。だが、ここで奴が「牙無しの罠」に助けられたという事実は、将来的に強力なカードになる。
「……フェン、プランBだ。右翼へ回れ。奴の気を引け」
俺は短く命じ、隠し持っていた短弓を展開した。
フェンが弾かれたように飛び出す。足は悪いが、その動きは影のように静かだ。
「ギャウッ! ギャウッ!」
フェンがボアの死角から吠え、小石を投げつける。
単純な陽動だが、狂乱した獣には効果てきめんだった。ボアの注意がバランから逸れ、小さなフェンに向く。
「ブギィィッ!」
ボアが方向転換し、フェンを踏み潰そうと加速する。
その進路上――それこそが、俺が数日かけて広場の掃除を装いながら仕込んでいた「場所」だった。
(……距離30、速度の乗った突進。座標よし。……今だ、踏み抜け)
俺が心の中でカウントダウンした瞬間。
ズボォッ!
ボアの前足が、不自然に地面に沈み込んだ。
俺が土をほぐし、脆い枝葉で蓋をしておいた直径50センチの落とし穴。
深さは膝下程度だが、この重量と速度で片足を取られれば、どうなるか。
バキィィン!
嫌な音が響き、ボアの巨体が前のめりに転倒した。自重と運動エネルギーが、自らの前足をへし折ったのだ。
「ブギィィィィッ!!?」
苦悶の絶叫を上げ、のたうち回る怪物。
その隙を見逃すほど、俺は優しくない。
俺は物陰から滑り出し、膝をついて短弓を構えた。
狙うは一点。鋼鉄の装甲に覆われていない唯一の弱点――眼球。
(風速微弱。距離15メートル。……必中だ)
ヒュッ。
放たれた黒曜石の矢は、吸い込まれるようにボアの左目に突き刺さった。
「グオォォォッ!!」
視界を奪われ、さらに矢に塗った麻痺毒が回り始めたボアの動きが鈍る。
そこに、ようやく追いついたガザックの巨大な影が落ちた。
「未熟者どもがぁっ!!」
ガザックの怒りの一撃が、ボアの頭蓋骨を粉砕した。
ドォォン……と地響きを立てて、怪物が完全に沈黙する。
広場に、再び静寂が戻った。
腰を抜かしたままのバランが、信じられないものを見る目で、ボアの死骸と、その向こうに立つ俺を交互に見ていた。
俺は表情一つ変えず、弓を背中に隠すと、再び「雑用係」の顔に戻って片付けを再開した。
ただ、その手は震えていた。
5歳の肉体での初陣。恐怖ではない。これは、前世で何度も味わった「生存の興奮」だ。
(……見たか、毛むくじゃらども。これが『戦術』だ)
俺は泥にまみれた顔で、誰にも気づかれないように、小さく笑った。
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