補遺 神韻魔術原論
本編とは別のお話です。
本作世界においてフェリクスが求め続けた「魔術」とはなにかというのを追求して後年に纏めた「魔術原論」です。
補遺一 神韻魔術原論
――第二王子フェリクスによる理論的概要
序 神韻の位
神韻とは、始言そのものにあらず。
始言とは、太初に発せられし言葉、「在れ」なり。
これは譬にあらず。文字どほり、最初の響きなり。
ウェルブム教聖典に曰く。
「太初に言あり、『存れ』と。言、神と倶に在り、言、即ち神なり」
「在れ」といふ振動、虚空に響きたり。その響き、世界を生めり。光も、闇も、天も、地も、万物も、すべては「在れ」といふ根本の響きの変奏なり。
神韻とは、その第一次変奏なり。始言「在れ」が世界といふ楽器に触れ、鳴らしめたる最初の音色なり。
変奏曲における主題と変奏のごとく、神韻は「在れ」の本質を保ちつつ、無限の多様を展げる。木の芽吹き、火の燃ゆること、土の安んずること、金の収まること、水の流るること――これら皆、「在れ」といふ根本の響きの異なる顕れなり。
神韻魔術とは何か
神韻魔術とは、神韻を用ゐて現象を起こす術なり。
神韻は遍く在る。されど、常は沈黙す。これを揺り起こし、特定の現象として顕はすを魔術といふ。
術者は、己が心を波として整へ、始言「在れ」より発したる根本の律、すなはち始原理に同調せしむ。ついで言葉を波として発し、その波を一点へ導き、神韻といふ韻の海に共鳴せしむ。
共鳴起これば、韻威は解かれ、現象生ず。これ魔術なり。
第一章 三要素の導入
魔術の威力は、ただ才や信によりて定まるものにあらず。
魔術の発動には、必ず三つの要あり。
S:詞の純。すなはち言葉の簡潔にして澄めること。
A:心の調。すなはち律と合ふこと。
C:凝。すなはち対象へ収束すること。
この三つ揃ひしとき、神韻は共鳴し、現象生ず。
余はここに、この三要を統べる算譜を示さんとす。
三要の譬
一 鏡の磨き――S
鏡曇れば、像は歪む。詞冗長にして曖昧ならば、心に立つ像もまた曇る。
S とは、鏡を磨くことに等し。余分の詞を削り、像を鮮やかに立てる力なり。
二 湖面の静けさ――A
湖面波立てば、月は映らず。心乱るれば、像は揺れ、神韻と同調せず。
A とは、湖面を静むることに等し。心の波を整へ、狙ひたる像に律を合はする力なり。
三 弓弦の張り――C
鏡澄み、湖面静まりても、弓弦緩ければ矢は飛ばず。
C とは、世界に何を起こさしむるかを一点に結び、その張りを保つ力なり。波にて言へば、散れる揺れを集め、定まれる方へ向けることなり。
第二章 三要統合の算譜
一 術威は三徳の乗積なり
神韻魔術の術威は、三つの徳の乗積として表し得る。
便宜のため、術威を W、純を S、調を A、凝を C と略記す。
術威 W = 純 S × 調 A × 凝 C
W:魔術の威力。韻に由来するゆゑ、別に韻威とも呼ぶ。
S:詞の純。狙ひたる像へ直に至る言葉の簡潔。
A:心の調。始原理に合ふ像を成す力。
C:凝。像を対象へ向け、持続して用ゐる力。
二 何故に加算にあらずして乗算なるか
神韻との共鳴は、三要のいづれをも欠くことを許さざればなり。
詞濁れば、像は歪む。
心の律ずれれば、神韻は応ぜず。
凝散れば、現象は形を取らず。
三要は、それぞれ独りて魔術を成すものにあらず。互ひに支へ、互ひの欠を露はにす。ゆゑに術威は加算にあらず、乗算として置くを宜しとす。
これは、「在れ」といふ響きの本質より導かるる構造なり。
三 この算譜の限り
ここに誤解なきやう記す。始原理は実在す。神韻もまた実在す。魔術の作動する筋道には、客観の構造あり。
されど、S・A・C と三つに分かつは、余の便宜なり。
本来、詞と心と凝は分かちがたく結ばる。詞なくして像は立たず、像なくして凝は向かわず、凝なくして詞は力を失ふ。
これをあへて三つへ割り、数として置くは、論じ、教へ、比ぶるためなり。
始原理そのものは、数を持たず。
「在れ」は量にあらず。
ゆゑに、術威 W を S×A×C として表すこの算譜は、実体の写しにあらず。実体へ近づくための近似なり。
地図は領土にあらず。この算譜もまた、神韻そのものにあらず。されど地図なくして旅は難し。算譜なくして、術者の鍛錬も、諸派の議も進み難し。ゆゑに余は、あへて数を置く。
ただし、数は便宜にして、権威にあらず。数を絶対とする者は、地図を領土と取り違ふ者なり。この算譜を用ゐる者、常にその限りを心に留むべし。
四 発動の閾
魔術には、術ごとに最低発動威力あり。術威 W がこれを越えしときにのみ、現象は発す。
小さき灯をともすことと、天象を揺るがすことと、同列にあらざるは、この閾の差による。閾は術の種類により異なる。
余が経験より得たる知見に基づき、便宜のため下限を目安として記す。精密の測りにあらず。ただ越ゆべき線を示すのみ。
小さき灯火:W、およそ〇・〇〇三を越ゆるを要す。
治癒の初歩:W、およそ〇・〇一を越ゆるを要す。
日蝕:W、およそ〇・五を越ゆるを要す。
W、この閾を越えざる限り、いかに詞を発し、いかに心を込むとも、魔術は発動せず。
これは、水が一定の熱に至りてはじめて沸くに似たり。足らざるうちは、いかに揺らすとも相は移らず。魔術もまた、閾といふ転移の線を持つ。
第三章 S――詞の純
一 S とは何か
魔術において詞は必須なり。始言「在れ」が言葉なりしごとく、魔術もまた詞より始まる。
されど、いかなる詞も可なるにあらず。詞は呪の合図にあらず。詞そのものが、術者の心に像を立て、その像が神韻を呼ぶ。
術者の発する詞は、ただ空気を震はすのみならず。その詞に伴ふ意味と像、心中に立ち、心の震へ整ひて、一つの心波となる。
神韻は、この心波に共鳴す。ゆゑに詞の力とは、結局、狙ひたる像へいかほど直に至る波を立て得るかにあり。
詞飾られて長ければ、その波は歪む。詞曖昧にして譬へ逃ぐれば、その波は散る。詞自意識に満つれば、その波は濁る。
S とは、詞を増やす力にあらず。要らぬものを削り、型を正す力なり。
二 何故に短き詞は強きか
余の詞は短し。
「火よ」
「動け」
「止まれ」
この短さ、ただ簡略なるにあらず。
短ければ、意味は直に像へ至る。直に至れば、心に立つ像は澄む。像澄めば、神韻は応じやすし。
長き祈祷文は、意味散りやすし。術者の解に依り、像揺らぎやすし。ゆゑに S は低くなりやすい。
ただし、短きこと万能にあらず。短き詞は、像を己が力にて立てねばならぬ。ゆゑに高き A と C を求む。
短句は弱き者の近道にあらず。むしろ未熟の者ほど、長き詞に支へらる。
第四章 A――心の調
一 A とは何か
神韻は、「在れ」の第一次変奏なり。ゆゑに神韻は、「在れ」と同じ律を持つ。
術者の心波、この律に合ひしとき、共鳴起こる。
音叉を鳴らせば、同じ音程の音叉、共に鳴り始む。これと同じく、心の波を「在れ」の律に合はせば、神韻は応じ、その韻威を現象として解く。
A とは、この「合律」の力なり。
二 像の精密
像粗ければ、共鳴は弱し。像精密なれば、共鳴は強し。ゆゑに A とは、単なる想像にあらず。像の精密なり。
像の精密は、知識と経験に依る。火を知らぬ者、火を像にできず。人体を知らぬ者、治癒を像にできず。天象を知らぬ者、日蝕を像にできず。
ゆゑに学は魔術を強む。
三 A の四要
A をさらに分かてば、次の四要に整理し得る。
a1:像の鮮明。ぼやけてゐないか。
a2:像の整合。矛盾してゐないか。
a3:像の広がり。対象全体を含むか。
a4:像の正確。始原理に合ふか。
このうち、とくに a4 重し。
始原理に合はぬ像は、共鳴を起こさず。
教会が始言を人格として捉ふることは、この点において像の精密を損ね得る。世界を気まぐれとして見れば、律の理解は曖昧となり、像もまた不正確となりやすし。
されど自然学を学び、世界の律を知れば、像は定まり、神韻はより確かに応ず。
これ、a4――像の正確の本質なり。
四 余が「美」と呼びしもの
余は、これらを統べて「美」と呼びたり。鮮明にして、無駄なく、微動だにせず、始原理に正しく沿ふ像を成したるとき、余は一つの感覚を覚ゆ。
完璧なり。
無駄なし。
すべて必然なり。
簡潔にして、調和せり。
この感覚を、余は「美」と表したり。されど、それは詩の辞にして、本質は、完全に整ひたる心像なり。
余にとりて、美とは飾りにあらず。始原理に近づきたる像の感触なり。
五 何故に伝はらざるか
改革派は問ふ。「美とは何か」と。
余は答ふ。「神韻の律は美なり」と。
されど彼らには伝はらず。
何故なら、彼らの像と余の像とは、同じ詞にて呼ばれながら、内実を異にするからなり。
地図は渡し得る。されど景色そのものは共有し得ず。これ理解の断層なり。
第五章 C――凝
一 C とは何か
C とは、像を対象へ向けて用ゐる力なり。詞を発し、像を成しても、それを具体の対象へ結ばざれば、魔術は発動せず。
神韻は遍く満つる韻の海なり。いづこにも在り。
では、何故に特定の現象のみ起こるか。それは、術者が「何を、いづこに、いかに実現するか」を明らかに結ぶからなり。
像が神韻に形を与ふ。像曖昧ならば、神韻は何を実現すべきか定まらず。像明らかなれば、神韻はそれに応じて形を取る。
これ C の第一なり。
二 C の三要
C は、次の三つに分かたる。
c1:対象の選択。
c2:雑念の排除。
c3:像の持続。
c1 対象の選択
術者は、何を実現せんとするかを明らかに思ひ描かねばならぬ。太陽を隠すことは、多くの者が像にできる。見聞きあるゆゑなり。
されど、目に見えぬ力や天の働きを扱ふ現象は、その性質を知らねば像にならず。星々を動かす力を操らんとしても、その力が何であるかを知らねば、「いかに動かすか」を結べぬ。
ゆゑに学は魔術を強む。知識増せば、像にできる現象の幅も広がる。文明の発展と魔術の発展とが並び行く理由、ここにあり。
c2 雑念の排除
像明らかなるとも、雑念混じれば波は散る。「治せ」と思ひながら、「失敗せばいかに」と思へば、像は二つに裂ける。
「火よ」と言ひながら、火への恐れ心に満つれば、像は燃焼と拒絶のあひだに割れる。
ゆゑに雑念を退くること要なり。
c3 像の持続
像は一瞬立てれば足るものにあらず。神韻は大にして、共鳴には時を要す。像を保てざれば、共鳴は半ばにて途切る。ゆゑに持続が要なり。
教会の長き祈祷文は、c1 と c2 を損ないやすし。されど c3 を保つ策なり。長き詞は、術者を一つの流れの中に留む。
余の短き詞は、c1 を極むる代はりに、c3 を己が力にて保たねばならぬ。
C とは、結局、像を何へ向けるか、雑念を退け得るか、持続し得るか、この三つなり。
第六章 三陣営の比較
ここに、王子型、改革派型、教会型を比す。
一 王子型
S:極めて高し。短き詞により、像への直結度高し。
A:極めて高し。自然学と観察により、像精密なり。
C:高し。対象を絞り、持続して凝を保つ。
王子型は、短句と精密なる心像により、もっとも純なる共鳴を狙ふ。されど、この型は術者その人に大きな負ひを求む。像を外より支ふるもの少なきがゆゑなり。
二 改革派型
S:中ほど。詞は整へられたれど、なほ説明多し。
A:中ほど。像は理に寄るも、精密に欠くことあり。
C:中ほど。集中はあるも、持続と対象の選択に揺れ残る。
改革派型は、教会の伝承を離れ、術理へ向かふ点において前へ進めり。されど、詞と像はいまだ一致しきらず。理はあり。されど心像これに追ひつかぬこと多し。
三 教会型
S:低より中。祈祷文長く、像散りやすし。
A:中。像は伝承により支へらる。
C:高し。祈祷の反復により、持続強し。
教会は非理にあらず。教会は S を犠牲にせり。されど A を伝承にて補ひ、C を最大化す。
そは経験による最適なり。ゆゑに教会の術を、ただ誤りとして退くべからず。教会は始原理を十分には知らざるやもしれぬ。されど長き経験のうちに、神韻へ届く姿勢を部分的に得たり。
問題は、効かぬことにあらず。何故に効くかを、教会自身が正しく知らぬことにあり。
第七章 魔術の倫理と制度
魔術を体系化すれば、術者は増ゆ。術者増ゆれば、救はるる者もまた増ゆ。夜を照らし、傷を癒やし、飢ゑを退け、災ひを防ぐことも可なり。
されど体系化は、同時に、魔術を権力の具ともなす。
術威 W を尺度とすれば、官府は術者を等級化し得る。等級化し得れば、配置し得る。配置し得れば、徴し得る。徴し得れば、術者は人にあらずして資と見なされる。
これ危ふし。ゆゑに制度は必要なり。
魔術を守るための制度にあらずして、民を守るための制度なり。また、術者を守るための制度なり。また、魔術を力として扱ふ者が、その力に酔はざらんがための制度なり。
神韻は美し。されど、美しきもの、必ず人を救ふとは限らず。
美を力に変ふるならば、その力が誰に向かふかを量らねばならぬ。
第八章 結語
魔術とは何か。
そは、始言「在れ」といふ原初の完璧へ、いかほど近づき得るかの試みなり。
術威 W = 純 S × 調 A × 凝 C
純 S とは、詞の骨格の直結度なり。「在れ」と同じ骨を保つか。
調 A とは、像の質なり。「在れ」の完璧にいかほど近きか。
凝 C とは、像の運用なり。散れるものを束ね、純を保ち得るか。
すべては、「在れ」への距なり。そして、始言と同じ構造を持つ詞もまた美し。
「火よ」
これは「在れ」の子なり。同じ骨格を持つ。ゆゑに美し。この算譜は、「在れ」への距を量るための便宜の秤なり。
されど、この算譜をもてしても測れぬものあり。
神韻の美は深く、量りがたし。
聖典は記す。「太初に言あり、『存れ』と」。
始言は命じたのである。世界に、存れと。
ゆゑに我らは、ただ在るだけでは足りぬ。
在らされていることに感謝して留まるだけなら、神韻の側へ一歩も近づけない。
我らもまた、自らの言葉を磨き、像を整え、集中を束ねて、どう存るかを選ばねばならぬ。
始言は『存れ』と言った。ならば我らも『在る』だけでは足りぬ。『存らねば』ならぬのである。
以上。
王道ラノベにおける「魔力」や「魔素」というブラックボックスを解体した世界で「魔術」がどのように成り立つのかを考察してみました。
神話から導き出された「魔術」を書いてみました。




