第81話 輔弼近衛は呼び出される(アレン視点)
城門前に人が増え続けるなか、アレンは中央聖堂へ呼び出される。老枢機卿が問うのは、第二王子の沈黙だった。
呼び出しが来たのは、翌日の昼前だった。
西塔の廊下はいつもと変わらない静けさに包まれていた。壁の外では城門前の広場に人が集まり続けているはずだが、そのざわめきはここまでは届かない。厚い壁の内側では、街の出来事はいつも少し遅れて伝わる。
俺は窓際に立ち、城壁の外を眺めていた。遠くに城門の広場が見える。昨日より人影が増えているようだった。細かな様子までは分からないが、通りの奥から人の流れが続いているのははっきりと分かる。
(……増えてるな)
怒鳴り声は聞こえない。それでも、人の数が確実に増えているのは分かる。
そのとき、廊下に足音が響いた。振り向くと、侍女のアリシアがこちらへ歩いてくるところだった。その後ろに、見慣れない聖職者が立っている。黒い外套を着た男だった。
「アレン様」
アリシアが静かに言う。
「中央聖堂から使者の方がお見えです」
男は一歩前へ出て、丁寧に頭を下げた。
「中央聖堂より参りました。枢機卿がお会いしたいと」
(……ああ、やっぱりか)
呼ばれる理由はだいたい想像がついた。
「すぐに?」
「はい」
俺は一度だけ扉の方を見た。第二王子殿下の執務室だ。中では紙をめくる音がかすかに聞こえている。殿下は今日も机に向かっているらしい。
昨日と同じだ。街では噂が広がり、人が城へ集まり続けている。それでも殿下は机に向かい、井戸の深さや水量の記録を読み続けている。
(……あの人らしいっちゃ、らしいけどな)
「分かった。行こう」
中央聖堂へ向かう道は昨日も歩いた。石段を降りる途中、城門前の広場が少し見える。やはり人は増えていた。
声は届かない。それでも群衆は遠くからでも分かる。人の影が溜まり、通りの奥からさらに流れ込んでいる。
(……静かな群衆ってのが一番面倒なんだよな)
中央聖堂に着くと、石段の下には数人が立っていた。昨日よりは少ない。祈祷の時間ではないらしい。助祭が扉を開く。
重い扉の内側から、冷たい空気が流れ出てきた。聖堂の中は静かだった。
奥の内陣に、一人の老人が座っている。枢機卿だった。
背は少し曲がっているが、目だけは澄んでいる。俺が近づくと、老人はゆっくり顔を上げた。
「来てくれて感謝します」
「いえ」
祭壇の手前で足を止め、軽く頭を下げる。枢機卿はしばらく黙っていた。
問いを探しているというより、言葉をどこに置くべきか測っているような沈黙だった。やがて静かに口を開いた。
「第二王子殿下は……どのような様子ですかな」
声は穏やかだった。責める調子はない。ただ事実を知ろうとしている声だった。
俺は少し考えてから答えた。
「……落ち着いておられます」
枢機卿は小さく頷いた。
「街の噂はご存じでしょう」
「はい」
短い沈黙が落ちる。
「城門の前に人が集まっているそうですな」
「かなり。昨日より増えています」
枢機卿は驚かなかった。むしろ予想していた顔だった。
「一つ、聞かせてください」
「はい」
老人は少し言葉を選び、それから言った。
「殿下は……その噂について、どうお考えですかな」
俺は迷わなかった。
「殿下は、すべきではないとお考えのようです」
枢機卿は動かなかった。ほんのわずか、呼吸が止まったように見えた。
沈黙が落ちる。やがて老人は静かに言った。
「それでよい」
思わず聞き返していた。
「……よい、ですか」
枢機卿は頷く。
「ええ」
そして静かに続けた。
「人は苦しみの中にあるとき、奇跡を望みます。しかし、奇跡を求めることと、奇跡を命じることは違う」
老人は手を組んだ。
「もし王子がそれを拒むのであれば」
わずかな間。
「それは、正しい」
その言葉はほとんど独り言のようだった。
俺は老人の横顔を見ていた。怒っているわけでも、困っているわけでもない。ただ、何かをずっと前から知っていた人の顔だった。
聖堂を出ると、昼の光が石段に落ちていた。下には人が立ち始めている。昨日より確実に増えている。ざわめきはまだ小さい。だが、その音は確実に重くなっていた。
(……正しい、ね)
さっきの言葉が頭のどこかに残っている。
(……正しいかどうかなんて、俺には分からん)
ただ一つだけ分かることがある。城門の前には人が集まっている。そして、まだ増え続けている。俺は空を見上げた。
雲は、今日もなかった。
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
アレンが去った西塔で、フェリクスはひとり沈黙と向き合う。数字、祈り、噂、人の苦しみ。届くためだけの言葉を恐れる王子は、自分が見ているものと、人々が求めるものとの距離を静かに量る。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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