第68話 境の線(宰相視点)
教義は教会のものだ。だが人が倒れれば、それは国家の問題になる。
議論が止まった時、儂はようやく、この場で話すべきことが残り一つになったと知った。祈祷文の形をめぐる応酬は、もう終わっている。両司教は、もはや単に長いか短いかを争ってはいない。第二王子は、いつものように人の立場を越えて、言葉が人に働く仕方そのものへ論点を移した。そしてその結果、この場には、教会の論理とも王権の論理とも少しずれた、しかし現実には最も差し迫った問題だけが残った。
井戸の縁で、人が倒れている。
旱魃が続き、水は乏しい。乏しい水を求めて人は集まる。集まった人々は、わずかに澄み始めた井戸に望みを見出し、祈りを重ねる。その祈りが長いか短いか、正確か簡略かという点は、教会にとっては重大だろう。だが儂から見れば、まず問うべきは別にある。そこで人が死ぬかもしれぬ、という一点だ。
国家の役目は、信仰を裁くことではない。信仰が人を害する形で噴き出した時に、その害を食い止めることだ。逆に言えば、害さぬかぎり、国家は教義の中へ足を踏み入れてはならぬ。そこを越えれば、王権は信仰を保護するのではなく、支配するようになる。支配された信仰は、もはや信仰ではなく、命令の形式を借りた服従にすぎぬ。
だからこそ、線を引かねばならない。
「この件は、教会の内の問題である」
儂がそう言うと、アルベルト司教は背をわずかに正し、マティアス司教は息を浅くした。二人とも、その一言の意味を測っているのだろう。王権がどこまで介入するつもりかを。
「祈祷文の形をどう扱うか、祈りをどのように整えるか、それは教会が決めるべきことだ。国家がそこへ命ずることはしない。王城の都合で教義を曲げ始めれば、今日の便宜が明日の前例になる。そうなれば、教会は教会でなくなる」
アルベルト司教の顔に、かすかな安堵が差した。しかし、儂の言葉はそこで終わらぬ。
「だが」
その一語で、二人の視線がまた引き締まる。
「井戸の縁で人が倒れている以上、それはすでに教会の内だけで閉じる話ではない」
部屋の空気がわずかに変わった。第二王子は何も言わない。アレンは扉脇で微動だにしない。高窓から差す光だけが、机の縁に細い線を作っていた。
「人が集まること自体は止めぬ。水を求めて集まるのは当然であるし、わずかな希望にすがるのも人の常だ。だが、井戸の縁で長く祈らせるな。祈りを続けることがそのまま滞留になり、滞留が疲弊を生み、疲弊が転倒を生むなら、それは信仰の問題である前に事故の問題になる」
マティアス司教が低く問うた。
「祈るな、とおっしゃるのですか」
「そうは言わぬ」
儂は即座に答えた。
「祈りの形までは命じぬ。だが、井戸の管理は国家が担う。列を整えよ。滞留を減らせ。体を悪くした者を休ませる場所を設けよ。子どもと老人を先に通せ。水場で人が押し合い始めたなら、近衛を出す」
それらは教義に触れぬ。だが、人命には触れる。国家が踏み込むべきなのは、その範囲までだ。
「祈りが必要なら、短くてよい。だが、それは教会が決めることだ。国家が命じるのは、長く居続けさせぬこと、人を危険にさらさぬこと、その二つだけである」
アルベルト司教は黙って頷いた。その頷きには、教会の領分を守られた安堵と、同時に逃れ得ぬ責務を引き受ける重さが混じっていた。マティアス司教もまた、小さく頭を下げた。彼はおそらく、井戸の縁で起きていることをもう一度見直さねばならぬと悟ったのだろう。祈りが人を支えるだけでなく、その場に留め続ける力にもなっていたことを。
そこで会議は閉じられた。
北隅小聖堂を出ると、回廊には昼の光が差していた。石床の上をまっすぐに伸びる明るい帯の中を歩きながら、先ほどの議論を儂は反芻した。第二王子の言うことは厄介である。常に人の立場を飛び越え、仕組みそのものを露わにする。今回もそうだった。祈りの長さの話に見えていたものを、言葉が人の中に立てる像の話へ変え、その像が人の行いを揃え、やがて言葉へ返ってくるという形にまで開いてみせた。
それは教会だけの理屈ではない。
国家もまた、言葉でできている。
布告、命令、触書、諫言、誓約、噂。国家は剣と税だけで動くのではない。人々がどの言葉を信じ、どの像に従い、何を正しい秩序と思うかによって動く。民に「飢えは一時だ」と言えば耐える者が増えることもある。逆に「配給は間もなく尽きる」と一度広まれば、倉を破ろうとする者が出る。言葉は常に人の内に像を立て、その像が集まって現実になる。
執務室へ戻ると、机の上にはいくつもの書付が積まれていた。井戸の状況、南区の病人の数、各倉庫の備蓄量、教会から上がってくる願い出。儂はその束の端を指で揃えながら、先ほど引いた線をもう一度胸の内で確かめた。
教義は教会のものだ。だが、教義が人の群れの動きとなって表れた時、国家はもう知らぬ顔ではいられぬ。逆に、人の動きを理由に国家が教義へ踏み込み始めれば、その瞬間に線は消える。必要なのは、どちらでもない細い境で立ち続けることだ。
王は全てを支配する者ではない。全てが崩れぬよう、崩れ方を見張る者である。宰相もまた同じだ。信仰と政治、教会と国家、言葉と行為、その境目が曖昧になり始めた時、どこまでが誰の領分かを定め直し、越えてはならぬ線を引き直す。それは華やかな仕事ではない。だが、その線が消えた時、最初に潰れるのは決まって民である。
窓の外では、乾いた風が城壁を撫でていた。空に雨の気配はない。ならば少なくとも、井戸の縁で倒れる者だけは減らさねばならぬ。そのために教会の権威を壊してはならず、国家の責務も手放してはならない。
境の線とは、引けば終わるものではない。立ち続けて、何度でも引き直すものである。
そしておそらく、国家そのものもまた、そのような線の上にしか立てぬのだろう。
お読みいただきありがとうございます。
【次話予告】
信仰と国家は混ぜてはならない。だが現実には混ざる。だから線を引く必要がある。踏み込めば支配になる。引けば放置になる。その細い境に立つしかない。ここで決まるのは祈りではない。人の動きだ。そしてその結果は、井戸の縁に現れる。次に見るのは、外側からの現実だ。
次回の投稿は明日21時頃の予定です。
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