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近衛の本領  ~王族から王国を護るお仕事です~(第三章連載開始)  作者: t.maki
第2章 第二王子フェリクス編
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第78話 広がる噂(アレン視点)

井戸端で生まれた噂は、もう人々の確信に近づいている。アレンは止めようとするが、言葉は彼の手をすり抜けていく。




最初に異変に気づいたのは、南区の井戸だった。


昼を少し回った頃、水を汲みに集まった人々の間で、いつもの井戸端の愚痴とは少し違う話が交わされ始めたという。水位がまた下がっただの、水売りが値を上げただのという話に混じり、聞き慣れない言葉が現れた。


第二王子は魔術が使えるらしい。


その噂が城へ届いたのは、さらにしばらく後のことだった。西塔の廊下で報告を受けたとき、俺は思わず足を止めた。伝えてきたのは城下の様子を見ていた兵で、話の半分はいつもの噂話だったが、残りの半分が妙に引っかかった。


「第二王子は雨を降らせる魔術を知っている、という話になっているそうです」


(……ああ、そっちか)


思わず天井を見上げる。第二王子殿下が修道院で魔術を学んでいたことは、城の中では誰でも知っている。だがその事実が城下に落ちると、たいていろくな形にならない。


「どこから出た話だ」


「分かりません。井戸端だそうです」


それを聞いた時点で、もう手遅れだという気がした。井戸端で生まれた話は井戸端で広がる。水を汲みに来る者は必ず誰かと顔を合わせ、顔を合わせれば同じ話をする。噂が広がるには、これ以上ない場所だった。


俺はそのまま城下へ降りた。


南区の通りは、いつもより人が多いように見えた。井戸の列が長くなっているせいもあるのだろうが、それだけではない。列のあちこちで人が振り返り、誰かに話しかけている。


「聞いたか」

「第二王子は魔術が使えるんだと」

「雨を降らせる魔術らしい」


誰も確かめたわけではない。それでも同じ言葉が繰り返されるうちに、話は自然と形を持ち始めていた。


井戸の縁に座っていた老人が言った。


「王族なんだろう。なら降らせればいいじゃないか」


その言葉に、周りの者が笑った。だが、その笑いは完全な冗談ではない。誰もが心のどこかで、もし本当にできるなら、と考えている。


井戸の桶が軋む音が続き、水のはねる音が乾いた空気の中に広がる。


(……まずいな)


俺は井戸から離れ、通りをゆっくり歩いた。耳を澄ますと、同じ話が別の口から何度も聞こえてくる。


第二王子は魔術を使える。

修道院で学んだ。

雨を降らせる魔術だ。


噂は少しずつ形を変えながら広がっていく。ある者は「できるらしい」と言い、ある者は「知っている」と言い、そして中には「できるに違いない」と言い切る者まで現れていた。


通りの向こうでは、パン屋の前に人が集まっていた。パンを買いに来たというより、話を聞きに来た顔をしている。


「井戸が干上がったのは三つ目だ」

「このままだと南区は持たない」

「だったら第二王子に頼めばいい」


誰かがそう言うと、別の男が笑った。


「王族が俺たちのために魔術なんか使うかよ」


その笑い声は軽かったが、笑われた側は黙らなかった。


「でも、できるならやればいいじゃないか」


その言葉を聞いた周囲の者たちは、すぐには答えなかった。笑いは消え、代わりに妙な沈黙が残る。冗談として聞いた話でも、二度三度と耳にすれば、人は少しずつ考え始める。


できるなら、なぜやらないのか。


井戸の列に戻ると、同じ話がさらに広がっていた。


「王城に言いに行けばいい」

「誰かが頼めばいいんだ」

「そうだ、頼めばいい」


昨日までなら、そこで誰かが笑って終わっただろう。だが今日は違った。何人かが顔を見合わせ、その言葉を真面目に考えている。


井戸の後ろで、若い男がぽつりと言った。


「王城へ行ってみるか」


周りの者はすぐには笑わなかった。


その沈黙の中で、俺は思わず一歩前に出ていた。


「待て」


声は思ったより通った。井戸の縁にいた何人かがこちらを見る。


「城へ行ってどうする。誰が話を聞くと思ってる」


男は俺を見て肩をすくめた。


「聞かせればいい」


「そんな簡単な話じゃ――」


言いかけたところで、後ろから別の声が飛ぶ。


「お前、城の人間か?」


何人かがこちらを見た。視線は疑いというより、ただ面倒くさそうだった。


「城の人間なら言ってこいよ」


別の男が笑う。


「そうだな。俺たちより近いだろ」


井戸の縁で誰かが小さく笑った。その笑いは軽かったが、誰も俺の言葉を待ってはいなかった。


男はもうこちらを見ていない。桶を抱え直し、通りの方へ向きを変える。


「行ってみるか」


それだけ言って歩き出した。


誰かが止めるわけでもない。

誰かが命じたわけでもない。


だが、その背中の後ろにもう一人が続き、さらにもう一人が列から離れた。


井戸の縁で水が跳ねる音だけが、やけに大きく聞こえた。


(……駄目か)


空には雲がない。


乾いた空の下で、また一人、列を離れる者がいた。


その足は、王城のある方角へ向かっていた。



お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

宰相の説明も、聖職者の言葉も、人々には届かない。第二王子は「やれるのにやらない」と語られ、祈りと噂は同じ井戸端に並ぶ。アレンは、静かに集まり始めた群衆の厄介さを知る。

次回の投稿は明日21時頃の予定です。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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