第88話 空の下の祝祭(アレン視点)
雨が降り、街は一転して祝祭めいた空気に包まれる。人々は祈り、魔術、自然をそれぞれ好きな物語に変えていく。
第二王子殿下の王位継承権が剥奪されてから、二週間が経っていた。
そしてその二週間、王都には雨が降り続いていた。
最初の雨は夜のうちに降り始め、朝には石畳を濡らし、屋根から細い水の筋を落としていた。干上がっていた井戸には水が戻り、畑へ向かう農夫の足取りも軽くなる。三日も経つころには人々はもう空を見上げて驚いたりはせず、当たり前のように桶を並べて雨水を受けるようになっていた。
それでも十日も降り続くと、今度は別の話が始まる。
王都という場所は、どうも静かに雨を受け取るだけでは済まないらしい。
中央聖堂の前を通りかかったとき、石段の上に人だかりができていた。雨脚は弱いが止む気配はなく、濡れた石段の上で人々が顔を上げ、口々に何かを言っている。
「祈りが届いた」
誰かがそう言った。
それに応じるように、周りの者が頷く。祈祷を終えたばかりの者もいれば、ただ雨を見に来ただけの者もいるらしい。
「神は我らを見捨てていなかった」
「教会の祈りだ」
「長い祈祷が効いたのだ」
そんな言葉があちこちから聞こえてくる。中央聖堂の鐘は鳴っていないが、声の調子はそれに近かった。
石段の上を見回したが、その中にアルベルトの姿は見当たらなかった。
あの男がこの声を聞いたら、どんな顔をするのだろうかと思う。
(……まあ、好きなように言わせておけばいいのか)
俺は石段の端を避けるように通り過ぎながら、小さく肩をすくめた。人が何を信じるかは自由だ。祈りが空まで届いたと言われても、別に困ることはない。むしろ中央聖堂としてはありがたい話だろう。
だが、同じ雨でも、街の中へ入ると話はまた少し違ってくる。
市場通りでは、屋台の天幕から雨水がぽたぽたと落ちていた。魚屋は桶を満たした水で魚を洗い、野菜売りは濡れた葉を誇らしげに並べている。客の声も大きく、通りのあちこちで笑い声が上がっていた。
「ほら見ろ」
果物を並べていた男が、隣の屋台へ向かって笑った。
「王子の魔術なんぞ要らなかったじゃないか」
周りからも笑いが起きる。誰かが空を指さしながら言った。
「空は勝手に雨を降らせるもんだ」
「そうだそうだ」
「結局、あの騒ぎは何だったんだ」
笑いながら言い合う声は、どこか祭りのように弾んでいる。雨に濡れた石畳の上で、人々はもう干ばつの不安を語ってはいない。井戸の水も戻り、畑も助かった。そうなれば、ついこの前まで怒っていた理由など、いくらでも言い換えが利くらしい。
「勝手なものだな」
思わず口からこぼれた。
求めるときは勝手に求め、怒るときは勝手に怒り、そして笑うときはまた勝手に笑う。誰に言うでもない言葉だったが、胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ軽くなった気がした。
中央聖堂では祈りが届いたと言い、街では王子の魔術など要らなかったと笑い、また別の場所では「空が勝手に雨を降らせただけだ」と肩をすくめる。どれもそれなりに筋が通っているようで、並べてみればただの思いつきのようでもある。
雨が降った。
それだけで十分なのだろう。
城へ戻る途中、俺は一度だけ西塔の窓を見上げた。雨に霞んだ石壁の向こうに、あの部屋がある。殿下は今も机に向かっているはずだ。井戸の記録や水量の数字を並べ、どこで水が増え、どこでまだ足りないのかを確かめているに違いない。
あの人はたぶん、この街の騒ぎを知らない。
いや、知っても気にしないだろう。
祈りが届いたと言われても、魔術は要らなかったと言われても、空が勝手に雨を降らせたと言われても、きっと同じ顔で「そうか」と言うだけだ。
それでいいのかもしれない、と俺は思った。
石段を上がりながら、俺は濡れた手すりを軽く叩いた。城の外ではまだ笑い声が続いている。雨脚は弱く、細い糸のように空から落ちていた。
怒りが消え、議論が混ざり、そしていつの間にか笑いに変わる。
そのすべてが、同じ雨の下で起きている。
俺は肩の水を払ってから、もう一度だけ空を見上げた。
雨は相変わらず、静かに降り続いていた。
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
雨の中、アレンは第二王子付きの任を解かれる。西塔を去る夜、彼はふと、雨の降った日の夕方に王子とアリシアが出かけたことを思い出す。済んだこと。その一言が、静かに残る。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【皆様へのお願い】
面白い/続きが気になると思っていただけたら、
『ブックマーク』、『☆☆☆☆☆』、『感想』、『誤字報告』をいただけると大変励みになります。
(ついでにとても喜びます)
皆さまの声援だけが心の支えです。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★




