補遺 神韻魔術原論論考
第二王子が著した「神韻魔術原論」について、それが組織に組み込まれた場合の危険性を考察した「原論論考」です。
神韻魔術原論論考
――衡論院史官アクトン、《神韻魔術原論》後閲の記
此の《原論》、世に出でてより、はやく写され、はやく用ゐられたり。
あるは「教会を倒す書」なりといひ、あるは「王子を神にたぐふる書」なりといふ。いづれも似て、しかも遠し。
ゆゑに余、衡論院の蔵本に後の注を添へ、本文の来りと、ことばの限りと、誤りて読む道をしるし、読む者の秤、偏らざらんことを願ふ。
巻頭序 「原論」の功と、その毒
神韻を「始言そのもの」とせず、遍く在る「場」と見て、術の作法を S(詞)・A(調)・C(凝) と分かち、威を W=S×A×C として示したるは、術の筋を立つるに功あり。
ただし、符号は便なる器にすぎず。器を敬へば、器はたちまち主となる。
また、教会・改革派・王子の三つを、「同じ語をもちて、見ゆる世を異にす」と見抜き、争ひの根を「語の合はざるところ」に求めたる眼、鋭し。
されど史書は、誉め詞のみ刻む器にあらず。功ある説ほど、官府の手に移るとき、知らずして毒を生む。ゆゑにここに考を録す。此の考は憎みのためにあらず。誤用の折れ目を、先に示さんがためなり。
【按】 学説の命は短し。されど誤読は長く国を縛る。史官が筆を執るは、この長きを畏るるがゆゑなり。
第一 「波動」譬の害――譬を実と取り違ふ
原論は、詞を「波形」、調を「周波」、凝を「集束」と名づけ、波動の譬にて術を通す。譬としては分かりやすし。されど譬は橋なり。世の柱そのものにあらず。
この譬は、術者の内――像・情・欲・恐れ――を、ただ雑音として退けやすくする。かくて、心の道は技の下に置かれやすし。
また「波形、純なれば強し」といふ言ひ回し、官府の口に入れば、「純ならざる者は劣る」と言ひ換へられやすく、禍の種を蔵す。
原論もまた、「これを権威の拠り所とする勿れ」と戒む。されど譬の力は、作者の慎みを越えて先へ走る。譬あまりに強ければ、善意の役人ほど之を実と見なし、測りて選び、分かちて、つひに逐ふに至る。
【按】 王暦三百余年、北辺にて術徒の管理制度興る。教会、術の巧拙を「清波・濁波」の名にて分かち、札を与ふ。初めは修練の次第を示すのみなりしが、やがて婚姻・雇役の可否に及び、数年を経て訴訟を生めり。善き区分も、札となれば人を縛る。
第二 乗積定式――測れぬものを数に置く
原論は、威を三つの積として置き、「一つ欠ければ全体崩る」と説く。されど、ここに二つの誤りあり。
一 尺度なき数
S・A・Cは、いかなる尺度にて零より一へ収めらるるや。誰が之を正すや。
尺度なきまま「S=一・〇」「A=〇・〇九」などと数を与へなば、数は権威の面となり、異議を退ける。数は論を鎮むにあらず、論を絶つ。
然れど、数を好むは悪意のみにあらず。情に偏する裁きを憎み、恣を防がんとして、数に拠らんとする者もあり。「人ごとに軽重異なるを禁ぜん」と。
されど尺度定まらずして数のみ先に立てば、その均しは却って恣意を蔽ふ。恣意は消えず、ただ数の面をかぶる。
二 乗積は官府に便利
乗積の式は、学の側にては戒めに見ゆ。「三つそろはねば大事なし」と。
されど官府の手に渡るとき、戒めは断に変はりやすし。乗積は「一つの欠が全体を伏す」筋を、式の内に蔵すればなり。
ここに官府、かく言ひ立てん。
「詞短き者は足らず」
「調欠く者は用ゐ難し」
「凝揺らぐ者は危うし」――と。
かくて式は、欠を補ふ目安にあらずして、欠を名にして外す口実となる。しかも三つを一つに潰して「総」と名づけ得る。「総」と名づければ並べ得る。並べ得れば等を立て得る。等を立てれば、配りも徴しも、理の貌を得る。
反論と其の破れ
ある者いふ。「尺度は精密ならずともよし。相対の評にて足れり。軍旅・救療は刻を争ふ。遅き精密より速き目安こそ民を救ふ」――と。
まことに現場、目安を要するは否みがたし。
されど、その相対の評、誰が手にて、いつまで目安に留め得るや。目安は札となり、札は等となり、等はつひに禄と罪とに結ばる。これ制度の常なり。ゆゑに問題は模型の善悪にあらず。官府へ渡るその折、形は変はりて戻り難し。
【按】 王暦三百二十一年、救療院に「術者等第」掲げらる。初めは当直の配のためなりしが、やがて俸給の差となり、遂には任官の格に及べり。目安、官府の手に入りて位へと変はる。
第三 閾値――用ゐやすく、刃あり
原論は、術式ごとに発動の下限ありと立て、細き灯火より天象の大に至るまで、越ゆべき線を掲ぐ。現場の口伝には用ゐやすし。されど――閾値は失敗の責を術者へ返しやすし。「越えぬは汝のS・A・C足らぬゆゑ」と。
閾値を数に掲ぐれば、軍はたちまち之を令の数へ改む。「此級のWに達せよ」と。
数、ひとたび令となれば、徴発は理の貌を得る。
かくして「転移点」は、学の譬を離れ、徴しと査めの文言となる。史官これを恐る。閾値は自然の線に似る。されど制度は、自然の線を令の線へ改め、民の上に引く。
【按】 王暦三百二十七年、辺境守備に「日中照明の術」を課し、「閾値未達は怠慢」と断ぜられし件あり。夜毎の訓練に倒るる者つづき、最後に残りし者は、術を得たる代はりに眠りを失へり。閾値は現象を説く界にして、人の咎を定むる綱にあらず。
第四 教会批判の射程――「誤解にても効く」説の禍
原論は、教会が始言を人格神と誤解すといへども、向きさへ合へば、微かに届くと説く。切れ味あり。されど同じ刃、用ゐやうにより禍を生む。
すなはち、教会の儀礼を「誤れど効ある技」として、ただ効に収めんとする道を許す。
儀礼の価を功利にて量らんとするや、共同体の秩序(慰撫・鎮魂・赦し)は副として棄てられん。ここに制度の吐きやすき禁句あり。先に掲ぐべし。
「儀礼は低Wの者を慰むる具に過ぎず。国力のため、術理に収めて之に代へよ。」
ここに反りの辞を置く。
「効は身を救ふ。されど秩序は心を保つ。心崩るれば、効は刃に変ず。」
禁句は共同体を内より腐らす。教会の価は術の効に尽きず。人心は効のみにて整はず。悲しみ・罪・赦し・葬り――これらは閾値も等級も持たぬ。
ゆゑに此の考の辞は度を越ゆべからず。王子の筆、神学を解き崩して術理へ組み替ふる誘ひを帯ぶ。史官は、その誘ひが制度の文となるを防ぐを職とす。
【按】 王暦三百二十九年、都市の一隅にて祈祷を禁じ、「短句訓練」を以て之に代へし例あり。三月を経て、盗みは減らず、諍ひは増し、葬列は乱る。術の効は増すといへど、町の静けさは還らず。人は効のみにて世を立てず。
第五 「共有し得ず」の断――争ひを先に決むる勿れ
原論は、三者の断層を「見ゆる世の差」として描き、議は交はらずと結ぶ。半ば真なり。されど、ここに政の怠り入りやすし。
「共有し得ず」と断ずるや、制度はたちまち対話を措く。残るは配りと強ひのみ。不可伝達の説は、争ひの理にあらずして、争ひの次第を先に書き置くものとなり得る。
史官として言ふ。国は理解の一致を待つべからず。むしろ一致せざるを常とし、擦れを減ずる道――すなはち法を整ふべし。
異説の併存を失と名づくる勿れ。併存を保つ筋を立つること、これ政の要なり。
【按】 王暦三百三十年、「同調不能の者は教導に服せ」との布告あり。翌年、反発は陰に沈み、やがて噴き出で、官府はさらに苛烈の制を加へたり。不可伝達を口実とする強制は、常に不可伝達を殖やす。
第六 結語――術理と共同体、分けて混ぜる勿れ
原論の骨子――S・A・Cの分け、ならびに凝と持続の重み――は、蔵して失ふべからず。
されど官府の手に渡すときは、二巻に分けて混ぜる勿れ。
術理篇:訓練・環境・作法の次第を記すに止めよ。数式は譬として置き、測り得るところと測り得ぬところとを注せよ。評は目安に留め、札となり等となり位へ移る道を、条にて塞げ。
(例条)「評を掲示に用ゐるは当直配分に限る。俸給・任官・婚姻・雇役の可否に転用するを禁ず。転用あるときは、掲示を廃し、評を記さず。」
共同体篇:儀礼・信仰・慰撫・赦し等、功利の秤に掛け得ぬ価を条として書き定めよ。威の多寡により人の位を定むること、これを禁ぜ。教会と官府の界は、術の理にて引くにあらず、人の理にて引け。
学は剣となり得る。剣を鍛つる者ほど、鍛冶場の外に血の流るるを知らざるべからず。
【按】 剣は抜けば必ず何ものかを断つ。学もまた、官府これを抜くとき、必ず何ものかを断つ。断たれてはならぬものを先づ名づけて守る――これ史官の任なり。
末尾附記 書誌
本書は衡論院蔵本『神韻魔術論』の余白注を撰び、次第を正して一巻と為せり。
写本を重ぬるごとに詞を飾らんとする者多し。されど史官は飾りを尚まず、折れ目のみを遺す。ここに筆を閣く。
これにて「近衛の本領 第二部 第二王子編」完了です。
長い間お付き合い頂きありがとうございます。
一週間お休みを頂いて「第三部 第二王女編」を連載させていただきます。
また、お付き合い頂きましたら幸いです。




