第2話:不適合者の同盟
夜の帳が下りたダンジョンは、昼間よりもずっと騒がしい。
遠くで響く巨大な捕食者の咆哮。頭上を過ぎ去る翼竜の風切り音。
銀狼族の集落は、巨大な防壁代わりの樹木と岩に囲まれているが、それでも「安全」という言葉はこの場所には存在しない。
俺は、廃棄場の隅にある自室――岩の隙間に潜り込み、前世で叩き込まれた「ナイト・ルーチン」をこなしていた。
腕立て伏せ、腹筋、背筋。
5歳の児童の骨格を壊さない程度の、しかし確実にインナーマッスルを鍛え上げる精密な自重トレーニングだ。
(……この肉体は、あまりに燃費が悪い。銀狼族の仔が1食で得るエネルギーを、俺は3食かけても摂取できない。だが、効率で補える)
トレーニングを終え、荒い息を整えていると、廃棄場の入り口から微かな「衣擦れ」のような音がした。
カサリ。
俺の手は、無意識に腰の黒曜石ナイフに伸びていた。
気配は一つ。重さは20キロから30キロ。足音のパターンからして、成体の銀狼ではない。
「……そこにいるのは誰だ」
俺が低く、しかし通る声で問いかけると、山積みにされた骨の陰から、一匹の小さな影が這い出してきた。
銀色の毛並み。だが、バランたちのような輝きはなく、どこか泥を被ったようにくすんでいる。
右耳の先端が欠け、後ろ足を引きずった仔狼。
名を、フェンという。
「……なんだ。お前か」
俺はナイフから手を離した。
フェンは、俺と同じ時期に生まれた仔狼だった。だが、生まれつき体が小さく、右足に障害があった。
この集落において、俺が「牙無し(異物)」なら、こいつは「欠陥品(落ちこぼれ)」だ。
フェンは怯えたような目で俺を見ると、口に咥えていたものを俺の足元にポトリと落とした。
それは、半分ほど肉の残った獲物の「肋骨」だった。
「……俺に、これをくれるのか?」
フェンは答えず、ただ短く「クゥ」と鳴いた。
その黄色い瞳には、自分と同じ「群れから浮いた存在」に対する、原始的な共感が宿っていた。
「……ありがたく頂戴する。だが、お前が食べる分がなくなるぞ」
俺が骨を拾い上げると、フェンは満足そうに尻尾を一振りし、俺の隣に座り込んだ。
言葉は通じない。だが、特殊部隊のオペレーターとして、俺には分かった。
こいつは「偵察員」の目を持っている。周囲の音、風向き、微かな異臭に対し、他の仔狼よりもずっと敏感に反応していた。
(身体能力の欠如を、感覚で補っている。……俺と同じか)
「フェン。食わせてもらった礼だ。面白いものを見せてやる」
俺は立ち上がり、黒曜石のナイフと、植物のツルで作った「ある装置」を手に取った。
フェンは首を傾げ、俺の動きを注視している。
その時だった。
集落を囲む岩壁の影から、不気味な「鳴き声」が漏れ聞こえてきた。
「ギギ……ギギギッ……!」
フェンの耳が、ピンと立つ。
俺も即座に姿勢を低くした。アドレナリンが血管を駆け巡り、脳が瞬時に戦闘モードへと切り替わる。
(……スカベンジャー・ラット。全長1メートル。腐肉を好むが、弱った個体がいれば集団で襲いかかる。……数は3。距離20メートル。方位040(北東))
銀狼族の戦士たちが守る中心部には現れないが、この廃棄場のような吹き溜まりには、時折こうした「害獣」が紛れ込む。
フェンが震えながら、俺の前に出ようとした。足の悪い体で、俺を守ろうとしているのだ。
「いい、動くな。……フェン、お前は観測手だ。標的から目を逸らすな」
俺はフェンの肩に手を置き、静かに制した。
そして、左手に持った「装置」を構える。
それは、木の枝を湾曲させ、ツルを張っただけの、あまりにも原始的な「短弓」だった。
銀狼族の視点からすれば、ただの玩具に見えるだろう。
だが、俺がその弦に番えたのは、先端に「黒曜石の鋭利な鏃」を付け、さらに「麻痺毒を塗った」矢だ。
「……交戦許可」
闇の中、ラットの赤い眼光が光った。
奴らが跳躍する瞬間、俺の指が弦を放した。
シュッ。
風を切る鋭い音。
前世で数万発の弾丸を撃ち込んできた俺の「感覚」は、この5歳児の肉体でも健在だった。
一発目の矢は、先頭を走っていたラットの喉笛に正確に突き刺さった。
「ギッ!?」という短い悲鳴とともに、ラットが転がる。
続いて、二発目、三発目。
「ギギィッ!?」「ギ……」
わずか3秒。
音もなく、3匹のラットは泥の上に崩れ落ちた。即死ではないが、毒が回ってピクリとも動かない。
隣で見ていたフェンが、目を見開いて硬直していた。
自分の知っている「狩り」とは、あまりにも違う。
牙も爪も使わず、ただ手を動かしただけで、向かってくる敵が次々と沈んだ。
俺は無機質な手つきで、予備の矢をしまい、ラットの死骸へと近づいた。
黒曜石のナイフを引き抜き、流れるような動作でトドメを刺していく。
(……弾道計算、命中精度、共に許容範囲内。だが、射程が短すぎる。次はもっと張力の強い素材が必要だ)
「フェン、こいつをバラすのを手伝え。毛皮は保温材になるし、肉は保存食にできる」
呆然としているフェンに向かって、俺は少しだけ口角を上げた。
「これが『牙無し』のやり方だ。……お前も学びたいか?」
フェンは、俺の腰にある黒曜石のナイフと、俺の瞳を交互に見た後――。
力強く、天に向かって小さな遠吠えを上げた。
それは、銀狼族の掟への反逆であり、二人だけの「軍隊」が誕生した、最初の産声だった。
その頃、集落の玉座。
族長ガザックは、闇夜を見つめながら、ふと鼻を鳴らした。
「……ミーナ。あの『牙無し』、最近妙な匂いをさせていないか?」
「匂い……ですか?」
「ああ。血の匂いだが……戦士のそれではない。もっと冷たく、研ぎ澄まされた……古い鋼のような匂いだ」
ガザックの黄色い瞳が、暗闇の中で妖しく光った。
「面白い。ダンジョンが何を産み落としたのか、そろそろ見極める時期かもしれんな」
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