第5話 輔弼近衛は第二王女付きに任ぜられる(アレン視点)
アスリンとの邂逅を引きずったまま、アレンは宰相の執務室へ向かう。そこで告げられたのは、よりによって第二王女付き近衛への任命だった。即座に辞退を願い出るが――。
朝の廊下で第二王女とすれ違ったあと、俺はそのまま宰相閣下の執務室へ向かった。侍従に名を告げると、ほどなくして扉が開かれる。中へ入った瞬間、石と紙と蝋の匂いがいっそう濃くなり、春の朝のやわらかさはきれいに背後へ置き去りにされた。窓から光は入っているが、ここでは明るさよりも机上の書状の多さの方が先に目につく。いつ見ても、よくもまあこれだけ面倒事が湧くものだと感心する部屋だった。
(……相変わらず息の詰まる部屋だな)
「アレン・アルフォード、参上致しました」
「うむ」
閣下は机の向こうで短く答えただけだった。老いてなお痩せた鷹のような顔つきで、手元の書状から目を離さぬまま、しばらく何かを読み続けている。呼びつけておいてすぐ用件を言わぬのもこの人らしい。相手を焦らして楽しむのではない。ただ、自分の中で順を整え、言うべき時にだけ言葉を置く。だから待つしかない。
俺は机の前で直立したまま、呼吸だけを浅く整えた。呼んだなら早くしてくれ、と思わないでもないが、この人にそういう愚痴が通じるなら近衛は苦労しない。廊下で聞いた軽い声が、まだ耳の奥に残っているのも気に食わなかった。こんな時くらい頭を切り替えろと思うのに、こういう余計なものほどしぶとく居残る。
『では、アレン様と呼ばせていただきますね』
(……だからやめてくれ)
やがて閣下が紙を置き、ようやくこちらを見た。
「貴卿に新たな任を命ずる」
胸のどこかで嫌な音がした。たいてい、そういう言い方のあとに来る話は碌でもない。
「第二王女殿下付きとなれ」
意味を呑み込むのに一拍かかった。言葉の意味は分かる。分かるが、どうしてそれが俺に来るのかが分からない。思わず顔を上げそうになって、ぎりぎりで堪えた。
「……は」
間の抜けた声が出た。今日二度目である。どうせ面倒事だろうとは思っていたが、よりによって朝の続きみたいな話が飛んでくるとは思わなかった。
(……勘弁してくれ)
閣下は眉ひとつ動かさなかった。
「聞こえなかったか」
「いえ、聞こえております」
「ならばよい」
よくない。まったくよくない。第二王女付き。要するに、あの朝っぱらから人の調子を狂わせた、あの王女殿下の側にいろという話である。近衛として王族の護衛に就くこと自体は珍しくない。だが、誰の側に付くかで話はまるで違う。第一王子でも胃は痛いし、第二王子でも別の意味で胃が痛いが、これは種類の違う痛さだった。
「恐れながら」
「申せ」
「その任、辞退させていただきたく存じます」
自分でもずいぶん早いと思った。だが、早く断らねば、ろくでもない方向へ話が固まる気がした。先手必勝、と言いたいところだが、この人相手に先手で勝てた試しはない。
閣下は少しも表情を変えずに問うた。
「理由を述べよ」
「不適任に存じます」
「それは理由ではない。判断の結果にすぎぬ。その根拠を申せ」
逃げ道を塞ぐ声音だった。そこで俺は、言うべきかどうか一瞬だけ迷った。迷ったが、ほかにまともな理由も見当たらない。剣の腕が足りぬわけではない。忠誠が足りぬわけでもない。ならば、残るのはもっと情けない話になる。
「私は、女性に不調法にございます」
執務室の空気が、わずかに止まった気がした。言ってしまった、と内心で顔を覆いたくなる。近衛が何を言っているんだ、という話である。閣下はしばらく無言で俺を見た。その沈黙が、やけに長く感じられる。
「確か、貴卿には婚約者はおらぬな」
「辺境子爵家の三男に娘を嫁がせようとする奇特な家はございません」
これは事実だった。長男ならまだしも、三男である。継ぐ家も大きな地所もなく、都で出世する保証もない。そんな男に大事な娘を差し出す家があるなら、むしろこちらが理由を聞きたいくらいだ。いたらいたで、それはそれで何か裏がありそうでもある。
閣下は淡々とうなずいた。
「では、恋人は」
「それもおりません」
「幼き頃より昵懇の娘くらいはおったであろう」
そこで、なぜか故郷の空気が頭をよぎった。
春先の鍛冶場の熱気。炭の匂い。槌音。子どもの頃、用もないのに鍛冶屋の前をうろついては、邪魔だと怒鳴られた記憶。幼馴染と言えそうな女がいたとすれば、鍛冶屋の一人娘のエミリーくらいだった。だが、あれを幼馴染という甘酸っぱい言葉で呼んでいいのか、俺には今でもよく分からない。
エミリーは鍛冶屋の娘だけあって、腕っぷしが俺より強かった。少なくとも子どもの頃は確実に強かった。木剣で勝負を挑めば肩を打たれ、取っ組み合えば土間へ転がされ、川遊びに行けば俺の方が先に流されかけて襟首を掴まれた。祭りの日に飴を半分くれたことはあったが、あれは優しさというより「お前、どうせすぐ落とすだろ」と見越されていただけだ。実際、落とした。
幼馴染、という響きはやけに柔らかい。だが俺の記憶の中のエミリーは、もっと鉄と煤と拳骨の匂いがした。あれをそう呼ぶのは、何かが違う気がしてならない。
(……あれを幼馴染なんて言葉で呼んでいいものか)
「それも……おりません」
俺がそう答えたところで、閣下の目つきが、ほんのわずかにやわらいだ。
「……左様か。詮なきことを聞いた」
その一言が、やけに胸に刺さった。本人の前でそんな目をするのはやめてほしい。実際に哀れなのかもしれないが、そういう空気を出されると、それはそれで辛い。
(……放っておいてくれ)
そう思いながらも、俺は机の前に直立したまま、黙って次の言葉を待つしかなかった。
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
次回、アレンの逃げ道は一つずつ塞がれていく。
女性に不調法、器用でもない、余計な色気もない。本人にとっては情けない弱点のはずが、宰相はそれを任命理由に変えていく。第二王女の周囲に集まり始めた「目」とは何なのか。
次回の投稿は来週火曜日21時頃の予定です。
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