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近衛の本領  ~王族から王国を護るお仕事です~(第三章連載開始)  作者: t.maki
第2章 第二王子フェリクス編
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第80話 届かない言葉(アルベルト視点)

アルベルトは祈りの形を守ろうとする。だが乾いた街で、人々が求めるのは意味ではなく水であり、神の沈黙は重く響く。



朝の祈祷を終えた頃、石段の外がいつもより騒がしいことに気づいた。中央聖堂の扉は分厚く、よほどの声でなければ内側には届かない。それでも今朝は、祈祷文を読んでいる最中から、低いざわめきが石の壁を通して伝わってきた。言葉の内容は聞き取れない。ただ、人が集まっているということだけは分かる。


祈祷を終え、書見台の前を離れながら、私は一度だけ天井を見上げた。高い丸天井の頂点には光の差し込む開口部があり、そこから白く乾いた光が落ちてきている。今日も空は晴れている。雨の気配はない。


(……また今日も、か)


石段を降りると、思っていた以上の人数が集まっていた。水桶を持った女、荷を抱えたまま立ち止まった職人、井戸へ向かう途中で足を止めた老人。皆が同じ方向を向いているわけではないが、誰も家へ戻ろうとしていない。通りのあちこちで、人々は同じ話を繰り返していた。


私は石段の上で足を止め、そのまま群衆に向かって語り始めた。


祈りは神に委ねられるべきものだ。天の恵みを人の言葉で命じることはできない。苦しみの中にあっても、祈りの形を乱してはならない。人が求めるままに天が応じるのなら、それはもはや祈りではなく術になってしまう。


言葉を選ぶのに迷いはなかった。長年繰り返してきた言葉だからではない。それが正しいと信じているからだ。苦難の中でこそ、人は形を保たなければならない。形が崩れれば、残るのは叫びだけになる。


しかし石段の下の顔は、その言葉を受け取れる顔ではなかった。


「それで水が出るのか」


低い声が群衆の中から上がる。私は答えようとした。だが言葉を続けようとした瞬間、別の声が重なり、さらに別の声が続いた。ざわめきは壁のように厚く、私の声はその中に吸われていく。


石段の下で視線が散っていく。誰も私を見ていない。


(……届かない)


私は石段の脇に立ち、しばらくその光景を見ていた。通りの向こうからまた別の集団がやってきて、同じ話を繰り返している。


第二王子はやれるのにやらない。

だったら城に言えばいい。

頼めばいい。


声の調子は怒りというより、乾いた確信に近かった。人は飢えている時、正しい話よりも、すぐ腹に落ちる話を選ぶ。そのことは理解している。理解しているが、だからといって祈りを曲げることはできない。


できない、と私は思う。それが正しいはずだからだ。


(……なぜ、答えがない)


その問いは、群衆に向けたものではなかった。


私は聖堂の石壁に背を向け、通りの方へ歩き出した。南区の井戸へ向かえば、マティアスがいるはずだった。あの男は私のように言葉を積まない。短く切った祈りを、ただ人々の中に置く。それが届いているかどうかは、あの男自身にも分かっていないだろう。


井戸へ向かう通りを歩きながら、私は空を見上げた。雲はない。今日も、昨日も、その前の日も、ずっと同じ空だ。


神は沈黙している。


いや、そう言うのは正確ではない。神は常にそこにある。ただ、人間が聞きたい形では答えない。それが神というものだと、修道院で教わった。苦難は試練であり、その意味は後になって分かるものだとも。


私はその言葉を信じてきた。


だが南区の井戸が三つ目まで干上がり、水桶を抱えた女が列に並び、老人が乾いた目で空を見上げている。その光景の前で、試練の意味を語ることが、今日はどこか遠く感じられた。


(……これは何のための沈黙だ)


その問いが浮かんだ瞬間、私は足を止めた。石畳の上に影が落ちている。自分の影だ。細長く、乾いた地面の上に伸びている。


信仰に疑いを持つことと、疑問を持つことは違う。そう自分に言い聞かせてきた。神の意志を問うことは許される。だが今浮かんだのは問いというより、もっと暗い感覚だった。答えを待ち続けることへの、静かな疲弊である。


私は再び歩き出した。


南区の井戸が見えてくると、マティアスの声が聞こえた。短く切られた祈りが、群衆の中に静かに置かれている。その声は私の言葉よりも小さいが、列の端まで届いているように聞こえた。


「主よ、水を」


井戸の縁に並んだ人々が、その言葉を繰り返す。


だがその後には、必ず別の声が続く。


「それで、第二王子はどうするんだ」


祈りと噂が、同じ井戸端に並んでいた。


マティアスはそれを聞きながら、祈りを止めなかった。

私もまた、止めてはならない。


そう思いながら、なぜ今日に限って天の沈黙がこれほど重く感じられるのかが、自分でもうまく分からなかった。



お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

アレンは中央聖堂へ呼び出される。枢機卿が問うのは、第二王子の様子と、噂への考えだった。奇跡を求めることと、奇跡を命じることは違う。その言葉は正しい。だが城門前の人影は、なお増え続ける。



次回の投稿は明日21時頃の予定です。


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