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近衛の本領  ~王族から王国を護るお仕事です~(第三章連載開始)  作者: t.maki
第2章 第二王子フェリクス編
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第64話 祈りの長さ

祈りは形を守るべきか、それとも届くべきか。どちらも正しく、どちらも足りない。





フェリクスの問いは短かったが、その場に置かれたまま消えなかった。祈りは誰のものか。言い換えれば、それを誰が定め、誰が守り、誰が口にするのかということでもある。北隅小聖堂の内室に、しばし静けさが落ちた。答えに窮したからではない。それぞれが、自分の中にある答えが、単純な一言では済まぬことを知っていたからである。


最初に口を開いたのはアルベルトだった。


「祈りは、人の口から発せられます」


声音は穏やかだったが、その言葉には揺るがぬ芯があった。


「しかし、だからといって、祈りの形まで各人の裁量に委ねてよいことにはなりません。祈祷文は、教会が長い時間をかけて整え、誤りを払い、祈りとして耐える形にしたものです。人が神に向かうための言葉であって、その場の都合で削ったり、付け足したりしてよいものではない」


マティアスはすぐには応じなかった。彼は報告書に視線を落としたまま、井戸の縁に並ぶ人々の姿を思い返していた。日に焼けた手で桶を抱える女、何も言わず母の服の端を握る子ども、喉を湿らせる水を一口でも得ようと列に加わる老人。あの者たちにとって祈りは、礼拝堂の中で行う定められた儀式とは違う切迫を帯びている。


「私も、勝手をしたいわけではありません」


そう言ってから、彼は顔を上げた。


「ですが、井戸の縁で長い祈祷文をそのまま唱えさせることはできません。最後まで保てないのです。息も続かず、言葉も揃わず、途中で別の者が別の文句を口にする。そうなれば、祈りは形を守る以前に、場の中でばらけてしまう」


「ばらけるからといって、形を崩してよいことにはなりません」


アルベルトはすぐに返した。


「祈りは、現場の利便のためにあるのではない。まず神へ向かうべきものです」


「承知しています」


「承知しているなら、なおさらです。人が口にしやすい形へ祈りを寄せれば、やがて祈りは神へ向かう言葉ではなく、人の欲に沿う言葉になる。『水を与えたまえ』『今ここで満たしたまえ』。そうした願望は理解できます。だが、理解できることと、祈りとして整えることは別です」


マティアスは、そこで即座には反論しなかった。アルベルトの危惧はもっともだったからである。民の苦しみに寄り添おうとして祈りを短くすることはできる。だが、その過程で、耐える、慎む、委ねるといった成分が落ち、与えられることばかりが残れば、それは祈りの顔をした願望になる。


だが一方で、長い祈祷文を保ったままでは、井戸の縁にいる者たちは祈りからこぼれ落ちる。


「私は、祈りを安売りしたいわけではありません」


マティアスは静かに言った。


「ですが、あの場にいる者たちは、礼拝堂の中で落ち着いて跪いている者たちではない。水を待ち、焦れ、互いの顔色を見ている。長い祈りは、そのような場では最後まで届きません。言葉が届かない祈りは、正しい形をしていても、あの場では最初から死んでいるのです」


アルベルトは、その表現にわずかに眉を寄せた。だが否定はしなかった。届かぬ言葉は、たしかに力を持たない。


「届くことだけを優先すれば、別のものになります」


「届かぬままなら、祈りはその場に存在しません」


二人の言葉は、そこで並行線になった。


アルベルトが守ろうとしているのは、祈りの純度である。教会が長く整えてきた形を守ることで、神へ向かう言葉が人の都合に侵食されるのを防ごうとしている。マティアスが守ろうとしているのは、祈りの到達である。現場で口にできず、人の中に残らぬ言葉は、たとえ正しくとも、その場では力を持たぬと知っている。


どちらも必要であり、どちらが欠けても祈りは祈りでなくなる。


だが、この時点で二人はまだ、同じ前提の上で争っていた。祈りは長いか短いか、保つか整えるか。その前提の中に留まっている限り、答えは出ない。


フェリクスがそこで口を開いた。


「二人とも、まだ言葉そのものを見ていない」


室内の視線が一斉に彼へ向く。アルベルトは王子の表情を見た。そこには教会を嘲る色も、議論に勝とうとする熱もなかった。ただ、自分以外の三人が見落としている一点を指し示そうとする者の静けさだけがあった。


その静けさが、かえって場を緊張させた。


アルベルトも、マティアスも、そこで初めて自分たちの応酬が、まだ一段浅いところを巡っていたのではないかと気づかされたのだろう。長いか短いか。正しいか届くか。その区別はたしかに重要だ。だが、それだけではまだ足りない。フェリクスの言葉は、そう告げていた。


何が足りないのか。その答えはまだ示されていない。


だが少なくとも、長さをめぐる応酬だけでは、この場の問題に届かぬことだけは明らかになった。


議論は、そこでようやく次の段へ進もうとしていた。


お読みいただきありがとうございます。


【次話予告】

議論は並行線に見える。だが実際には、前提そのものがずれている。祈りとは何か。その問いを避けたままでは、どれだけ言葉を尽くしても届かない。ここで軸は移る。長さではなく、内容でもない。「何を人の中に立てるか」へ。次に問われるのは、祈りの所有だ。


次回の投稿は明日21時頃の予定です。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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